2013年5月18日土曜日

教皇庁宣教事業のメンバーへのことば:世界がキリストに出会うことは緊急の課題。宣教を通して神のぬくもりの証しとなろう

バチカン、5月17日13時37分(バチカンラジオ)
 福音化は神から来て、神に属している。キリスト者と教会にとって、これは任意の使命ではなく、本質的な使命である。わたしたちは、すべての人、特に貧しい人、疎外されている人、距離のある人に神のあわれみと愛を示す道具となるために自分の心構えを完全にささげるように呼ばれている。

 パパ・フランシスコは、ペトロの後継者としての選出以来初めて、全世界から来た教皇庁宣教事業の各国の責任者たちの訪問を受けた。彼らはパパの「寵愛を受ける道具」であり、教会の一致と普遍性の基本でありしるしである、とローマ司教は述べた。それは喜びと感謝に満ちた集いとなった。教皇自身、福音宣教省から、また地上のあらゆる場所で福音を告げることに専心している宣教師たち、司祭団、ブラザーやシスターたち、また男女信徒たちからの重要な援助について強調した。

 「皆さんは、わたしにとって特に愛されるべき人々であると言いたい。というのは皆さんはわたしがいつも教会のパラダイムである、福音宣教の活動を活き活きと保てるようにしてくれるからです。実際、ローマ司教は自分の独自の教会の牧者であるだけではなく、あらゆる派の諸教会の牧者でもあるようにと呼ばれているからです。それは、福音が地の最果てまで告げ知らされるためなのです。そしてこの務めにおいて、教皇庁宣教事業はパパの手にある寵愛を受ける道具であり、教会の一致性と普遍性の基本としるしなのです(ルーメン・ジェンチウム23)」。

 特に、教父は「教皇庁の」という単語に注意を促した。それは、この宣教事業を特徴づける単語であり、 信仰の賜物を広め、キリストの顔に照らし出された神の恵みがすべての人の心に届くようにするための現在の働きは、今もまだ緊急のものであると強調した。

 「実際、『教皇庁の』と呼びます。というのは、ローマ司教に応える心構えに直結していて、福音の価値ある賜物をすべての人に提供するために働くという具体的な目的があるからです。そしてこれはまったくもって現在のものであり、さらに言えば、まだ今日も、必要なのです。なぜならまだキリストを知ったことも、キリストに出会ったこともない民がたくさんあるからで、神がすべての男女の心に触れ、人々を神に導くことのできる新しい形と新しい歩みを見出すのは緊急の課題です」。

 「当然、わたしたちを待ち受ける使命というのは困難なものです。けれども聖霊の導きをもって、これはやる気の湧いてくる楽しみな使命となるのです!」とパパ・フランシスコは、まさに神から来るキリストの光を知らせるためにわたしたちを突き動かす尋常ではない力があることを繰り返しながら叫んだ。

 「このことがわたしたちをいつも励ますべきなのです。福音化の力は神から来て、神に属するのだということを知ることが。わたしたちはいつもますます聖霊の働きに開き、すべての人、特に貧しい人、疎外されている人、距離のあるすべての男女に神のあわれみとそのぬくもり、その愛を示す道具となるために自分の心構えを完全にささげるように呼ばれているのです。そしてこれ、キリスト者一人一人にとって、また教会にとって、任意の使命ではなく、本質的な使命なのです。パウロが言っていたように『わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです』(Iコリント9章16節)。神の救いをすべての人に!」

 パウロ六世が約50年前に教皇庁宣教事業に向けた招きを改めた。それはとても現在的であるが、 決して世に福音を告げるという責任においてめまいを覚えないように、一人一人のキリスト者をその幼児期から、教会との一致のうちに、司教によって導かれながら、まことに普遍的で宣教師的な精神を持つように教育し、しばしば困難や差別、迫害の雰囲気の中で働く若い諸教会への特別な気遣いをもって、パパ・フランシスコはその感謝を繰り返し、神の母の庇護のもと、教会の普遍的使命の寛大さと責任を保つようにと励ました。

 「福音化の星であるマリアに呼びかけながら、わたしはパウロ六世の言葉を自分の口を通して皆さんに語ります。『わたしは願っています。時には苦悩のうちに、時には希望をもって、良き知らせを求めている今の世界が、意気阻喪し悲しみに沈んでいる宣教者からではなく、キリストの喜びで輝いている福音宣教者から神の言葉をうけとるようにわたしは希望しています。喜びにあふれた宣教者こそ、神の国が宣べられ、教会が世界の真只中にうちたてられるため、喜んで生命を献げている人々です』(福音宣教80)」。

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