2013年6月7日金曜日

6月6日、朝ミサ説教:神を愛するのを妨げる(隠された)偶像を暴くように

朗読個所  : 聖ノルベルト司教
         トビト6・10-11、7・1、9-17、
            8・4-9a
         マルコ12・28b-34

バチカン、6月6日19時28分(バチカンラジオ)
 
 「わたしたちはそれぞれ小さい偶像崇拝や大きい偶像崇拝を生きています。けれど神に導く道はイエスがわたしたちに教えたように、神の道へのひたむきな愛を通るのです」。聖マルタの家の小聖堂で今朝祝われたミサの説教の中でパパ・フランシスコはこう確言した。

 共同司式には三人の高位聖職者が上がった。ブラジルはクリチバの大司教であるジョゼ・ヴィッティ卿、スペインのイビザの大司教であるフアン・セグーラ卿、そしてインドのサガル大司教であるチラヤト・アントニー卿である。参列者の中には、バチカン聖座図書館の副監督であるアンブロジオ・パイッツォーニ師に伴われた協力者のグループと、聖座ラテラン大学の副学長であるパトリック・ヴァルドリーニ卿に率いられた信徒代表者のグループが列席した。

 律法学者がイエスに近づき、イエスの意見によれば、あらゆる掟の中で一番のものは何かを尋ねに行った時は、おそらくその意図はそれほど無垢なものではなかっただろう、とパパ・フランシスコはその説教を始めるにあたり、今日の典礼の福音の話に出てくる、「イエスを試み」しかも「罠にかけようとする」その男の振る舞いを評価するところから始めた。そしてイエスの聖書の引用によれば、「聞け、イスラエルよ、主はわたしたちの神、唯一の主である」ということに律法学者が肯定しながら言い返すところでのキリストのコメント、つまり「あなたは神の国から遠くない」というコメントについてパパは注意を促した。

  「要するに、その『あなたは遠くない』という言葉によって、イエスは律法学者に『あなたは理論をよく知っていますよ』でも「神の国との距離はまだありますよ』つまり、あなたはこの掟を現実のものに変えるために歩まなければならない、神への信仰告白が人生の歩みを作り上げていくのだからと言おうとしています」とパパ・フランシスコは説明した。

 「『でもわたしは神を信じています、神は唯一の神です』というだけでは十分ではありません。すべてよいのですが、あなたはこれを人生の歩みにおいてどう生きているのですか?なぜならわたしたちは『主は唯一の神であり、他にいない』と口では言いながら、まるで彼が唯一の神ではなくわたしたちの心構えに対して他の神のようなものを持つことができるからです。……偶像崇拝の危険にあるのです。それは世の精神を持ってわたしたちのもとに訪れる偶像崇拝です。そしてイエスは、このことに関してはっきりしていました。世の精神は、だめだ、と。そしてイエスは最後の晩餐の席で、世の精神はわたしたちを偶像礼拝へと導くので、世の精神からわたしたちを守ってくれるようにと父に願います。

 「偶像礼拝はずるがしこいのです」とパパは続けて言った。そして加えて『わたしたちは皆、自分の隠された偶像を持っています」と言った。一方で「神の国に到達するため、神の国から遠くないための道は、隠された偶像をあらわにする形で行われるのです」。聖書ですでに、偶像を自分では持ち運ばないふりをするけれど、一方で父の家を自分のものとし、その台座の裏に隠すヤコブの妻ラケルのエピソードに見られるふるまいである」とパパは思い返した。

 「同様にわたしたちも、わたしたちの(心の)台座の裏にそうした偶像を隠し持っています。けれどそれらを探し出さねばならず、また破壊しなければならないのです」と教父は確言した。「なぜなら神に従うためには、唯一の道は忠実さに基礎を置いた愛の道だからです。

 「そして忠実さは、わたしたちに偶像を捨て去るように求めます。わたしたちがそれらを見つけるように、偶像がわたしたちの人格(パーソナリティ)の中や、生き方の中に隠れているから、と。けれどもこうした隠れた偶像が、わたしたちが愛に忠実ではないようにするのです。使徒聖ヤコブは、「世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです」(4章4節)と語る時、「姦淫をした者たち!(新共同訳=神に背いた者たち)」と言って始めます。わたしたちを叱りますが、この形容詞を付けて叱るのです。姦淫をした者たち、と。なぜでしょうか?なぜなら、世の『友』は偶像崇拝者であり、神の愛に忠実ではないからですよ!神の国から遠くないところにいるための道、神の国で前進していく、前に進むための道は婚姻の愛と似た忠実の道なのです」。

 「わたしたちが持っている小さな偶像やあまり小さくない偶像をもってしても、どうすればそれほどまでに大きな愛に対して忠実でないようになれるのでしょうか?」とパパはその説教を結ぶにあたり尋ねた。「これをするためには、『完全な忠実さそのもの』であり『わたしたちをそれほどまでにも愛している』キリストに信頼する必要性があります」と述べた。

 「今日イエスに願うことができます。『主よ、あなたはとてもよい方です。日々少しでも神の国から遠くないところにいられるようにこの道を教えてください。あらゆる偶像を捨てるためのこの道を教えてください』。それは難しいです。けれど始めなければなりません……わたしたちの人格(パーソナリティ)や生き方の中にある多くの台座の裏に隠れた偶像。わたしたちを神の敵に変えてしまう世俗の性格を持った偶像を捨てること。今日、イエスのこの恵みを求めましょう」。
(マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ – RV).

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