2020年12月30日水曜日

使徒的書簡『父親の心で』 終わりに

 


 「起きて、子供とその母親を連れていけ」(Mt 2,13)と、神は聖ヨセフに言いました。

 この使徒的書簡の目的は、この偉大な成人への愛が育つためです。そうしてその取次ぎを求め、その諸徳を模倣し、またその解決への向かい方をも模倣するようにと皆さんが促されるようにと望みました。

 実際、聖人たちの具体的な使命というのは、奇跡やお恵みをくださることだけではなく、アブラハム[1]やモーセ[2]がしたように、そして「唯一の仲介者」であり(1 Tm 2,5)、御父の前でのわたしたちの「弁護者」であり(1 Jn 2,1)、「常に生きていて、人々のために執り成しておられる」(Hb 7,25; cf. Rm 8,34)イエスがしているように、神の前でわたしたちのために取り次ぐことにあります。

 聖人たちはすべての信者が「キリスト者の生活の[3]十全な状態と愛徳の完成」に至るようにと助けます。その生涯は、福音を生きることは可能であるということの具体的な証拠です。

 イエスは「わたしに学びなさい。わたしは柔和で謙遜な心の持ち主だから」(Mt 11,29) と言い、彼らは同時に模倣する生き方の模範です。聖パウロは「わたしに倣う者になりなさい」(1 Co 4,16)とはっきりと勧告しました[4]。聖ヨセフはその雄弁な沈黙を通してこれを告げました。

 多くの聖人聖女の模範を前に、聖アウグスティヌスは自問しました。「あなたはこうした聖人聖女の一人になれないのか?」と。そうして決定的な回心に至った時に、「これほどまでに古く、これほどまでに新しい美であるあなたを愛するのに、こんなにも遅くなってしまいました!」と叫びました[5]

 あらゆる恵みの中の一番の恵み、つまりわたしたちの回心という恵みを、聖ヨセフに求めるほかありません。

 このようにヨセフに祈りを向けましょう。

 贖い主の庇護者、おとめマリアの夫。

 神はあなたに御子を託し、マリアはあなたにその信頼を寄せ

キリストはあなたと共に人としての成長を果たしました。

 

 あぁ、幸いなるヨセフ、

 わたしたちにも父親としてご自身を示し、人生の歩みの中で導いてください。

 わたしたちに恵みといつくしみ、勇気を与え、

 あらゆる悪からお守りください。アーメン。

 

ローマ、ラテランの聖ヨハネ聖堂にて。

2020年、私の教皇職8年目の128日、聖母マリアの無原罪の宿りの祭日に。

フランシスコ



[1] Cf. Gn 18,23-32.

[2] Cf. Ex 17,8-13; 32,30-35.

[3] Conc. Ecum. Vat. II, Const. dogm. Lumen gentium, 42.

[4] Cf. 1 Co 11,1; Flp 3,17; 1 Ts 1,6.

[5] 『告白録』、8, 11, 27: PL 32, 761; 10, 27, 38: PL 32, 795.

使徒的書簡『父親の心で』 7.影にいる父親


 

 ヤン・ドブラチンスキーというポーランド人の作家は、その本『父の影』という本[1]の中で、聖ヨセフの生涯を小説化しました。影を想起させるようなイメージをもってヨセフの人物像を定めています。イエスにとって天の御父の地上における影、つまり彼を助け、守り、その歩みを続けるために決して彼のそばから離れない存在として見ているのです。モーセがイスラエルの民に思い起こさせていたあのことを考えましょう。「荒れ野でも、…あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た(Dt 1,31)。そのようにヨセフは全生涯を通して父としての役割を果たし切りした[2]

 誰も父親として生まれることはなく、父親になっていくものです。そして子を世に生み出すことだけで父親になれるのではなく、責任感を持って子の面倒をみることによって父親になるのです。誰かの人の人生の責任を引き受ける時はいつも、何らかの意味で、その人に関して父の役割を果たすことになります。

