ヨハネ14・27-31a
バチカン、4月30日10時34分(ACI/EWTNニュース)
APSA(使徒座遺産管理局)の管理者数名を前に、教皇は「教会が世俗化する時、自分のうちに、世の精神をもつ時、『わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるようjに与えるのではない』とイエスが言っているあの主からのものではないそうした平和、そうした世俗的な平和を持つ時、教会は弱い教会となります。打ち負かされやすい教会、十字架のメッセージ、十字架のスキャンダル(つまづき)である福音そのものを運ぶ能力を失ってしまうのです……。もし世俗的であるならば、これを前に運ぶことはできないのです」と述べた。
フランシスコはこう説明した。「教会を守ることはできるでしょう?教会の維持のために手入れをすることはできるでしょう?違いますか?わたしたちは努力してこれをしなければなりません。でも、一番大切なのは、主がなさることです。主だけがただ一人、顔と顔とを合わせて悪を見据え、これに打ち勝つことができる方なのです。世の支配者(王子)がやってきても、わたしに何もできません。世の支配者が教会をその支配下に置かないことをわたしたちが望むならば、この世の支配者に打ち勝つことのできる唯一のお方に信頼しなければなりません」
「ここに一つの問いがあります。教会のために祈ると言いますが、全教会のために祈っているでしょうか?わたしたちは会ったことのない、世のあらゆるところにいるわたしたちの兄弟たちのために祈っていますか?これが主の教会です。そしてわたしたちは祈りの中で主に、ご覧下さい、主よ、ここにあなたの教会があります。これはあなたのものです。あなたの教会はわたしたちの兄弟姉妹です。と述べるのです。これこそ、日々ますます心から捧げなければならない祈りなのです」。
教皇フランシスコは「主に恵みを求めるため、感謝するために祈ること」あるいは「何か必要な」時に「祈ることは簡単です」とその観点を述べ、しかし全ての人々のための願いを捧げること、「同じ洗礼を受けた人々」のために「彼らはあなたのものです。わたしたちの兄弟でもあります。お守りください」と祈ることが基本であることを説明した。
「教会を主に託す ということは、教会を成長させる祈りです。それはまた、信仰活動のひとつでもあります。わたしたちには何もできません。わたしたち、すべてが、教会の哀れなしもべ、はしためなのです。けれどあの方がこの教会を前進させ、守り、成長させ、聖なるものとし、この世の支配者から、つまり教会がますます世俗的になるようにとするその存在から守ることができるのです。これが一番の危険です!」
「教会が世俗化する時、自分のうちに、世の精神をもつ時、『わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるようjに与えるのではない』とイエスが言っているあの主からのものではないそうした平和、そうした世俗的な平和を持つ時、教会は弱い教会となります。打ち負かされやすい教会、十字架のメッセージ、十字架のスキャンダル(つまづき)である福音そのものを運ぶ能力を失ってしまうのです……。もし世俗的であるならば、これを前に運ぶことはできないのです」。
教皇は「教会を」「主のみが与えることのできる平和」への道である「主に」託すための祈りの重要性を繰り返した。
「主に教会を託す、お年寄りを託す、病人、子供、青年たちを託すこと、『主よ、あなたの教会を守ってください。あなたのですよ!』と委ねるこの態度で、主はわたしたちに、苦難を通して、主のみが与えることのできるあの平和をわたしたちに下さいます。この平和は世が与えることのできないものです。あの平和は帰るものでもありません。あの平和は教会のただ中でのイエスの現存という本物の賜物で、これを主はわたしたちに下さるのです」。
「苦難にある教会を託すこと。大変な苦難が存在します。小規模の、病気や家庭問題などと言った苦難もあります。この全てを主に託すこと。『あなたの苦難にある教会を守ってください。信仰を失わないように、希望を失わないように』と」。
結びに、全ての人にフランシスコは勧告した。「主が信仰を失わないため、希望を失わないためにわたしたちを力づけてくださいますように」。「この教会のための信頼の祈りをささげることは、わたしたちにとって善いことで、教会にとっても善いことです。わたしたちに大いなる平和を与え、教会にも大いなる平和を与えてくださいます。そしてわたしたちから苦難が取りはらわれることはないでしょうが、この平和が苦難の最中でわたしたちを強めてくれるのです」。
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