バチカン、5月8日(バチカンラジオ)
サン・ピエトロ広場での一般謁見に、世界中から集まった7万人以上の信者が大いなる喜びと信心をもって参列したが、教皇はその要理の中心を聖霊に据えた。聖霊はわたしたちに「神はあなたを愛している」と告げる神のいのちの尽きることのない泉である。「わたしたちにこのことを言っているのですよ!神さまはあなたを愛しているんですよ、あなたのことが好きなのです」。そしてイエスのように神と周りの人々を愛するように招き、やむことなく、神は愛であること、神はいつもわたしたちを待っておられること、神は御父であり、本当のパパとしてわたしたちを愛しておられることを繰り返しわたしたちに語る聖霊によって導いてもらうようにと招いた。そしてこの日、アルゼンチンでは「ルハンの聖母」を祝っているが、教皇の側にはこの呼び名で知られ、愛されている聖母像が据えられていた。一般謁見を始める前に、教皇はその像の前でしばらく立ち止まり、祈りをし、白い花束をささげた。
わたしたちの言語(スペイン語)で要理の要約をし、挨拶をする前に、教皇は特別な仕方でアルゼンチンの守護者であるルハンの聖母のことを思い起こさせ、その御手にアルゼンチン人の喜びと心配事をすべて委ね、しっかりと強く聖母に拍手を向けるようにと招いた。
・・・・ スペイン語で語られた教皇のことば ・・・・
愛する兄弟姉妹の皆さん、
復活節は、その最高の意味において、聖霊の季節であり、五旬祭(聖霊降臨祭)をもってその頂点に達します。信仰宣言の中で神である聖霊への信仰を表明します。「主であり命の与え主(ぬし)」である聖霊、と。聖霊はわたしたちの間におられる神のいのちのかれることのない泉です。聖霊はイエスがサマリアの婦人に対して、その渇きをいつも潤し、人の心の最も深くにある望み、最も高くにある望みを満たすと約束した時のあの「いのちの水」なのです。なぜならイエスは「皆さんがいのちを得るため、しかもあふれんばかりに得るため」(ヨハネ10章10節)に来られたからです。聖霊は、父と子から出ており、キリストがその聖霊をわたしたちの心に注いで下さいました。こうしてわたしたちを神の子らとし、わたしたちの人生が聖霊によって導かれ、励まされ、養われるようにしてくださったのです。これはまさに、キリスト者は霊的な人である、と言う時に理解していることです。キリスト者というのは、聖霊のインスピレーションに従って考え、行う人です。そのように、聖パウロが言うには、キリスト者の存在は、聖霊によって励まされ、その実りで満たされています。その実りとは、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5章22―23節)である。貴い聖霊の賜物は、つまり、神の命そのものであり、わたしたちはそれによって養子の形で、本当の子らとなっているのです。
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スペイン語圏の巡礼者の皆さんに心からあいさつします。特にメキシコの代表者たち、スペインやコロンビア、ベネズエラ、他のラテンアメリカ諸国から来られた皆さんに挨拶します。今日、アルゼンチンの守護者であるルハンの聖母を祝います。・・・ルハンの聖母に拍手!!!・・・もっと強く!感じませんよ、もっと強く!ルハンの聖母の祝日に当たる今日、そのわたしの愛するアルゼンチンの地の子らすべてにわたしのまっすぐな愛情が届くように強く願っています。同時にその喜びと心配事のすべてを聖母の御手に託します。
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