悪魔は当惑や挫折、不信感につけ込み、苦々しさ(ひどい悲しみ)のうちに孤立するようにといざなう。イエスは一方、人を辱めることなく、慰め、勇気を取り戻させてくれる。牧者となる、とは、「群れのただ中、また後ろを歩く」心構えを言い、お金や競争の意識で誘惑されない心構えを指す。これは、イタリア司教協議会の第65回総会での、「信仰宣言」の際にサン・ピエトロ大聖堂で今日の午後、教皇フランシスコがした説教のいくつかのポイントである。
このように、午後6時に、ローマ教皇はイタリア司教協議会の「荘厳信仰宣言の儀」を執り行った。そこではイタリアの司教団との最初の集いが、まさにペトロの墓であるだけではなく、その信仰の証し、真理への奉仕、福音と教会のために殉教までささげた献身を庇護するまさにこの場所で行われたことを、意義深いこと、そして特に喜ばしいものとして強調した。
パパは言った。「この午後、信仰宣言の祭壇は、このような形でわたしたちのティベリアス湖畔になります。そこではイエスとペトロのたまらない対話を改めて聞きます。イエスは使徒に向かって尋ねるのですが、それはわたしたちの心にもこだましなければなりません。『お前は、わたしを愛するか?』『お前は、わたしの友か?』(ヨハネ21章15節以降参照)と」。
イタリア司教協議会議長のアンジェロ・バグナスコ枢機卿のあいさつとみ言葉の祭儀の後、パパフランシスコは、信仰宣言、共同祈願、使徒的祝福に続いて、閉会の歌「サルヴェ・レジナ」を歌っている間に聖なるおとめマリアの像の前に花束の捧げものをした。
(マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ– RV).
0 件のコメント:
コメントを投稿