2013年4月17日水曜日

16日朝ミサ:聖霊が第二バチカン公会議で求めたことを果たすように

朗読個所  : 使徒7・51~8・1a
           ヨハネ6・30-35

http://blogs.yahoo.co.jp/therese1897/31802407.html?type=folderlist


バチカン4月16日10時57分(ACI/EWTNニュース)

聖マルタの家の小聖堂で捧げられたミサの最中に、教皇フランシスコは第二バチカン公会議において聖霊が求めたことの全てはまだ果されていない、なぜなら公会議教父に神が与えた霊感に従うことよりも、大半が快適さの誘惑に身を任せることの方を好んだからである、と注意を促した。

 その説教のなかで、教皇は、聖霊はいつも「わたしたちを動かし、わたしたちを歩かせ、教会が前に向かってゆくように後押しをします」と思いださせた。しかしながら「わたしたちはご変容のときに『ここに、皆一緒にいるのは何と素晴らしいことでしょう』と言っていたペトロのようです」。

 「わたしたちの邪魔をしないでくれ。聖霊がうつらうつら眠っている方がいいんだ。聖霊を「飼いならし」たいんだ。というようなことにはどうにもなりません。なぜなら聖霊は神であり、どこから吹いてきてどこに吹いて行くか分らない風のようなものだからです。聖霊は神の力です。聖霊はわたしたちに慰めを与え、前に進み続けられるインパルス(内なる推進力)です。でも・・・でも・・・(と言わず)、前に進むのです!これがうんざりの原因です。快適な方がいいからです」と表現した。

 News.vaの情報によれば、フランシスコは今日この頃、それが続いていることを中止した。というのはたとえ聖霊の現存のおかげで「全員が満足している」ように見えても、「それは本当ではない」からである。

 「この誘惑はまだ現在進行形です。一つだけ例を挙げましょう。公会議について考えてみましょう。公会議は聖霊の美しい働きでした。教皇ヨハネ23世のことを考えてください。普通のいい主任司祭のように見えただけですが、聖霊に対して従順で、公会議を召集しました。けれど50年たって、どうでしょうか? 公会議で聖霊が語ったことすべてを行ってきたでしょうか? 公会議に見られた教会の成長の延長線上にいるでしょうか? 否ですね」。

 「この50周年記念を祝おう。大切な時としよう、けれど邪魔はしないで。わたしたちは変わりたくない。さらには、後退したがる声までが聞こえています。こういったことを頑固だ、というのです。それを、聖霊を飼い慣らそうとすること、と呼ぶのです。それを『物分かりが悪く心が鈍」くなる、と呼ぶのです」と忠告した。

 教皇は個人的な生活でも同じことが起こると指摘した。「聖霊はより福音的な道を巡り歩くようにわたしたちの後押しをします」。しかし、わたしたちが抵抗するのである。

 フランシスコは、「聖霊に反抗しないように。聖霊こそが、そのイエスの自由をもって、その神の子らであるということの自由をもって、わたしたちを解放してくださる方なのです!」

 「これこそが主にわたしたちすべてが求めるようにとわたしが望んでいる恵みです。聖霊への素直さを求めましょう。わたしたちのもとに来て、わたしたちが聖性の道を前進できるようにしてくれる聖霊を、その教会のこれほどまでに美しい聖性の道を。聖霊への従順の恵みを」と教皇は表現した。

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