2013年6月9日日曜日

6月7日、イエズス会系の学校の子どもたちとの質疑応答:「希望を盗まれてはなりません」


 バチカン、2013年6月8日13時17分(バチカンラジオ)


 
 キリストに向けられた寛大さへの開かれた心、従来のものとは違う教育の新しい形の模索、政治が計画するキリスト者に対する挑戦、イエスへとわたしたちを近づける貧困。こうしたことがイタリアとアルバニアのイエズス会系学校の8千の生徒たちと共に、バチカンのパウロ6世ホールでパパ・フランシスコが昨日行った集会の主要テーマであった。パパと共にいた子供たちの喜びと愛情に満ちた祭典となった。これは、教父自らが描写した言い方であるが、「つまらない」演説を読む代わりに、子供たちとの直接の対話のテーブルを広げようと望む、今までの枠組みを崩すものであった。

 教皇と最初に話したのは二人の女の子であった。テレサちゃんは彼がパパになりたかったのかを尋ね、ソフィアは、そのお友達と今でも顔を合わせているかを尋ねた。

テレサちゃんへの答えは、この日本語バチカン放送局のサイトでどうぞ 

 「でも、わたしはほんの2ヵ月半前にパパになったばかりですよ。わたしのお友達は、みんなここから飛行機で14時間もかかるところに住んでいるんです。とても遠いのですよ。でも、一つみんなに言いたいのは、そのうち3人がわたしのところに会って挨拶をするために来てくれました。彼らに会いましたし、わたしにお手紙も書いてくれます。そしてそのお友達のことを、わたしはとっても愛しています。お友達がいなければ生きることはできません」。

 「イエズス会で好きだったのは、宣教するという性格です」。これは召命について尋ねられた時の応えである。そしてその後で、なぜ自分が「聖マルタの家」で過ごすことに決めたのかという問いに答えた。

 「わたしは人々の間で生きなければやっていけないのです。もしたった一人で、少し周りから孤立して生きるのなら、わたしにはよくないのですよ。でも、同じ質問を一人の先生もしてくれました。『どうしてあの使徒座宮殿に住まないんですか?』って。わたしは言いました。「まぁ聞いて下さい、先生、これは心理臨床の問題です」ね?だって、これがわたしの性格(パーソナリティ)なんですよ」。

 子どもたちはまた、自分の召命を続けてすべて置いてくることは難しかったかどうかを尋ねた。

 「暗闇の時期というのはあります。心の中の暗闇です。難しいこともあります。けれど、イエスに従って生きること、イエスの道を続けることは本当にとっても素敵なので、秤にかけて比べた後で前進することを決めるんですね。そうすると、もっと素敵な時が訪れるんです。でも誰も人生に全く困難などないと考えてはいけません。わたしも皆さんに訊きたいことがあります。今。困難の中で前進することについて、どう考えますか?簡単ではありません!でも前進しなければならないんです、わたしたちは。力強く、主への信頼をもって。主と共に、であればすべてができます」。

 パパ・フランシスコはこの集いの最後の部分で、青年たちに、社会にある悪について語り、困難を前にしたとき、イエスへの希望にその眼差しを上げ、心を向けるようにと忠告した。

 「希望が盗まれるがままに任せるわけにはいきません。お願いです。盗まれるがままにしないでください。だれがあなたの希望を盗むのでしょうか?世の精神(霊)です。どこで希望に出会えるのでしょう?貧しいイエスのうちに、です。わたしたちのために貧しくなられたイエスのうちに、です。貧しさはわたしたちを、希望の種をまくようにと呼びだすのです」。
ER - RV

『バチカン放送局』のページで問答全文が二回に分けて翻訳されました!

生徒たちとの一問一答(前篇) 

 一本目のビデオは、生徒たちとの一問一答(前篇)の最後の質問、カテリーナ・マルケスという女子生徒によってなされた問いで切れ、二本目のビデオはその答えから始まっています。

生徒たちとの一問一答(後篇) 

最後に歌われたのは、聖フランシスコを扱った名画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』の有名なシーンからの歌でした。
dolce sentire

ついでに、 途中で触れている、シシリー島の情景が見られる映画「Kaos」のリンク付けておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=3-oGAjb2veE 

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