ヨハネ16・5-11:http://blogs.yahoo.co.jp/therese1897/31916518.html
バチカン、5月7日(バチカンラジオ)
苦難のさなかでも、キリスト者は決して悲しまず、キリストの喜びをいつも証しする。これは今朝、聖マルタの家でのミサの最中に教皇フランシスコがした回想である。教皇は「喜びをもって耐え抜くこと」はわたしたちを若返らせることを強調した。
ミサではアンジェロ・コマストゥリ枢機卿とホルヘ・マリア・メヒーア枢機卿が共同司式に上がり、サン・ピエトロ工場のバチカン従業員の別のグループが参列した。
ローマ司教(教皇)は福音を証しするために投獄や迫害と対するように呼ばれたパウロとシラスの歓喜を強調した。なぜならイエスの受難の道において彼に従っていたからである。主が忍耐をもって恵まれる道を。
「忍耐の世界に入っていく。そのことはイエスがわたしたちキリスト者に教える道でもあります。忍耐の世界に入っていく……。これは悲しんでいる状態を言お うとはしていません。いいえ、ちがうのです。そうではないのです!これは耐え抜くこと、背中に困難の重み、矛盾の重み、苦難の重みを担ぎゆくことです。こ の耐え抜くというキリスト者らしい態度が、忍耐の世界に入っていくということなのです。聖書に出てくるギリシャ語では、ヒポモネーと言われていますが、そ れは生活のなかでの日々の仕事、矛盾、苦難、こうしたことすべてを耐え抜くことです。彼ら、パウロとシラスは、苦難を耐え抜きます。辱めを耐え抜きます。 イエスは耐え抜きました。忍耐に入りました。これは一つのプロセスです。『一つのプロセス』という言い回しをしてもいいでしょう。忍耐の歩みを通してなさ れるキリスト者の成熟のプロセスです。時間のかかるプロセスです。今日明日でできるようなものではないものです。一生かけて実現しながらキリスト者の成熟 に到達していく、そういうものです。それはちょうど良質のワインのようなものです」。
教皇は実に多くの殉教者は 「死の時を待ちながら」互いに支え合っていた長崎の殉教者が示した模範のように、歓喜に満ちていたと述べた。殉教者のなかには「殉教に向かう」のに「結婚 式の披露宴」に向かうかのようであったと言われているということを思い出させた。この耐え抜くという態度は、キリスト者の普通の態度だけれど、マゾヒスト の態度ではないと加えた。そうではなく、「イエスの歩みをたどる」ようにと導く態度であるのである、と。
「困難が 訪れる時、誘惑も訪れます。例えば、嘆くこと。「でもほらひどい、こんなことがわたしに降りかかって・・・」 という嘆き。立て続けに嘆きを吐くキリスト者は、よいキリスト者であることをやめてしまいます。悲嘆男爵、悲嘆婦人になってしまうでしょ?ね?だって、ど んなことでも嘆いているわけですから。ね?耐え抜くことにおける沈黙。忍耐における沈黙。あのイエスの沈黙。受難におけるイエスは最低限必要な二言三言し か語りませんでした。けれど、それは悲しい沈黙ではありませんでした。十字架を耐え抜く沈黙は悲しい沈黙ではないのです。それは痛々しいものです。往々に してひどい痛みが伴います。けれど悲しくはありません。心は平和のうちにあるのです。パウロとシラスは平和のうちに祈っていました。痛みはありました。な ぜなら、牢屋の番人が後で彼らの傷口を洗ったと言っているわけですから、傷を負っていたわけです。けれど、平和のうちにこれを耐え抜いていたのです。この 耐え抜くことの歩みが、わたしたちにキリスト者の平和について深めさせ、イエスにおいて強くさせるのです」。
ここ に、キリスト者がイエスがしたように耐え抜くように呼ばれているゆえんがあります。「嘆かずに、平和のうちに耐え抜くこと」。教皇フランシスコはこの「忍 耐の世界に入るということはわたしたちの若さを刷新して、わたしたちをますます若返らせるのですよ」と付け加えた。
「忍耐強い人は、長い目で見ると、他の人よりも若い人です!老人ホームにいるあの老人、老婦人のことを考えてみましょう。その人生において実に多く耐え抜 いてきた人々のことを。その目、若さに満ちた目、若い精神を宿した目、新しくなった若さをその目に見ましょう。このことに主はわたしたちを招いています。 この愛、忍耐、苦難の耐え抜き、そして言わば、互いの忍耐という歩みを通った過ぎ越しの刷新された若さへと主は招いているのです。なぜなら、このことを愛 徳をもって、また愛をもって行わなければならないからです。なぜならもしわたしがあなたのことを我慢しなければならないことになっているならば、絶対にあ なたはわたしのことを忍耐しているし、そうやってわたしたちはイエスの歩みの小道を前進していくのです。わたしたちに平和を与えるこのキリスト者らしい耐 え抜きの恵み、心からのこの耐え抜きの恵み、このますます若返っていくための歓喜に満ちた耐え抜きの恵み、良質のワインのような恵み、霊の過越しの刷新さ れた若さをもった若返りの恵みを主に求めましょう。なれかし(アーメン)」。
5月8日の朝ミサの説教
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