ヨハネ6・22-29:
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バチカン4月15日11時53分(ACI/EWTNニュース)
教皇フランシスコは今朝の、聖マルタの家の説教のなかで、中傷の破壊的力について考えをめぐらした。教皇はこれをただの罪「よりも何かもっとひどいもの」であると捉えた。それは憎しみから生まれ神のわざを破壊することを求めているからである。
教皇は今日の朗読個所に触れ、教会の最初の殉教者であり、福音の証しのために最高法院に連れられて行った聖ステファノの話を語りなおした。
教皇はステファノは中傷の犠牲者であったと説明した。「偽証」をもって彼は糾弾され、「善意の人々の間での正しい戦い」は影を潜めている。なぜならその敵対者たちは汚い試合の道、「誹謗中傷の道」を取ったからである。
誹謗中傷は罪よりもひどい、サタンの直接的な表現である、と付け加えた。「わたしたちは皆罪びとです。皆、罪を犯してしまいます。けれど中傷は種類が違います。当然それも罪ですが、罪よりもひどいものです。中傷は神のわざを破壊することを目的としており、とても悪いものから出ています。憎しみから生まれているのです。憎しみはサタンのわざです。中傷は人柄のなかで、その魂のなかで神のわざを破壊するのです」。
「中傷のあるところには、サタンそのものがいます」と加えた。
聖書の話に触れながら、教皇は、ステファノは自分のいのちを守るために嘘をつくようなことはしなかったことを思わせた。「ステファノは主を見、律法に従いました」と。そして教皇は、これは教会の歴史をもって起こる出来事であると捉えた。 なぜなら最初の殉教者から今日に至るまで、福音の勇気ある証しの数知れない模範が見出されるからである。
「けれど殉教者の時代は終わっていません。実際むしろ今日、教会は今最初の数世紀よりももっと多くの殉教者に満ちているということができます。教会には多くの男女で、中傷によって名誉棄損を被った人々、迫害されている人々、イエスへの憎しみのために殺された人々、信仰への憎しみのために殺された人々がいます。要理を教えるために殺された人もいれば、十字架を使っているという理由で殺された人もいます。今日も、多くの国々で、名誉棄損を被り、迫害されています。彼らはこの殉教者の時代において今日苦しんでいるわたしたちの兄弟姉妹です」と確言した。
教皇にとって、これは「霊性の大いなる混乱の時代」であるが、ロシアの古いイコンで聖母マリアがそのマントをもって神の民を覆っている様子を描いたイコンを思い出した。
「わたしたちを守ってくださる聖母に願いましょう。霊的に曖昧な時代にあって、最も安全な場所は、聖母のマントのもとなのです。マリアは教会を守る母です。そしてこの殉教者の時代にあって、マリアは主役です。守護の主役なのです。マリアは母です。信仰をもって言いましょう。お母さん、教会はあなたの守護のもとにあります。教会を守ってください」。
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