朗読個所 : 復活の火曜日
使徒言行録2・36-41
ヨハネ20・11-18:http://blogs.yahoo.co.jp/therese1897/31720895.html?type=folderlist
バチカン4月2日11時17分(ACI/EWTNニュース)
聖マルタの家で司式されたミサの短い説教において、マグダラのマリアについての福音個所を黙想しながら、教皇フランシスコは信者に、この復活節に復活したキリストを見ることができるようになるために、涙の恵みを神に祈るよう促した。
聖体祭儀に与ったバチカンの国境警備隊や他のそこで働いている人たちを相手に、教皇は空の墓を見て泣いた「罪深い」女の個所についての黙想を繰り広げた。
教皇はマグダラのマリアは「イエスが、この女は多く愛したからその多くの罪は赦されたと言った」女性であると述べた。しかしながらこの女性はイエスを見なかったことで「そのあらゆる希望の喪失に直面」しなければならなかった。だから泣いていた。
「わたしたちは誰でも、自分の人生において、喜びを感じたり、悲しみを感じたり、痛みを感じたりしてきました」。しかし「最も暗かった時に、わたしたちは泣いたことがあるでしょうか?目を見るため、主を見るために整える涙の優しさを持ったことがあるでしょうか?」
泣くマグダラのマリアを前に、教皇は次いで「わたしたちも主に涙の恵みを求めることができます。それは美しい恵みです…。あらゆることを願いながら泣くこと。よいことのため、わたしたちの罪のため、恵みのため、同じ喜びのため」というのは「嘆きはわたしたちがイエスを見るよう備える」からであると言った。
教皇は、主こそが「わたしたちすべてに、彼が出現したからではなく『心の中で彼を見た』からという理由で『わたしは主を見た』と自分の生活をもっていうことができる恵みをくださる」方であると指摘した。
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