2013年6月14日金曜日

6月13日、朝ミサ説教:他者をけなすことなくおとなしさの法則に従おう

朗読個所  : 聖アントニオ(パドバ)司祭教会博士(記)
          二コリント3・15~4・1、3-6
          マタイ5・20-26

バチカン、6月13日18時32分(バチカンラジオ)
 
  主がわたしたちに、他の人に対するコメントに対して注意を払う恵みを下さいますように。こうパパ・フランシスコはいつものように聖マルタの家の小聖堂で今朝祝われたミサの中で求めた。

 この機会に、フランシスコはスペイン語で語った。この聖体祭儀にはイタリアのアルゼンチン大使館と領事館の従業員がいたからである。それ以外に食品農業機構の従業員も参列した。「2月26日以来スペイン語でミサを祝っていないのですよ」ともパパは述べ、加えて、「この機会はわたしにとって益となりました」と加えた。同時に自国のためにしてくれているすべてのことに関して、参列者たちに感謝を述べた。

 教父はまた、他の人をけなしているかどうかを知るには精神科医のところに行く必要はない、なぜならそうしている自分は育つことができないし、自分が何者かであるように感じるためにほかの人が低くされるようにという必要性を感じているからである。そして「イエスはすさまじい簡素さを持って互いに悪く言い合わないようにと言っています。互いにけなし合わないように、互いに評判を落とし合わないように、と」と思い返させた。そして「なぜならこれは、深い所では、みんな同じ道を歩んでいるからです。誰もが終着点にわたしたちを導く道を進んでいるのです」と続けた。だからこそ、「もしあることが兄弟愛の道を行かないならば、すべて悪く終ってしまうのです。悪口を言い、悪口を言われ、と」。

 フランシスコはまた、「もし舌を制することのできない人は自らを見失います。そして一方で、カインがアベルに対して行った自然の残虐さが歴史の枠の中で繰り返されるのです」と見解を述べた。パパは、「わたしたちは悪くなりたいと思っているわけではないのですが、弱く、罪を追っているのです」。と確言した。
(マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ RV)

(ビデオからの翻訳)

「わたしは主に、もう少し舌(言葉づかい)に気を付けることができるように願いたいと思います。他の人について語ることに関して。それはちょっとした苦行です。けれど、よい実りをもたらします。一度慣れると飢えが生じます。あぁ、残念、他の人に対する『おいしい』コメントの実りを味わえなかったなぁ、と。けれど、長い目で見ると、その飢えは本当の実りをもたらし、わたしたちに益となります。その恵みを主に求めてください。わたしたちの人生をこの新しい法に合わせる恵みを。おとなしさの法、愛の法に。平和の法。そうすることで、少しわたしたちの言葉づかいを「剪定する」ことができます。他の人についてするコメントを少し剪定するのです。わたしたちを悪口や怒りっぽさへと導く疎外の行為を剪定するのです。主が皆さん全員に、この恵みを下さいますように。」

0 件のコメント:

コメントを投稿