朗読個所 : 使徒言行録5・34-42
ヨハネ6・1-15 : http://blogs.yahoo.co.jp/therese1897/31779590.html?type=folderlist
バチカン4月12日10時51分
今朝聖マルタの家で捧げられたミサの間に、教皇フランシスコはキリスト者はいつも謙虚であり勝利主義の誘惑から離れなければならないことを思い出すよう促した。
「主がわたしたちを勝利主義の幻想から救ってくださいますように。なぜなら勝利主義はキリスト者のものではない、主のものではないからです。主の道は毎日の歩みで、神の現存のうちになされるものです」と確言した。
バチカン・ラジオの情報によれば、この祭儀にバチカン出版の本屋のメンバーも、バチカンの薬局と香水屋の従業員たちと共に参加した。
教皇はその説教を、イエスに従う者に何が起こるかを見るために待つことを求める、最高法院のガマリエルの言葉について巡らした。
「これはわたしたちの人生においても知恵のある助言です。というのは時というものは神のメッセージの伝達者だからです。神は時を通じて、その瞬間にではなく、わたしたちを救います。しばしば奇跡を起こしますが、普通の生活では、時間をかけて救います。「歴史において」わたしたちを救う、一人一人の「人格的な歴史」においてわたしたちを救うのです。
教皇は、主は「魔法の杖を持った妖精のようにではなく、その逆で、恵みを与え、言います。イエスが癒した人々に向かってよく言っていたのと同じ言葉です。『自分の人生を歩みなさい。主がわたしたちになさるあらゆることの証しをしなさい』と」。
この意味で、教皇フランシスコはキリスト教徒の生活にはびこる「大いなる誘惑」を嘆いた。「それは勝利主義です。使徒たちにもあった誘惑です」。
「ペトロにもありました。主を知らないと言わない、と堂々と約束した時です。またパンの増加の出来事に参加した後の民衆もそうです」。そして続けた。「勝利主義は、主からのものではないのです。主は粗末な地球に入りました。30年の人生を送り、普通の子供として育ち、仕事にもまれ、ついに十字架の試みを受けました。そして最終的に、復活したのです」。
「そういうわけで、主は人生において全てが魔法なのではないと教えます。勝利主義はキリスト者のものではないのです。なぜなら人生というのは毎日の、キリストと共に生きられた普通のことで成り立っているからです」。
「これが求めなければならない恵みです。根気の恵みです。主の道において、最後まで、毎日根気よくある恵みです」と結んだ。
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