ヨハネ16・29-33
バチカン、5月13日(バチカンラジオ)
聖霊こそが、キリスト者に歴史や神から受けた賜物についての「記憶」を持つようにしてくださる。この恵みがなければ、偶像崇拝に陥る危険性がある。パパ・フランシスコは聖マルタの家でささげられた今朝、この月曜日のミサ中説教でこう確言した。この機会に、バチカンラジオの技術、経営、一般幹部の従業員たちと、
y del Pontificio Consejo para la Pastoral de los Emigrantes, guiados por la jefatura de ese dicasterio, el cardenal presidente Antonio Maria Vegliò, el secretario mons. Joseph Kalathiparambil y el subsecretario padre Gabriele Bentoglio, que concelebraron con el Papa.
聖パウロがエフェソの弟子のグループから受ける答えは、使徒言行録が語るところによれば、驚きに満ちたものである。「聖霊を受けるなどということは聞いたこともありません」。パパ・フランシスコはその説教を、この言葉から、それによってパウロに生じた驚きという点から始めた。教皇は2000年前のキリスト者が示した無知を観察しながら、それは「初期のこと」に限らない、「聖霊というのは、わたしたちの信仰においていつも少しあまり知られていない存在なのです」と言った。
「今日、聖霊とは誰なのか、聖霊とはどのような方なのかを知らないキリスト者がたくさんいます。さらにしばしばこのようなセリフが耳に入ります。『自分は父と子とならなんとかやりとりをしています。なぜなら、【主の祈り】 を父に向かって祈るし、聖体拝領は子との関わりでしますから。でも聖霊とはどんなことをすればいいか知らないんですよね」と。あるいはこういうことをあなたに言うでしょう。『聖霊は、わたしたちに七つプレゼントをくれるハトなんですって』と。このように、哀れな聖霊は、いつも最後尾についてくる感じで、わたしたちの生活の中でいい場所を与えられていないようです」。
一方、パパ・フランシスコは続けて言った。聖霊は「わたしたちのなかで活動的な神であり、思い出させる神、記憶を呼び覚ましてくれる神なのです」。イエス自身が五旬祭の前に使徒たちにこのことを説明している。「神がわたしの名において送ることになっている霊が、『あなたたちにわたしが言ったことをすべて思い出させてくれるであろう』と約束する」のである。そうでなければ、キリスト者に対して、危険な下り坂が見えてくるであろう。
「歴史に対する記憶のないキリスト者は本物のキリスト者ではありません。そのような男女は、その場限りの時の囚人、瞬間の囚人なのです。 歴史がないのです。いや、歴史はあるのですが、どのように歴史を把握すればいいかを知らないのです。そしてまさに歴史の把握の仕方を教えるのが聖霊なのです。歴史の記憶……。ヘブライ人への手紙でその著者が『信仰における皆さんの父祖たちを思い起こしなさい(あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい、ヘブライ13章7節参照)』と招くとき、記憶があります。『その信仰の最初の日々、どれほど皆さんが勇敢であったかを思い出しなさい(あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください、10章32節参照) 』、記憶があります。わたしたちの人生の記憶、わたしたちの歩んできた歴史の記憶、イエスに出会うという恵みを得た時の記憶、イエスがわたしたちに語られたあらゆる時の記憶があるのです」。
「あの心から来る記憶、あれは聖霊の恵みなのです」とローマ司教は強調した。 そして記憶を持つということは、奴隷状態に陥れる自らの哀れな状況を思い起こすことでもあるし、同時にそのような哀れな状況からあがなう神の恵みの時を思い出すことでもある、と明確に説明した。
「そして少し虚栄が訪れる時、また少し聖性のノーベル賞がもらえるように思いこむときにも、記憶はわたしたちにとって益に働きます。『でも・・・どこであなたを抱き上げたか思い出しなさい。群れの端っこでしょう。あなたは群れの、後ろの方にいたのですよ』と。記憶というのは、大きな恵みです。そしてキリスト者が記憶をもたないとき-これは厳しいです、けれど本当のことです-、キリスト者ではないのです。偶像崇拝になってしまうのです。なぜなら歩みのない神、道を作ることを知らない神の前にいるからです。そしてわたしたちの神はわたしたちと共に道を作り、わたしたちの間に交じり、わたしたちと共に歩むからです。わたしたちを救うのです。わたしたちとともに歴史を作り上げるのです。ああしたことすべての記憶があって、人生はより実り豊かになるのです。この記憶という恵みをもって」。
パパ・フランシスコはその説教を、キリスト者への招きで終えた。めぐってきた歩みを忘れない人になるために記憶の恵みを求めるように、との招きで。「その人生における恵みを忘れないように、罪の赦しを忘れないように、かつて奴隷であり、主が救ってくださったことを忘れないように」。
(RC-RV)
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