2013年6月10日月曜日

十戒は『自由に対する制約』ではなく、愛への『はい』という応え

ミラノ、6月9日15時34分(バチカンラジオ)



 「十戒は『自由に対する制約』ではなく、愛への『はい(賛同の返事)』なのです」。「人間をかばい、本当の自由に向けて導くためです」。これが、「10の公園に十戒を」というイニシアティブの雰囲気の中で、ミラノのドゥオモ公園の中で夜の間に昨晩広められたビデオ・メッセージの概要である。新福音化推進評議会とイタリア司教協議会は、第三戒「安息日を聖とすること」にその中心を置いた。パパによれば、「戒」という言葉は流行から外れている。実際「いまどきの人は何かネガティブなものを思い浮かべます。限界を強制する意図があると見るのです」。この見解からフランシスコのビデオメッセージは始まり、十戒は愛によってこれを作った神から来ていることを示した」

 「神に信頼を捧げましょう!神に信頼しましょう!十戒はわたしたちに行くべき道を示し、人の尺度で正しい社会を建設するための『倫理的合い言葉』の一種を成しています」。
 
 「どれほどの物質的貧しさや道徳的貧しさが神を拒みその代わりに様々な《偶像》を据えることから来ることでしょう!」パパはわたしたちに、この「解放(自由)への道」を示す十の言葉によって導かれるようにと招く。

  「十戒を自由の限定づけとして見てはなりません。違います。これはそうではないのです。そうではなくて、解放のしるしとして見るべきなのです。限定づけではなくて、解放のための指針なのです。これらはわたしたちをわたしたち自身が作ってしまう多くの偶像に狭める奴隷状態を避けることを教えます。この奴隷状態は歴史の中で何度も経験されてきましたし、今日も経験していることです」。

 パパは言う。「十戒はわたしたちに、権力や所有、金銭の欲に打ち勝ちながら人への尊敬を生きること、人間関係において正直で誠実であること、全被造物を守ること、高く、貴く、霊的な理想を培うことを教えます」。基本的に、十戒は「愛の法なのです」。そして、一方でモーセは山に登って神の律法の板をもらいましたが、他方イエスはその反対の道をとります。つまり、「わたしたちの人間性に降ってきて、この10のことばのより深い意味をわたしたちに示します。すなわち、心をつくし、魂を尽くし、力を尽くして主を愛し、自分のように隣人を愛しなさい、と」とパパ・フランシスコは対照させた。十戒はそのため、「あらゆる掟をその中に含んでいます」。

 「十戒というのは『いいえ(禁止)』への賛歌ではなく、『はい(肯定)』への賛歌なのです。神への『はい』、愛への『はい』・・・そして愛に対して『はい』と私は言うのですから、愛のないことに対しては『いいえ』というのです。けれどその『いいえ』は神から来てわたしたちが愛する者になるようにする『はい』の結果なのです。神の十の言葉を再発見し、これを生きましょう。この『人を守り、本物の解放へと導くためにキリストによって完璧にされたこの十の愛の道』に対して『はい』と言いましょう」。
ER RV

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