2013年3月31日日曜日

3月31日、復活祭朝:公式な祝福Urbi et Orbi(ローマ世界と全世界へ)

こちら、正式なカトリック中央協議会からの翻訳でどうぞ→http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0013.htm

ビデオ: http://www.youtube.com/watch?v=hC94U5Iunnc&feature=g-high-u
朝日新聞デジタルによる記事:http://www.asahi.com/international/update/0331/TKY201303310097.html

バチカン、3月31日9時11分(ACI/EWTNニュース)

復活祭のUrbi et Orbi(訳者注:教皇によってローマ世界=Urbiと全世界=Orbiに向けてなされる公式な祝福)のメッセージ

親愛なるローマと、全世界の兄弟、姉妹の皆さん、
復活祭おめでとう!
 
 わたしの奉仕職の始まりに、次の宣言を皆さんに告げることができることができるのは、ものすごくうれしいことです。キリストは、復活された!と。家という家、家族という家族に、特により苦しみを抱えている家族に、病院という病院に、刑務所という刑務所にこの祝福が届いたら、と望んでいます。

 何よりも、皆さん一人ひとりの心に届きますように。というのは皆さんの心こそ、この良い知らせ、イエスは復活した、という知らせ、希望はあなたのためにあり、もはやあなたは罪や死の支配下にはいない、という知らせを神が蒔こうと望んでおられる場所だからです。愛が勝ち、あわれみが勝利を得たのです。いつでも神のあわれみが勝つのです。

 わたしたちも、墓に行ってその墓が空であるのを見つけたイエスの弟子であった女性たちのように、この出来事は一体何なのか を自問できるでしょう(ルカ24章4節参照)。
 イエスが復活されたとは、何を意味するのでしょう?神の愛は悪や死そのものよりも強いということを意味します。神の愛はわたしたちの人生を変えることができ、わたしたちの心にある砂漠、その涸れ果てたところに花を咲かせることができるということを意味します。

 これは神の愛のなせる業です。神の子が人となったことによって示されたのと同じこの愛が、そして謙遜と自己譲与の小道の行きつくところまで行き、死者の国に下ってまで、神と切り離されるふちにまで下ってまでした、この同じあわれみに満ちた愛がイエスの亡骸を光であふれかえらせ、イエスの姿を変え、永遠の命へと過ぎ越すのを実現したのです。

 イエスは以前持っていたいのち、地上での生活に戻ったわけではなく、神の栄光のいのちへと入り、わたしたち人間の持つ性質をもってそこに入り、わたしたちに希望に満ちた未来を開いてくださったのです。

 ここに、過ぎ越しの何たるかがあります。出エジプト、すなわち人の、罪の奴隷状態、悪の奴隷状態から愛と善の自由への移行です。それは神がいのちだから、ただひたすら、神はいのちだからです。そしてその栄光とは、わたしたち、生きた人なのです(聖イレネウス『異端論駁』4,20,5-7)

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、キリストは一度きり、またすべての人のために、死んで復活しました。 けれど復活の力、この悪の奴隷状態から善の自由への移行は、あらゆる時代に、わたしたちの人生の具体的な時点、わたしたちの日常生活において実践されなければならないのです。

 今日も、どれほどの砂漠を人間は通り抜けなければならないでしょう!特に神への愛と隣人への愛が足りない時、創造主がわたしたちにくださったもの、くださるものすべてを庇護するということに対する意識がない時、その人の内側にできる砂漠を通り抜けなければなりません。けれど、神のあわれみは最も荒れ果てた土地に花を咲かせることができ、乾いた骨をも、もう一度生かすことができるのです(エゼキエル37章1-14節参照)。

 ここに、つまり、わたしが皆さんにしている招きがあります。キリストの復活の恵みを受け入れましょう。神のあわれみによって新たにされましょう。愛の力に、わたしたちの人生をも変えてもらいましょう。 そしてわたしたちをこのあわれみの道具、神が地に水を注ぎ、あらゆる作られたものを見守り、正義と平和を花開かせるための樋(とい)としましょう。

 そういうわけで、死をいのちに変えてくださる復活されたイエスに、憎しみを愛に、仕返しをゆるしに、戦争を平和に変えていただくように願いましょう。そうです、キリストはわたしたちの平和です。そしてイエスを通して全世界のための平和を願い求めましょう。

 中東のための平和、特に和平の道を見出すのに苦労しているイスラエルとパレスチナの人々の間での平和を求めましょう。はっきりとした、心構えのできた取引が再開し、あまりに長い間続いている対立に終止符を打つことができますように。

 イラクのための平和を求めましょう。あらゆる暴力が決定的に終わりますように。そして特に、愛すべきシリアのための平和を求めましょう。対立と援助と慰めを待っている多くの難民たちの影響を受けている民衆のために。どれほどの血が流れたでしょう!そして危機に対して政治的な解決を見出すことができるまでに、まだどれほどの痛みを引き起こすことになるのでしょう?

