バチカン、6月3日19時32分(バチカンラジオ)
福者ヨハネ二十三世教皇の没後50周年を機に、バチカンの大聖堂で、この夕、イタリアはベルガモのフランシスコ・ベッシ司教によってミサがささげられた。聖体祭儀の最後に、パパ・フランシスコは同じ大聖堂でベルガモ教区の巡礼者と顔を合わせた。ベッシ司教のあいさつの後、教父は列席者たちに言葉を向けた。
パパ・フランシスコのことば全文
愛するベルガモ教区の友の皆さん、
わたしはこの使徒ペトロの墓所、すべてのカトリックの家であるこの場所で皆さんを歓迎できることに幸せを感じます。皆さんの司教フランチェスコ・ベッシ卿に情愛をこめて挨拶をするとともに、皆さんの名でわたしに向けてくださった素敵な言葉に感謝します。
ちょうど50年前のこの時間に、福者ヨハネ二十三世はこの世を去ろうとしていました。わたしのように、ある程度の年齢に達しており、あの日々、あらゆるところに広まった衝撃の活き活きとした思いでが保たれています。サン・ピエトロ広場は天に開かれた聖地と化していました。昼も夜も、パパの健康のための不安と祈りのうちに集まったあらゆる年齢層、社会的立場の人々を迎えていました。全世界がパパ・ヨハネを牧者、父として認めていました。牧者だったのは、父だったからです。何が彼をこのようにしたのでしょうか?この問いに応えるために、その司教叙階の銘を思い出すことができます。Oboedientia et pax、つまり従順と平和です。「この言葉は ―司教叙階の前夜にロンカッリ卿は書き記していました― 少しわたしの歩んだ歴史とわたしの人生を表しています」(『魂の日記 ― 司教叙階のための準備黙想会 ―』1925年3月13-17日)。従順と平和。
まず《平和》から始めましょう。というのはこれが一番目立った面、パパ・ヨハネから人々が感じ取ったものだったからです。アンジェロ・ロンカッリは平和を伝達できる男でした。自然な、落ち着いた、心のこもった平和を。それは教皇に選ばれた時、全世界に示した平和であり、「善意」という名をいただきました。善意のある、善い司祭、善い神父さんに出会うのは、実に素敵なことです。そしてこれはわたしにロヨラの聖イグナシオが言っていたことを考えさせます。あ、宣伝ではありませんよ(笑 注:自分がイエズス会士だから、という意味で)、聖イグナシオはイエズス会士たちに、上司が持たなければならない特質について語っていた時に、これをしなければならない、それからこれとこれとこれとこれと…と、特質の長いリストを並べました。けれどその最後にこう言いました。そしてもしこうした徳をもっていないならば、少なくとも善意に満ちた人でありなさい。本質です。教皇ヨハネは善意のある神父、善意のある司祭です。この善意がそのパーソナリティのはっきりとした特徴出会ったことを疑う余地はありませんでした。この善意によってヨハネはあらゆるところに揺るがない友情を作ることができました。その友情は教皇代理という奉仕職のうちに特別な仕方で目立ったものでした。ほぼ30年ほど捧げられたその奉仕職は、しばしば自分が生まれ、養成されてきたあのカトリック世界とはずいぶんかけ離れた環境、世界との接触のうちになされました。ちょうどあのような環境の中で、パパ・ヨハネは教会内外の関係づくりと一致の推進者として効果的であることを示したのでした。他の教派のキリスト者との対話に開かれ、ユダヤ世界やムスリム世界にさらされ、他の実に多くの善意の人々と交流をしました。本当は、パパ・ヨハネが平和を伝えたのは、深く和まされた精神をもっていたからです。彼は聖霊によって和まされていたのです。そしてこの和んだ精神は自分自身についての長く献身的な働きの実りでした。『魂の日記』に豊富にその後を残している、あの働きでした。そこで神学生ロンカッリ、ロンカッリ司祭、ロンカッリ司教が心の発展的な浄化の道に努めた様子を見ることができます。日々、自分のエゴイズムから来る煩悩を認識し痛快すること、主からの着想(インスピレーション)を識別することに注意を払い、知恵のある霊的指導者に導かれ、サレスの聖フランシスコや聖カルロ・ボロメオなどといった教師によって鼓舞されるために自らを委ねた姿が見受けられます。あの手記を読みながら、教会の中、それぞれの魂の中で働く聖霊の働きのもとに一つの魂が形を成していく過程に本当に参加することができます。教皇ヨハネは決定的に、こうした善い心構えで、魂を和ませたのです。そしてここに、二つ目の決定的な言葉《従順》にたどり着きます。
