マルコ10・1-12
バチカン、5月24日18時52分(バチカンラジオ)
「忍耐をもって耐え、内外からの抑圧に愛をもって乗り越える」。これは絶えざる御助けの聖マリアの記念の典礼を聖マルタの家の小聖堂でささげたミサの間に今朝、パパ・フランシスコがささげた祈りであった。
その説教において、フランシスコは二つの恵みを求めた。つまり、「忍耐をもって困難を耐え抜き、愛をもって乗り越える」ことである。それは「キリスト者に 特有の恵み」についてのことであると言った。そして「忍耐をもって耐え抜くことはやさしいことではありません」。「外から困難が押し寄せてくる時や、心や 魂に問題が届いたり、内側の問題になったりした時に、簡単ではないのです」と言った。そして耐え抜くということは「困難を抱え込むということではありませ ん」と説明した。
「耐え抜くということは、困難を手にし、力を出して持ちあげ、困難がわたしたちをつぶさないようにすることです。力を出して持ち上げること、これはキリス ト者の徳です。聖パウロはこのことを何度も語っています。耐え抜く。これは困難に打ちのめされてしまわないという意味です。これはキリスト者には腕を下げ ず、保つ力があるということです。困難を持っていく、けれどそれを持ち上げながら、耐え抜くことです。そしてそれは簡単ではありません。なぜならやる気が なくなったり、腕をもう下ろして『でも前に行こう。出来るだけのことをとりあえずやろう、でもそこまで』少しそのような感じで言いたくなったりするからです。けれど違います。耐え抜くというのは恵みなのです。困難において忍耐を願いましょう。
教父が求めたもう一つの恵みは「愛をもって乗り越えること」である。
「様々な方法で乗り越えることができますが、今日求める恵みは、愛をもって、愛を手段にした勝利の恵みです。そしてこれは一筋縄にはいきません。わたした ちをひどく苦しめる、敵とも言えるような存在が外側にあると、愛をもって乗り越える、というのは、容易なことではないのです。復讐心、その相手に何か仕返 しをしたい気持ちがわき起こります……。愛。イエスがわたしたちに教えたそのおとなしい態度。そしてそれこそが勝利なのです!使徒ヨハネはその最初の手紙 の中でわたしたちに言います。『勝利、それはわたしたちの信仰です』(5章4節)。わたしたちの信仰というのはまさに、わたしたちに愛を教え、わたしたち のすべての人を愛することを教えたイエスを信じることにあります。そしてわたしたちが愛のうちにあることの証拠は、わたしたちの敵のために祈る時に見られ るのです」。
敵のため、わたしたちを苦しめる人々のために祈ることは、「簡単ではありません」とローマ司教は続けて語った。しかし、もし敵をゆるさず、彼らのために祈 らないなら、わたしたちは「うちのめされたキリスト者」になる。そして叫んだ。「なんとも多くの悲しむキリスト者、落ち込んだキリスト者に出会うこと か!」なぜなら「忍耐をもって耐え抜き愛をもって乗り越えるこの恵みをいただいたことがないからです」。
「だからおとめマリアに、この忍耐をもって耐え抜き愛をもって乗り越える恵みを神が下さるように、取り次いでいただきましょう。どれほど多くの人々が、実 に多くの老人男女は特に、この歩みを通ったことでしょう!そしてそれを見るのはとても素敵なことです。その美しいまなざし、その落ち着いた幸福感をもって いる彼らを見ることは。多くを語りません。けれど忍耐強く愛に満ちた心を持っています。何が敵を赦すことで、何が敵のために祈ることかを知っています。実 に多くのキリスト者がそうやっています」。
このミサには広報評議会の従業員がその議長のクラウディオ・マリア・チェッリ卿とともに列席していた。そしてまさにこの日、中国の教会のために祈る日を 祝っていたので、福音宣教省の秘書であるサヴィオ・ホン・タイ・ファイ卿と、中国出身の司祭、シスター、神学生、信徒たちも列席した。
共同祈願の終わりに、パパ・フランシスコはこのような言葉で祈った。「尊い中国の民のために祈りましょう。主が彼らを祝福し、おとめマリアが守ってくださいますように」。 ミサは、中国語の聖母賛歌をもって閉じられた。
(マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ – RV).
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