2013年6月19日水曜日

6月17日、ローマ教区教会大会開会式演説:恵みはわたしたちの喜び、わたしたちの自由。これは宝であり、革命でもある。


バチカン、6月18日14時14分(バチカンラジオ)
 

この月曜日の午後、バチカンのパウロ六世ホールでローマ教区の教会大会が開催された。そのテーマは「キリスト、わたしたちにはあなたが必要です」。洗礼を受けた者のイエス・キリストを宣言する責任についてである。パパ・フランシスコはこの活動を、大きな拍手の中で開いた。入場する前に、大スクリーンを通して外部からこのイベントについてきていた何百人もの信者に挨拶をするために立ち止まった。

 「わたしは福音を恥としない」というのが、ローマ司教の要理の標題である。補佐枢機卿のアゴスティーノ・ヴァッリーニ卿は彼に教導職における忠誠を更新し、教区の福音化の現在の献身を繰り返した。

 喜びに満ちた祭りの雰囲気と同時に瞑想の雰囲気とをもって、教父は恵みのもとで生きるとはどういうことか、それは福音化とどのような関係があるかについて説明をした。「恵みは、わたしたちの喜びであり、わたしたちの自由です。わたしたちが自由なのは、イエスがわたしたちを解放したからです。そしてわたしたちは神の子らであるという恵みのもとに生きているのです。これは宝です。これは革命です」と言った。

 「歴史を変える革命です。人間の心を深く変化させる革命です。歴史上には様々な革命があって、政治や経済の生活を変えてきました。けれどいずれも人間の心を本当に変えるということはありませんでした。本当の革命とは、人生を変える革命です。イエスはその復活を通して、十字架と復活を通してこれを成し遂げました。そしてベネディクト十六世はこの革命について、『これは人類の歴史において最も大きな変革です』と言っていました」。

 「キリスト者は、もし、この時に、革命家でないならば、キリスト者ではありません!」と教父は続けた。「恵みによる革命家でなければならないのです!十字架に架けられ、死に、復活したイエス・キリストを通してわたしたちに御父が与えてくださる恵みだけがわたしたちを革命家にするのです」。

 「なぜなら心を変えるからです。預言者エゼキエルは言いました。『わたしはその石の心を取り除き、お前たちに肉の心を与えよう』と。そしてこれが使徒パウロが体験する経験です。ダマスコへの道でイエスと出会った後、抜本的にその人生観を変え、洗礼を受けます。神は心を変えるのです!このことを考えてください。迫害者から、教会とキリスト者たちを迫害していたものから聖人、骨の髄までのキリスト者、本物のキリスト者になるのです。

 「わたしたちは皆罪びとです。全員です!けれど、もしイエス・キリストの恵みを受け入れるならば、イエス・キリストの恵みがわたしたちを罪から救ってくれるのです。わたしたちの心を変え、罪びとからわたしたちを聖人になるようにしてくれるのです」。パパ・フランシスコは、現実の変革のための最も力ある強さは愛であると言った。なぜなら利己主義の壁を打ち壊し、他者を遠くにとどめる溝を埋めるからです」。そしてこれが石の心から肉の心に変えられた、人間的な心から来る愛なのである。それを恵みが、わたしたち全員が受けたイエス・キリストの恵みが行うのである。

 「だれか恵みがいくらするか知っていますか?どこで恵みは売っているのでしょうか?どこで恵みを購入することができるのでしょうか?だれも知らないはずです。誰も。わたしは多分教会事務室で売っていると思うのでそこで買いましょう、恵みを、とできるのでしょうか?恵みを売っている司祭が誰かいるのでしょうか? 注意深くこのことに耳を傾けてください。恵みは売ったり買ったりするものではありません。それはイエス・キリストにおける神の賜物なのです。イエス・キリストが恵みをわたしたちに下さるのです。それはプレゼントなのです。それをわたしたちに捧げてくださるのです。手に取ってください。これは美しいことです。イエスの愛とはそのようなものです。無償でわたしたちに恵みを下さり、無償の形を。そしてわたしたちは人々や兄弟たちに、無償でそれを与えなければならないのです。