 いまだ血みどろの対立の舞台となっているアフリカのための平和を求めましょう。 マリ王国のために祈りましょう。一致と安定を再度見出すことができますように。ナイジェリアのために祈りましょう。悲しいことに、多くの無実の人のいのちがひどく脅かされており、子供も含んだ多くの人々がテロ集団の捕虜となっているところで、テロ行為が鳴りをひそめないナイジェリアの平和のために。

 コンゴ民主共和国と中央アフリカ共和国のための平和を求めましょう。多くの人々が家を追われ、いまだに恐怖のうちに生活している両国の平和のために。

 アジアでの平和を求めましょう。特に朝鮮半島での平和を。逸脱を乗り越え、 新たにされた和解の精神を成熟させますように。

 全世界に平和を求めましょう。簡単な収入を求める人々の貪欲によってまだこれほどにも分裂し、人のいのちと家庭生活を脅かす自己中心主義(エゴイズム)、21世紀になって最も広まっている奴隷制である、人身売買を続けるようなエゴイズムによって傷ついている世の平和のために。

 人身売買は、21世紀の最も広まっている奴隷制なのです!麻薬の密輸入と結びついた暴力と天然資源の不当な搾取によって切り裂かれた世界。このわたしたちの地球に平和がありますように。

 復活されたイエスが、自然災害の犠牲者の皆さんに慰めをもたらしてくださいますように。そして、わたしたちを被造物の責任ある庇護者としてくださいますように。

 兄弟姉妹の皆さん、ローマで、また全世界でわたしの声を聞いている皆さん、わたしは皆さんに詩篇の招きの言葉を向けます。「恵み深い主に感謝せよ、神のいつくしみは永遠。イスラエルの家よ言え、『神のいつくしみは永遠』」(詩篇118編1-2節)。


 兄弟姉妹の皆さん、世界のあらゆる地域から来て、キリスト教の核ともいえるこの広場に集まった皆さんと、メディアを通して心を一つにしている皆さんに改めてわたしの望みを述べたい。
 幸せな復活祭をお過ごしください!

 皆さんの家族、皆さんの国に、毎年この日に力強く新たにされる喜び、希望、平和のメッセージを運んでください。 そして、罪と死に打つ勝たれた復活の主が、皆さんを、特に最も弱い人たち、助けを必要とする人たちを助け、支えてくださいますように。

 皆さん、来てくださったこと、また皆さんの信仰の証しに感謝します。
 もうひとつ、特別な謝辞ですが、こんなにも美しい花々を送ってくださったオランダの下町の皆さんに感謝します。皆さんに改めて言います。主が、皆さんを、全人類を、正義、愛、平和の道へと導いてくださいますように。

 (引き続いて、教会の式文にのっとり、ストラをつけて、全免償の祝福)

教皇:  ペトロとパウロが、わたしたちに与えられた権威のために、
    皆さんとわたしのために取り次いで下さいますように。
    終生おとめなる聖母マリアの功徳と祈り、大天使ミカエル、洗礼者聖ヨハネ、
    使徒聖ペトロとパウロ、そしてすべての聖人の取り次ぎによって、
    主が皆さんに憐みを注ぎ、すべての罪をゆるされた皆さんを、
    永遠のいのちに導いて下さいますように。
会衆: アーメン。
教皇: 皆さんのあらゆる罪の全免償と赦し、実りある償いの時間、
    つねに悔い改める心、つねに悔い改める生活、聖霊の 慰め、
    よい業の継続の行く末(=天国)を、
    全能であり憐み深い神が皆さんに与えてくださいますように。
会衆: アーメン。
教皇: 父と子と聖霊の祝福が皆さんの上に降り、いつまでも留まりますように。
会衆: アーメン。

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