2013年6月6日木曜日

愛徳のわざの組織に、シリアと中東を想いつつ:パパは近くにいて、皆さんと共に歩みます。教会は皆さんを見捨てません

バチカン、6月5日(バチカンラジオ)
 
 この水曜日の朝、パパ・フランシスコはシリアにおける危機のためのカトリック愛徳の組織のメンバーの謁見を受けた。フランシスコはパパは全中東で生活しているキリスト者共同体にもその考えが向かっていることを表明した。

 「教会は、こんにち特別な困難の時を通っているそのメンバーたちを支えている」と確言した。彼らにも教会が生まれた地域におけるキリスト教が存在し続けるという大いなる働きがあります。そしてわたしたちの献身はこの証しの永続に組することにある。全キリスト教共同体のこの大いなる働きにおける協力と援助への参加はどうしてもしなければならないことなのです」。



教皇のことば 全文

愛する友の皆さん、

 この集いと、皆さんがシリアやその周辺の隣国において、現況の対立の犠牲者である住民を助けるために実現している人道活動のすべてに感謝します。はたしは個人的に開発援助促進評議会『コル・ウーヌム(ひとつの心で)』を励ましてきました。それは皆さんの地域でカトリックの愛徳の期間を発展させる活動の協力体制のこの会議を促進するためでした。サラー枢機卿のことばと挨拶に感謝します。特別な仕方で、中東から来てくださった皆さん、特にシリアにおける教会の代表者の皆さんを歓迎します。

 誰もが聖座がシリアの危機について心配していることを知っています。具体的には、しばしば対立の結果のせいで苦しんでいる非武装の住民のことです。ベネディクト十六世は何度も武器を黙らせ、様々な分派の間での深い和解に至るために対話を通して解決を見出すようにと求めました。武器が鳴りをひそめるように。さらに、この前の11月には、サラー枢機卿をその地域に送る形で個人的な寄り添いを表現しようと望みました。同時に「平和の探求における努力を一切惜しまない」という願いをもって、またその具体的で父性的な気遣いを、この前の10月のシノドス参加者にも分けたプレゼントを贈るということで示しながら、その行為に心を合わせました。

 個人的に、わたしもシリア住民の先行きを心配しています。復活祭には平和を求めました。「とくに愛するシリアと、紛争によって傷ついたシリア国民、助けと慰めを待ち望む多くの避難民のために祈ります。どれだけ多くの血が流されてきたことでしょうか。危機が政治的に解決されるまでに、どれほど多くの苦しみを味わわなければならないのでしょうか」(2013年3月31日、『ローマと全世界へ』)とわたしは言いました。

 暴力とつまずきの継続を前に、平和へのわたしからの呼びかけを力強く刷新します。ここ数週間の間に、国際共同体は戦争を終える目的の実りある対話を進めるために具体的なイニシアティブを推進するその意向を再確認しました。それは支えなければならない、平和の接近を待ち望む人々による試行なのです。教会は、よきサマリア人であるキリストから学んだ愛徳という、つつましやかだけれど具体的で効果的な証しをするように呼ばれていることを感じています。苦しむ人がいるところにキリストが現存することをわたしたちは知っています。わたしたちは後戻りできません。特に痛みが非常に大きい状況を前には。皆さんが企画会議に参加するということは、シリアやその隣国での人道支援、一般的に戦争から逃げてくる人々を受け入れるという素晴らしい働きを忠実に続ける意思表示です。皆さんの活動が的を射、コーディネートされますように。これは一致の表現で、ついこの前の中東についてのシノドスが提案されたこと自体が証しです。国際共同体にお願いします。対立の交渉解決の探求と共に、シリアの逃亡者や避難民のための人道的支援に適うこと、なによりもその人格に目を留めその尊厳の保障を見ることを願います。ローマ聖庁にとって、カトリックの愛徳のエージェンシーの活動は、最高に意義があるものです。民族的または宗教的な違いをずっと越えてシリア住民を助けることは、あらゆる要素に開かれた社会の平和と教育に貢献することが直截な方法です。またこのことにむかってローマ聖庁の努力は広げられます。シリアにとっての将来の平和のために貢献すること、誰もが自由に生きることができ、そこでは自らの表現をし、自分の特異性に従って表現することでもあります。

 パパの考えはまたこの時にシリアと中東全土に住んでいるキリスト者の共同体に向けられます。教会は、今日特に困難な時を送っているそのメンバーたちを支えます。そこにはキリスト教が生まれた地域にキリスト教があり続けるという大いなる務めがあります。そしてわたしたちの献身はこの証しの継続の後ろ盾をするということにあります。この大規模な支援と援助事業における全キリスト教共同体の参加は実際に不可欠のことです。そして全員で、シリアのことを考えます。どれほどの苦しみ、どれほどの貧困、どれほどの痛みがあることか。イエスこそが苦しみ、イエスが貧しく、イエスがその国を追われているのです。そこにいるのはイエスです。そしてそれは神秘です。わたしたちキリスト者の神秘なのです。愛すべきシリアの住民のうちに、苦しむイエスを見ましょう。

 改めて、このきっかけづくりに感謝します。そして神の祝福を皆さん一人ひとりの上に祈ります。その祝福が特別な仕方でシリアに住んでいる愛する信徒と戦争のために家を負われるを余儀なくされている方々にまで届くようにと祈ります。ここにおられる皆さんを通して、シリアと中東の愛する民がパパがそばにいて共に歩んでいることを知りますように。教会は皆さんのことを見捨てません!ありがとう。
(RC-RV)
 

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