(ACI/EWTNニュースからの記事)

バチカン、6月18日10時12分
 「わたしは福音を恥としません」これは昨日、6月17日の午後に、ローマ教区の教会大会の開会式を機にパウロ六世ホールでパパ・フランシスコによってなされた要理のテーマであった。

 そこで教皇は、カトリックのわたしたちは少数派であり、良い牧者のたとえと違ってわたしたちは足りない「99匹の羊を探しに行かなければならないのです!出かけていかなければなりません。探しに行かなければならないのです」と述べた。

 パパは「福音はすべての人のためのものです。この貧しい人たちに向かっていくということは、ひどく落ちぶれた人になることや、ある種の霊的な放浪者になることを意味しているわけではありません。ちがいます。これではないのです。苦しむイエスの肉体に向かって行かなければならない、ということを意味するのです。けれど苦しむイエスの肉体というのは、勉強や知能、あるいは文化の影響でイエスのことを知らない人々のことでもあるのです」と説明した。

 「そこに行かなければなりません。だから、わたしは『中心から外れたところに行く』というフレーズを使うのが好きなのです。存在の中心から外れたところ。あらゆる貧しさです。つまり肉体的な貧しさが実際の貧しさで、このほかに、知的な貧しさがありますが、これも実際の貧しさです。そしてそこに、言葉と証しをもって福音の種をまくのです」。

 「そしてこのことは勇気を持たなければならないということを意味します。皆さんに言いたいことがあります。福音書に、美しいテキストがあります。羊飼いがいて、群れの柵に戻ってくると、羊が一匹足りないことに気づいて、99匹をさしおいてその一匹を探しに出る、という話です。一匹を探しに行くのです。けれどわたしたちには、99匹が足りないのです!出ていかなければなりません。探しに行かなければならないのです。この文化の中で、本当のことを言いましょう、わたしたちには一匹しかいないのです。わたしたちは少数派です。そこで他の99匹を探しに出ていく燃える想いや使徒的熱意を感じませんか?」

 「愛する兄弟の皆さん、わたしたちには一匹しかおらず、99匹が足りないのです。出て言って探しましょう。福音を告げ知らせに出ていく恵みを求めましょう」。なぜなら「一匹だけを抱き、毛に櫛を通して解いてあげ、可愛がって撫でてあげながら家に留まる方が簡単だからです」。そして声を上げて言った。「けれど主は、わたしたち全員が牧者となるように望んでおられ、毛を解く係になるようにと望んでいるわけではないのです」。

 パパ・フランシスコは思い返して言った。「嘆きの女神への信心でも持っているかのように見えるキリスト者もいます」。「世は世です。5世紀前と同じです」と具体化した。「力強い証しをして、前進する」必要があるが、同時に「まだ変えることのできない物事を忍耐する必要もあります」。そして招いて言った。「勇気と忍耐をもってわたしたち自身の殻から抜け出し、招くために共同体のところに行きましょう」。

 「歴史を変えるための革命は、人間の心の深い所を変えなければなりません。この数世紀の間に行われた改革には色々ありますが、これらは政治や経済のシステムは変えてきました。けれどどれひとつとして人間の心を本当に変えることのできた者はありません。本当の革命は、行き方を抜本的に変えるものです。それをしたのはイエス・キリストだけです。彼はその復活を通してこれを成し遂げました。ベネディクト十六世が思い返すのを好んだものですが、こうしてこの革命は人類の歴史のもっとも大きな変革となり、新しい世にいのちを与えたのです」。

 そして次のように思い返しながら結んだ。「神はわたしたちにこの恵みを無償でくださったのです。わたしたちもこれを無償で与えなければなりません」。

 大会は今日、火曜日もラテランの聖ヨハネ大聖堂で続けられ、教区の小教区や知事官舎などで閉じられる。パウロ六世ホールは狭く感じられ、外部には青空状態で、大画面につなげられた同時放映がなされる場所が設けられた。少なくとも1万人が教父の言葉を聞いた。

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