朗読個所 : 使徒言行録13・44-52
ヨハネ14・7-14:http://blogs.yahoo.co.jp/therese1897/31863590.html?type=folderlist
4月27日、バチカンラジオ
キリスト者の共同体は 主に開かれ、喜びに開かれ、ポジティブな証しに開かれていなければならない。もしある共同体が自由でないならば、本当の信仰共同体ではない。自分自身に閉じこもり、ネガティブな力で支配されてしまう。教皇はこのことを、聖マルタの家の小聖堂で27日土曜日の朝ささげられたミサの説教の中で強調した。そこにはバチカンの郵便局の職員たちや『聖マルタ』小児科医院のボランティアグループも列席していた。
共同司式には、シリアの教皇大使であるマリオ・ゼナーリ大司教や、クロアチアのポレツ・イ・プラ司教であるドゥラジェン・クトレシャ卿も見受けられた。
「その(ネガティブな力で支配された)共同体生活は、真理を守ろうとしていると思いこんでいるのですが、その真理を守るための生き方というのは、中傷やうわさ話にあります。うわさ好きの共同体です。他人の考えと逆のことを話し、他の人を格下げします。その反対に、自由な共同体、神の自由や聖霊の自由をもった共同体は、迫害においても前進し続けたものです。そして主の言葉は全地域に広まっていきました。
前進していく、広まっていく、というのは主の共同体に独自のものです。善というのはそういうものです。いつも広まっていく。この教会の判断基準をもって、良心の糾明のうちに尋ねましょう。「わたしたちの共同体はどうなっているだろうか?所属修道会は?所属している小教区は?神の言葉を広めるようにと後押しする聖霊に対して開かれているだろうか、それとも閉ざされていて、主がファリサイ派の人に言われたように信者の肩にあまりに多くの決まりごとを担わせていないだろうか?」
(スペイン語訳、報告:マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ)
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