2013年6月11日火曜日

6月11日、朝ミサ説教:ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

朗読個所  : 聖バルナバ 
         使徒 11章21節b-26節、13章1―3節
         マタイ 10章7―13節


バチカン、6月11日15時35分(バチカンラジオ)
 
  福音は簡素にそして無償で告げ知らされなければなりません。これをパパ・フランシスコは聖マルタの家での火曜日のミサの中で語った。教父はさらに、教会に おいて、清貧の証しがわたしたちを唯の事業団になってしまうことから救うということを思い返した。そして「豊かな教会」になろうとする時、教会は「歳を とり」、「いのちがなくなる」と忠告した。

 今日のミサには、共同司式には何人かいたが、そこにはゲルハルト・ルードヴィッヒ・ミュラー大司教がいた。参列者は教理省の司祭団と協力者たちであった。

  「帯に金や銀、小銭を入れて行ってはならない」。教皇はその説教を、イエスが神の国を告げるために使徒たちを送る際に彼らに向けた勧告から始めた。教皇は 言った。「宣言というのは、主が簡素に行ってほしいと望んでいるものです」。その簡素さは「神の言葉の力が働く場を与えるのです」。なぜならもし使徒たち に「神の言葉への信頼」がなかったなら、「恐らく他のことを行っていたに違いありません」。ローマ司教はイエスから与えられた決まりの「キーワード」を示 した。それは「あなたがたはただで受けたのだから、ただで与えなさい」にある。「すべてが恵み(ただ)なのです。そしてわたしたちが恵み(無償のもの)を ないがしろにするような形で行おうとする時に、福音は効率を失うのです」と強調した。

  「福音の宣告は無償性から生まれます。訪れる救いの驚くべき状態から生まれるのです。そこからわたしは無償で(ただで)受けたのだから、わたしはただでこ れを与えなければならないのです。彼らはそのように最初の時から活動していました。聖ペトロには銀行口座はありませんでした。税金を払わなければならな かった時には、主はペトロを湖に送って魚を釣らせ、その魚の中にお金を見つけて払ったのです。フィリポは、寛大な税務高官に出会った時、「あぁ、これは いい、福音を支えるための組織を作ろう」とは考えませんでした。違うのです!彼と「取引」をしたのではないのです。告げ知らせ、洗礼を授け、去っていきま した。

  神の国は「無償の賜物です」。とパパは考えを巡らし、キリスト教共同体の起源から、この態度はいつも誘惑にさらされていたことをはっきりと浮かばせた。具 体的に、「力を求める誘惑が存在します」と述べた。この誘惑は無償性におけるものを除いてどこにでも存在する。一方で、「わたしたちの力は福音の無償性に あるのです」。教皇は「いつも、教会の中には、この誘惑が存在してきました」と確認した。そしてこれは「少し混乱を」招く。そのように「宣言が改宗への勧 誘活動に見えることがありますが、福音の宣言というのはその道は進まないのです」と忠告した。加えて言った。「主は告げ知らせるためにわたしたちを呼んだ のであって、新加入者を作るためではないのです」。その後ベネディクト十六世の言葉を引用しながら、フランシスコは「教会というのは新しい信者を増やすこ とによってではなく、魅力によって育つのです」と強調した。続けて言った。「そしてこの魅力は、救いの無償性を無償で告げ知らせるそうした人々の証しから 来るのです」。

  「すべてが恵み(ただ、無償)なのです。全てです。では使徒がこの無償性を生きていることのしるしは何でしょうか?たくさんありますが、二つだけ指摘しま す。最初に、清貧です。福音の宣言は清貧の道を行かなければなりません。この清貧の証しです。自分には富はありません。わたしの富はいただいた賜物だけ、 つまり神なのです。というこの無償性。これがわたしたちの富なのです!そしてこの清貧はわたしたちを企画者や起業家になることからわたしたちを救ってくれ るのです。・・・教会の働きは前に持っていかれなければなりません。そしてあるものは少し複雑です。けれど清貧の心を持って進むのです。投資や起業によっ てではないのです。違いますか?」

  「教会は、NGOではないのです。それは別のことです。もっと重要です。この無償性から生まれるのです。受け、伝えてもらったもの」と付け加えた。「清貧 はこの無償性のしるしのひとつなのです」と強調した。「もう一つのしるしは、賛美の能力です」と付け加えた。「この無償性を生きていない人は、主を賛美 する能力を失います」。主を賛美するということは実際、「本質的に無償です。それは無償の祈りなのです。わたしたちはそこでは何も願いません。唯、賛美す るのですから」。

  「この二つのことが使徒がこの無償性を生きていることのしるしなのです。清貧と主を賛美する能力。そして富のある教会、賛美の無償性のない教会を作ろうと する使徒たちがわたしたちの間にいる時、教会は歳をとります。教会は非政府組織になります。教会には教会としてのいのちがなくなります。今日主にこの無償 性を改めて認める恵みを願いましょう。『ただで受けたのだから、ただで与えなさい』。この無償性、その神の賜物を再認識すること。そしてわたしたちもこの無償性で福音の宣告をしながら進んでいくことができますように」。 (RC-RV)

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