ヨハネ1-・1-10
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バチカン、4月22日11時20分(ACI/EWTNニュース)
聖マルタの家の小聖堂で今朝祝われたミサ中の説教で、教皇フランシスコは神の国に入るための「真の扉」はイエスであることを確かに告げた。
聖体祭儀にはローマ聖庁の会見事務室とバチカン放送局の職員が列席していた。
教皇は、イエスは「扉を通って羊の囲いに入ることをしない人は牧者ではなく」むしろ「泥棒かごろつきです」ということを確認した。
「同様に、そういう人がキリスト者の共同体にもいます。自分自身の利益を求めていて、意識的にか無意識的にか、扉を通るふりをしていて、実際は泥棒、という人です。なぜならそういう人はイエスの栄光を盗み、自分の栄光を求めるからです」と教皇は注意を促した。
こうした人たちは、「まことの扉を通って来ませんでした。まことの扉はイエスであって、その扉を通って入らなければ、過ちを犯すのです」と指摘した。
「どうすればわたしたちはイエスがまことの扉であると知ることができるのでしょう?」フランシスコは尋ね、聖マタイが語っているような真福八端(幸いへの道)をもって、「謙虚でありなさい、貧しくありなさい、柔和でありなさい、正しくありなさい」と答えました。
教皇は真福八端の提案と異なる何かをするように提案してきたら、「相手にしない」ようにと注意した。
「扉はいつもイエスで、その扉を通って入る人は、誤ることがありません。イエスは扉であるだけでなく、小道であり、道であるのです。多くの小道があります。他のよりも便利に見える小道もあります。けれどもそれらは欺瞞に満ちています。嘘つきなのです」と指摘した。
教皇は「この扉でいつも呼びかける恵みを今日願いましょう。しばしば呼ぶための問題を抱えますが、しかしもっと簡単に見える他のものを探しに行かないようにしなさい」。
「扉は、がっかりさせず、だましもしないイエスそのものです。わたしたちのために彼はいのちを渡しました。そして一人一人が言わなくてはなりません。『わたしに命を与えてくださったのですから、入れるように』」と言った。
主よ、わたしに扉を開いて下さい。わたしは「そのほかの」扉ではなく、「この」扉を通って入りたいのです?
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