2013年6月27日木曜日

6月25日、朝ミサ説教:誰ひとりとして偶然キリスト者になるわけではない、誰ひとりとして!

朗読個所  : 

バチカン、6月25日15時44分(バチカンラジオ)

 キリスト者であるということは、愛の呼びかけ、神の子となる呼びかけです。このように今日、パパ・フランシスコは聖マルタの家でのミサの中で語った。パパはキリスト者の確信は、主が決してわたしたちを一人ぼっちにすることなく、問題の最中で前進していくようにと求めていることにあると強調した。

 ミサでは、ロバート・サラー枢機卿、カミッロ・ルイニ枢機卿、イグナシオ・カラスコ・デ・パウラ卿が共同司式に上がった。国務省の「コル・ウヌム(心を一つにして)」や命のための聖庁アカデミーの従業員グループ、またスペコラ・ヴァティカーナの協力者たちがその議長であるイエズス会院のホセ・ガブリエル・フネス師とともに列席した。

 パパ・フランシスコの説教のメインテーマは、創世記からとられた第一朗読に集中した。それは土地の分割に関するアブラハムとロトとの間での議論について語っている個所である。「この個所を読むと、中東のことを考えます。そして主に、わたしたち全員に知恵を、この知恵を下さいと熱心に求めます。口論をするのではなくて、わたしはこちらに行くから、あなたはそちらに行くように、という知恵、平和のために祈ります」とパパは言った。「アブラハムは、歩き続けます」とフランシスコは注意を促した。「アブラハムは、自分の住みなれた土地を離れ、自分ではどこかは知らないけれど、主が仰せられるところに向かいます」と確言した。「そこで歩き続けます。なぜなら自分をその土地から出てくるように招いた神の言葉を信じているからです。おそらく90歳を超えていたこの人は、主が指し示す地を眺め、信じます」。

 「アブラハムは自分の土地を、一つの約束を得て離れます。その歩みのすべてはこの約束に向かっています。そしてその行程は、わたしたちの人生の歩みのモデルでもあります。神はアブラハム、一人の人を呼びます。そしてこの人から民を生み出します。もし創世記を見るなら、最初のところ、創造の場面にあたるなら、星を作り、植物を作り、動物を作り、あれやこれやのものを作る神を見出すことができます。けれど人を作る時、たった一人を作ります。わたしたちに対して、神はいつも一対一で語りかけます。なぜならわたしたちを自分のイメージ、似姿に作ったからです。そして神は個別に語りかけるのです。アブラハムに語り、約束を述べ、その土地から出てくるようにと招きました。わたしたちキリスト者は個別に呼ばれました。わたしたちのうち誰ひとりとして単なる偶然でキリスト者であるわけではないのです!誰ひとりとして!」

 「名が呼ばれ、約束のある呼びかけというのが存在します」とパパは言った。「さぁ前に行きなさい。わたしがあなたとともにいる!わたしはあなたと共に歩く、と」。続けて言った。「そしてこのことを、イエスは知っていました。もっとも困難な瞬間にも父に向かいます」。

 「神はわたしたちと共に歩みます。神はわたしたちを名前で呼びます。わたしたちに子孫を約束します。そしてこのことがキリスト者にとってある意味安心感を与えます。偶然ではなく、呼びかけなのです!わたしが神の子となり、イエスの弟子となるための呼びかけなのです。この呼びかけを他の人々に伝えることでわたしが実りを生み出せるものとなるようにとの呼びかけです。わたしがこの呼びかけの道具となるようにとの呼びかけです。本当に多くの多くの問題があります。困難な瞬間もたくさんあります。イエスにもたくさん降りかかりました!けれどいつもあの安心感を保っていました。『主がわたしを呼ばれたから。主はわたしのような方である。主がわたしに約束して下さった』と」。

 ローマ司教は繰り返して言った。「主は忠実な方です。なぜなら彼は決して自分自身を偽ることができないからです。これが忠実さと言われるものです」。「そしてこのアブラハムが父として、民の父祖として初めて油を注がれる(=訳者注:神のために特別に選ばれる)個所を思いめぐらしながら、わたしたちも洗礼の時に(霊的に)油を注がれたことを考えます。そしてわたしたちのキリスト者の生活について考えます」。

 「このように言う人もいるでしょう。『父よ、わたしは罪びとです』と。けれど、罪びとというならば誰もがそうです。分りきったことです。問題にされるのは、罪人であるわたしたちが、主と共に前進すること、主がわたしたちになされたあの約束、あの沢山の約束を抱いて前進すること、そして他の人々に、主はわたしたちと共にいてくださるのだと語り聞かせること、主がわたしたちを選び、わたしたちを一人ぼっちに見捨てることはない、決してない!ということを語り聞かせることにあります。そのようなキリスト者の確信はわたしたちにとって益となります。主が、わたしたち全員に、この前進する望み、アブラハムが持っていた、多くの問題の最中ではあっても、主がわたしを呼んで下さったこと、主がわたしに本当に多くの素敵なことを約束し、一緒にいてくださるということを知ることがもたらす安心感をもって前進する望みを下さいますように」。

0 件のコメント:

コメントを投稿