もし 《平和》がその外面的な特徴であったならば、ロンカッリにとって《従順》はその内面の心構えを作り上げたものでした。従順は、本当は、平和に到達するための道具だったのです。なによりも従順にはとても単純で具体的な意味があります。それは教会において上長たちが彼に求めていた奉仕を、自分自身のためにしようとは一切せず、求められたことを、たとえそれが自分の土地を手放すことや自分にとって未知の世界と向き合うこと、カトリックの存在がこの上なく少ない場所に何年も留まる事を意味したとしても、一切避けずに、発展させることでした。この、子どものように、導かれるがままに任せるということが、皆さんがよく知っている彼の司祭としての奔走を作り上げて行ったのです。ラディーニ・デテスキ司教の秘書に始まり、教区神学校の霊的指導司祭、ブルガリア、トルコ、ギリシャ、フランスの教皇代理を経てベネチアの教会の牧者となり、ついにローマ司教(=教皇)となっていったその歩みです。この従順を通して、司祭であり司教であるロンカッリはより深い忠誠をも生きました。これを、たしか彼自身が言ったと思いますが、神の摂理への委ねと定義できるでしょう。教皇ヨハネは、一見他の人々によって導かれ、自分自身の好みや自分の霊的感覚をもとに導かれたのではないあの歩みを通して、信仰において、神がその独自のプロジェクトをデザインしていったことをたゆまず認識していたのです。教皇ヨハネは統治の人、導き手でしたが、従順により、聖霊によって導かれる導き手でした。さらに深く、この神のみ旨への日々の委ねはパパ・ヨハネがある種の浄化を生きた実りですが、このことが、自分自身から完全に自由になり、キリストに結ばれ、そのようにして教会が後に公的に認識した、「わたしのために自分のいのちを失うものは、それを救うだろう」(ルカ9章24節)とイエスが言っているあの聖性が現れるようにしたのです。ここに、パパ・ヨハネの善意、世界にに広めていた平和の本当の泉が見出されるのです。ここに、この福音的従順にその聖性の根元が見出されるのです。
そしてこれはわたしたち一人ひとりへの教えであるとともに、わたしたちの生きているこの時代の教会のための教えでもあります。もし聖霊によって導かれることに委ねることができるならば、もし主の愛とそのみ旨に場を作るために自分のエゴイズムを痛悔することができるならば、そのときにわたしたちは平和を見出します。その時にわたしたちは平和の建設者となることができるでしょう。そしてわたしたちの周囲に平和を広げるようになるのです。
その死から50年たって、パパ・ヨハネの賢く父性的な導き、教会の伝承へのその愛、たゆまぬアップデート(現在化)の必要性の意識、第二バチカン公会議召集の預言者的直観、そしてその充実した終結による自らの人生という捧げものは、20世紀の教皇の歴史における道標として、またわたしたちを待つ歩みを通じて輝かしく照らす街灯として残っています。
愛するベルガモの皆さん 、みなさんはまさに、『善いパパ』、信仰とその地におけるキリスト者の全世代にとっての徳の輝かしい模範に誇りを感じています。その精神を守り、その人生や書かれた者の研究を深めてください。けれどなによりも、その聖性を真似してください。聖霊によって導かれるに任せてください。教皇ヨハネが恐れなかったように、危険を恐れないでください。聖霊への素直さ、教会への愛、そうして前へ。主がすべてをなさるでしょう。天から教皇が、存命中たっぷりと愛を注いだその教会と共に愛をもって歩み続け、主から教会のために数多くのそして聖なる司祭たち、修道生活、宣教生活の召命、そしてまた教会と世界における家族の生活や信徒の献身の召命の賜物を下さいますように。皆さん、教皇ヨハネを訪問してくれて、ありがとう!皆さんを心から祝福します
(RC-RV)
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