2013年6月25日火曜日

国際ユダヤ人委員会を迎えて:人類は尊厳と平和を支えるわたしたちの共通の証を必要としている

6月24日、14時45分〈バチカン・ラジオ〉


 6月24日の正午ごろ、教皇の間でローマ司教は国際ユダヤ人委員会の代表者メンバー30人を迎えて、諸宗教相談をした。同室にはキリスト教一致推進評議会とユダヤ人との宗教関係委員会の議長であるクルト・コッホ枢機卿が同席した。


教皇フランシスコの挨拶:


 兄弟のみなさん、シャローム!

 このキリスト教伝統でも好まれている挨拶をもって、諸宗教相談のユダヤ人国際委員会の代表者のみなさんを歓迎できることを幸いと感じています。


 心のこもった思いをコッホ枢機卿にも向けます。同時に40年以上も前から定期的に対話を保っているユダヤ人との宗教関係委員会のメンバーと協力者のみなさんにも思いを向けます。これまで催された21回の会合は、相互理解とユダヤ人とキリスト教徒間の友情の絆を強めるのに貢献してきたことは確かなことです。わたしはみなさんが10月にマドリッドで開かれる次のつどいを準備しており、そのテーマは「現代社会における信仰に対する挑戦」であることも知っています。その努力に感謝します!

 この私の奉仕職の最初の数ヶ月で、ユダヤ社会の有名な指導者達に出会うチャンスを頂きました。しかしながら、今回はユダヤ人の組織と共同体の代表者の公的グループと会話をする最初の機会です。そしてこの動機で第二バチカンエキュメニカル公会議のノストゥラ・エターテの宣言第4番を荘厳に思い帰さずにはいられません。その文書はカトリック教会がユダヤの民との関係にどう関心を持つかの基本的言及を代表的に描いているのです。

 公会議のテキストの言葉を通して、教会は「その信仰と選びの始まりは、すでに、救いの神秘によって、父祖達の内に、モーセや預言者達の内に見出されます」。そして、ユダヤの民について、公会議は聖パウロの教えを思い返しています。そこでは「神のたまものと呼びかけは不変的です」。さらに、憎しみや迫害、反セミ主義の表明全てを咎めています。わたしたちの共通の根のため、キリスト者は反セミ主義者ではあってはならないのです!

 上記の宣言で表現された基本的原則は、この数十年間、ユダヤ教徒とカトリック教徒の間でより大きな相互認識と理解で歩みに跡を残しました。それはわたしの前任者達がめざましい後押しをし、ユダヤ教徒とカトリック教徒の間での関係の神学的基盤についての反省を深めた文書シリーズの作成を通して特に意味のある行動の歩みとなりました。

 それはしかしながら、地域レベルで実現された世界のあらゆるところで少しずつなされた膨大な動きの一番目に見える部分を代表するに過ぎません。其の事については私も証人です。わたしはブエノスアイレスで大司教として奉仕していた間、ユダヤ世界の代表者数名との誠実な友情関係を保つ喜びを得ました。しばしばわたしたちの当該の宗教的アイデンティティ、聖書に含まれる人のイメージ、様々な局面で世俗化している世における神の意義を生き生きと保つ様相について会話をすることができました。様々な機会に、ユダヤ人とキリスト者を待ち受けている共通の挑戦について彼らと顔を合わせる機会が何度もありました。けれどなによりも、友として、互いにその存在を楽しみました。わたしたちはつどいと対話に於いて、互いに豊にしあいました。そしてこのことはわたしたちを人として、また信者として育つのを助けてくれました。

 同じことは世界の様々なところで起こってきたし、起こっています。そしてこうした友情関係が局面によっては公的場面で発展する対話の基盤を作っています。ですからその道を、みなさんがしておられるように、新しい世代をもこれに巻き込むことを求めながら、続けるように励まさざるを得ません。人類には、神のイメージと似姿に作られた男性や女性の尊厳への敬意を支えるわたしたちの共通の証の必要性があります。そして何よりも、神のたまものである、平和を支えるのです。ここで預言者エレミヤの言葉を思い出すのは有り難いことです。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ29章11節)。

 この言葉、平和、シャロームをもって、わたしの介入を終えたいと思います。みなさんの祈りを求めつつ、またわたしのみなさんへの祈りを約束しつつ。ありがとうございます!


(イタリア語からの翻訳:ラウル・カブレラ - バチカンラジオ) 

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