バチカンラジオ4月2日
福者ヨハネ・パウロ二世の逝去から8年を数えるこの日、あの2005年の4月2日にカトリック教会が、キリストの希望と愛の福音をその26年間の教皇在位期間中に、世にある広場という広場に運んだ愛すべき牧者のために、祈りにおいて一致していたことを思い出す。
それは白衣の主日の前夜祭であり、2000年の大聖年の4月30日に、シスター・マリア・ファウスティーナ・コワルスカの列聖式を機に教皇カロル・ヴォイティワによって定められた神のあわれみの主日の前夜祭であった。これは、復活の八日間を締めくくる日曜日が「物質的にも霊的にも存在する人の悲惨のすべてに体を傾けながら、苦しむ人に向けて開かれたその手のしぐさを通してわたしたちに達し続けている」イエスのあわれみのメッセージを記念するようにとの切望から定められたのである。
「それは心を入れ替え、平和を与え尽くす愛です」とヨハネ・パウロ二世は「世は神のあわれみを理解し迎え入れる必要性を多く抱いている」と強調しながら書いた。そして今日のようなある日、ベネディクト十六世は、世界青年の日のための、教皇のスペインへの旅行に感謝するためにバチカンを訪れた、マドリッドからの五千人の巡礼者を迎えるにあたり、人類に対するキリストの愛の宣教師となるようにと励ましながら、その愛すべき前任者のことを思い出した。彼らを「どんな時でもどこにいても勇気と忠誠を保って、世を変え、友のなかの友であるキリストの力と光を証しする」ように促した。
ベネディクト十六世はパウロ六世ホールにおける、大いなる喜びと熱意の雰囲気で盛り上がった謁見で、その大勢で愛すべき友人たちを迎え、福者ヨハネ・パウロ二世を記憶に呼び起こした。そしてその言葉は感動と大喝采のうちに受け入れられた。
「ペトロの聖座と共に、世界青年の日(ワールドユースデー)を機にスペインに旅行する教皇に感謝するために夢をもって企画したこの巡礼を成り立たせている皆さんを歓迎できることは、うれしいことです。今日、その天国への移行を記念している、わたしの愛する前任者である福者ヨハネ・パウロ二世によって力強く推し進められたこの司牧のイニシアティブの主役であり一番の相手である皆さん、青年たちに心から、特別な仕方で挨拶をします」。
そして8年前、当時ブエノス・アイレスの大司教でありアルゼンチン教会の枢機卿であったホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は、神のみ旨へのその心の従順と超越性における首尾一貫性を特記しながら、ヨハネ・パウロ二世の記念のミサをささげていた。
「かつて今の世紀は教師はいらない、証し人が必要だ、首尾一貫した人が証し人だ、と語った首尾一貫した人を思い出します。自分の肉をロースターにかざし、その肉とそのいのち全般、その透明性によって説教することの保証人となった人です」とベルゴリオ枢機卿はヨハネ・パウロ二世について語り、「純粋な一貫性によってその手を泥まみれにし、兄弟殺しの大虐殺からわたしたちを救ってくれたこの首尾一貫した人(訳者注:アルゼンチンとチリの緊張関係に割って入って戦争を回避したことか?)、温もりを信じていたからその腕に子供たちを抱いて喜んだこの首尾一貫した人を。一度ならず道をぶらつく人々を招き、彼らに語りかけ、彼らに新しい生活条件を与えたこの首尾一貫した人を。体の調子がいいと感じた時には自分を殺そうとした人と話すために刑務所を訪れる許可を願ったこの首尾一貫した人をわたしたちは思い起こすのです」。
ベルゴリオ枢機卿は、これこそ証し人であると述べた上で、次の言葉を繰り返しながらその説教を締めくくった。「この世紀が必要としているのは教師ではなく、証し人なのです」。そしてみ言葉の受肉において、キリストは忠実な証し人である。今日、ヨハネ・パウロのうちにこの忠実な証し人の模倣をわたしたちは見る。と述べ、一字一句間違えないようにと加えて繰り返した。「そしてヨハネ・パウロがその人生をそうやって、首尾一貫して閉じたこと、その人生をただ単純にそのようでありながら閉じたことにわたしたちは感謝するのです。ひとりの忠実な証し人として閉じたことに」。
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