黙示録21・1-5a
ヨハネ13・31-33a、34-35
4月28日、バチカンラジオ
予定されていた通り、この復活節第五主日に、信仰年の活動の一環として、教皇フランシスコは五大陸の全教会の代表として全世界からの44人の青年たちに、初めて堅信の秘跡を授けた。その朝10時に祝われたミサ中の説教において、サン・ピエトロ広場に集まった7万人の人々を前にローマ司教である教皇は、次の三つのポイントについて考えを巡らせた。神の新しさ、人生の苦難、そして主のゆるぎなさである。
教皇の説教全文:
愛する兄弟姉妹の皆さん、ようこそ!
堅信の秘跡を受けようとしている愛する兄弟の皆さん、今日は三つのアイデアについて簡単に短い考えをめぐらそうと思います。
1.第二朗読で、聖ヨハネの美しいヴィジョン(幻視)の場面を聞きましたね。新しい天と新しい地があって、それから神のもとから降ってくる聖なる都が出てきます。全部が新しい、善いことに変えられて、美しいもの、本当のものに変えられています。もう嘆きも、喪に服することもありません。……これが聖霊の働きです。神さまのニュース、新しさがわたしたちを魅了します。君のところに来て、全ての物事を新しくして、君を変えてくださるのです。聖霊はあなたを変えます。そして聖ヨハネのヴィジョンについて聞くと、天のエルサレムに向かってわたしたちはみんな歩いているのだということを思い出すことができます。わたしたちにとって、それからすべての現実にとって決定的な新しさに向かって歩いているのだ、ということを。その日は、主の顔を見ることのできる日、主であるイエス様の素晴らしい顔を見ることができる日で、イエスさまと一緒に、いつまでも、その愛のうちにいることができるのです。
ごらんなさい、神さまのニュースは世俗的なニュースとはずいぶん違うでしょう?世俗的なニュースは、一時的なもので、過ぎゆき、いつも他のことを探しています。神さまがわたしたちの人生にくださるニュースは、決定的なもので、いつか主と共にいられるようになった将来だけでなくて、今日も与えてくださるのです。神さまは全てのことを新しくしています。聖霊は本当にわたしたちを造り変え、わたしたちを当てにしながら、わたしたちが生活しているこの世を造り変えたいと望んでいます。扉を開けましょう。聖霊の導きに委ねましょう。神のたゆまぬ働きが、わたしたちを聖霊がわたしたち下さる、神の愛による気力に支えられた新しい男子、新しい女子としてくださるように委ねましょう。もし皆さん一人一人が、「今日は学校で、家で、仕事場で、神に導かれて、友達に、良心に、おじいさんに愛をもって接することができた」と毎晩言えたらどんなにすばらしいでしょう!美しいですね!
2.二つ目のアイデアです。第一朗読で、パウロとバルナバは「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(使徒14章22節)とはっきりと言いました。教会の歩みは、わたしたちの個人的なキリスト者としての歩みもそうですが、必ずしもいつもスムーズにいくというわけではありません。困難や苦難に直面することもあるのです。主に従うということ、わたしたちの闇の部分を変えるようにと聖霊に委ねること(というのはわたしたちの振る舞いは必ずしもいつも神に従ったものではありませんから)、そして聖霊がわたしたちの罪を洗うようにと委ねることは、多くの障害に出くわす歩みなのです。わたしたちの外側、わたしたちのことをしばしば理解しない、わたしたちが生活している世の中にも、わたしたちの内側、わたしたちの心の中にも障害があります。けれども、困難や苦難というのは、神の栄光に至るための歩みの一部を成しているのです。それは、イエスが十字架において栄光を受けられたのと同じです。生きていると、必ずこういうことに出会うものです。気を落とさないようにしましょう。苦難を乗り越えるために、聖霊の力を得ているのですよ。
3.そういうわけで、最後のポイントに参ります。これはわたしが皆さん、これから堅信の秘跡を受ける男の子たち、堅信の秘跡を受ける女の子たちと、ここにおられる皆さんすべてに向ける招きです。主における確かな希望をもって、信仰の道にゆるぎなくとどまりなさい。ここに、わたしたちの歩みの秘密があります。主はわたしたちに、流されずに歩む勇気を与えてくださいます。青年の皆さん、よく聞きなさい。流れに流されずに行くのです。これは心によいものですが、流れに逆らっていくには勇気がいります。そして主がわたしたちにこの力を下さるのです。困難はないのです。困難はないのですよ(拍手が沸き起こる)。もし枝がブドウの木につながっているようにわたしたちが主と一致し続けているならば、もし主との友情を失わないなら、もしわたしたちの生活の中で主といるためにますますスペースを割くならば、怖れに値するような困難や苦難、無理解などないのです。このことはまた、なによりも、もしわたしたちが貧しさを感じ、弱さを感じ、罪びとと感じるならば、同じように大丈夫です。なぜなら神さまはわたしたちが弱い時に力を与え、貧しさを富ませ、罪には回心とゆるしを下さる方だからです。主というのは、本当にあわれみ深く、もし彼のもとに行くなら、毎回必ずわたしたちをゆるしてしまうのです。
神さまのはたらきに信頼しましょう。神さまと一緒なら、偉大なことを成し遂げることができ、わたしたちに主の弟子でよかった、主の証人でよかったと感じられるようにしてくださいます。偉大な理想に賭けなさい。偉大なことに賭けなさい。わたしたちキリスト者は小さなことのために主から選ばれたわけではないのです。いつも、もっと向こうへ、偉大なことに向かって行きなさい。青年たちよ、偉大な理想のために人生を賭けに出しなさい!(拍手が沸き起こる)
神の新しさ、人生の苦難、主におけるゆるぎなさ。愛する友達の皆さん、わたしたちの人生の扉を左右いっぱいに開いて聖霊がわたしたちに下さる神の新しさを迎え入れましょう。そうして聖霊がわたしたちを造り変え、わたしたちを苦難において力づけ、主との一致ををさらに強いものとし、わたしたちが主においてゆるぎなく留まることができるようにしてくださいますように。これこそが、本当の喜びなのです。なれかし(アーメン)。(拍手)
(スペイン語訳:バチカン・ラジオ、マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ)
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