ゼカリヤ12・10-11、13・1
ガラテヤ3・26-29
ルカ9・18-24
バチカン、6月23日16時56分(バチカンラジオ)
今朝9時半に、パパ・フランシスコは聖マルタの家の聖堂で、去る金曜日に行われた集いの後で、まだバチカン市国にいる教皇大使40名ほどを前にミサを司式した。
使徒たちにキリストが「そしてあなたたちはわたしを誰だというのか?」と問う個所のルカによる主日の福音についてコメントをするにあたり、教父はイエスへの崇敬とその愛の岩からのインスピレーションを受けて、心からイエスに応える必要がある、と強調した。
「『あなたたちはわたしのことを誰だというのか?』これにペトロが『あなたは神のキリストです。主から油を注がれた方です』と答える。2000年たってからのわたしたちにも当てはまることです。わたしたちを危機的状況に置きます。わたしたちの信仰の歩みにおける難易度9の試練です。心に向けられた問いです」パパは教皇大使たちへの説教の中でこう確言した。「そして罪びととしての謙虚さをもって応えなければならない問いです。それはできあがったフレーズや適当なフレーズを越えて、『イエスのことをわたしたちは誰だと思うのか』という思索的で決定的でもあることまでも含んでいそうなほどの問いです」。
「わたしたちは、使徒であり主のしもべですわたしたちも、応えなければなりません。というのは主がわたしたちに問われるからです。『あなたはわたしについて何を考えますか?』いやしかしこう問われるのですよ!何度も質問してくるのです!『お前はわたしについてどう考えているのか?』と主は言われるのです。そしてわたしたちは何を言っておられるかよくわからないとい、とやり過ごすわけにはいかないのです。『でも、あなたは油注がれた方ですよ!そうですよ、わたしは(聖書で)読みましたから』。イエスとは、お話の登場人物と話すようには話せません。物語の登場人物ではないのですよ。そうでしょう?イエスはわたしたちの目の前で生きておられるのです。この問いは、生きている人がしている問いなのです。そしてわたしたちは応えなければなりません。しかし心から応えなければならないのです」。
パパは加えて言った。「今日も、皆さんは、使徒たちによってなされた抜本的な選択、『すべてか一切なしか』の論理での完全な選択を実現するように呼ばれています。それは実現すべき歩みであり、そのために『特別な恵み』で照らされていなければならず、イエスへの崇敬と愛のしっかりとした基盤の上にいつも生きなければならないのです。
「その聖なる名への崇敬と愛。岩の上、その愛の岩の上にわたしたちを打ち立てられたという確信。そしてこの愛からわたしたちはあなたに答えを出します。あなたに答えを出すのです。そしてイエスがこの問い、『わたしはあなたにとって誰ですか?』という問いをするとき、このことを考えなければなりません。わたしはその愛の岩の上に打ちたてられているのだ、ということを。彼がわたしを導きます。その岩の上で、その導きのもとでしっかりと応えなければなりません」。
「『わたしはあなたたちにとって誰なのか?』こうイエスはわたしたちに尋ねます。時々この問いに応えるのを恥ずかしいと感じることがあります」とフランシスコは強調した。「なぜならわたしたちの中で何が良くイケテいないことかを知っている、つまりわたしたちは罪びとだからです。けれどまさにこの瞬間こそがその愛に信頼してその真理の感覚をもって、『主よ、あなたはすべてを知っておられます』とティベリアス湖畔でペトロがしたように応えなければならないのです」。「主がわたしたちを存分に愛して下さっている時というのは、まさにわたしたちが自分のことを罪びとだと感じる瞬間です」ともパパは述べた。「そうして漁師ペトロを自分の教会の指導者として据えたのと同様に、わたしたちとも何か良いことをして下さるでしょう」と結んだ。
「彼はもっと偉大です。彼はもっとも偉大なのです!そしてわたしたちが崇敬と愛について述べる時、わたしたちは愛の岩の上、またその導きの下で安定しています。安全です。『あなたは油注がれた方です』というセリフ。これがわたしたちに実に益と働き、わたしたちが安全に前進できるようにし、しばしば重い日々の十字架を手にするようにするのです。そのように、喜びをもって、父よ、あなたの民が、あなたの聖なる名への崇敬と愛をいつも生きることができるようにしてください!このような恵みを求めながら前進しましょう。そしてあなたは自分の愛の岩の上にあなたが建てた人々へのあなたの導きを決して取り上げることはありません!あれかし(アーメン)!」。
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