 わたしたちの現代の社会において、しばしば子どもたちには、父親がいないかのように見えることがあります。近年の教会も、父親たちを必要としています。聖パウロのコリントの人々に向けられた警告は、いつでも時宜にかなっています。「養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない」(1 Co 4,15)ですし、司祭や司教も使徒パウロのように語ることができるはずです。「福音を通し、キリスト・イエスにおいてあなたがたをもうけたのはわたしです(わたしがあなたがたをもうけたのです)」(ibíd.)。そしてパウロはガラテヤの人々にはこう言います。「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、あなたがたを産もうともう一度苦しんでいます」(4,19)

 父親であるということは、子どもを人生の経験へ、現実へと導くことを意味します。留めおくためでも、閉じ込めておくためでも、独占するためでもなく、選び、自由であり、出かけていけるようにするためです。おそらく、この理由で、伝統は、ヨセフに、父親という愛称に、「最も貞潔な」という言葉を添えてきたのでしょう。これは単に愛情面の指摘だけではなく、独占することとは正反対のことを表現する一つの態度のまとめです。貞潔とは、人生のあらゆる環境において所有の願望から自由であることにあります。愛が貞潔なものである時のみ、ほんものの愛であると言えます。所有したがる愛は、最終的に、危険で、閉じ込め、窒息させ、不幸にします。神ご自身が人を貞潔な愛で愛し、誤ったり神に対立することまでも含めて自由なままにしたのです。愛の論理はいつも自由の論理であり、ヨセフは特に尋常ではないほど自由な仕方で愛する能力のある人でした。決して自らを中心に置きませんでした。自分の人生の中心にマリアとイエスを置くために、自らを中心から外すにはどうすればいいかをよく知っていたのです。

 ヨセフの幸福は、自己犠牲の論理にあるのではなく、自分自身の賜物のうちにあります。この人の中では決して欲求不満は感じられず、ただ信頼のみが感じられます。その徹底した沈黙は、不平を見つめるのではなく、信頼という具体的なしぐさを心の目で捕えます。世界は父親を必要としており、オーナーを拒絶します。つまり、自分の虚しさを埋めるために他者の所有物を用いたがるような人を拒みます。権威を権威主義と履き違え、奉仕を屈従と履き違え、取り組みを圧迫と履き違え、愛徳を福祉マニアと履き違え、力を破壊と履き違える人々を退けます。ほんものの召命はすべて、単純な犠牲が成熟した状態である、自分自身という賜物から生まれます。司祭であることや奉献生活にもこのタイプの成熟が求められます。結婚生活であれ、独身生活であれ、処女性であれ、召命が、犠牲という論理にのみとどまり、自分自身を捧げるという成熟に至らないときには、愛の美しさと喜びのしるしとなる代わりに、不幸や悲しみ、欲求不満を表現する危険に陥ります。

 子どもという生き方をする誘惑を退ける父性は、いつも新しいスペースに対して開かれています。子どもは誰でも自分と共に神秘を携えています。それは、その自由を尊重してくれる父親の助けと共にのみ開かれうる、何か形容しがたいものです。自分が「使えない」ものになった時、子どもが自律的になり、ひとりで人生の小道を歩めるようになった時、いつも幼子が自分のものではなく、単に面倒を見るようにと託されたものであるということを知っていたヨセフの状況に身を置いた時、その教育活動が完成し、その父親としての役割が完全に生き抜かれたことになるということを父親は自覚するのです。結局、それこそイエスが提言していることになります。「地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ」(Mt 23,9)

 父親の役割を果たす状況にある時はいつも、これが決して所有するという行為ではなく、より上位の父としてのあり方を思い起こさせる「しるし」であるのだと心に刻んでおかなければなりません。ある意味で、誰もがヨセフの状況にあります。「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」唯一の天の御父の影であり(Mt 5,45)、御子について回る影なのです。

 

* * *



[1] 原本:『Cień Ojca, Varsovia 1977.

[2] Cf. S. Juan Pablo II, Exhort. ap. Redemptoris custos, 7-8: AAS 82 (1990), 12-16.

使徒的書簡『父親の心で』 6.労働するの父親

 


 聖ヨセフの特徴を表し、最初の社会回勅、レオ十三世の『レールム・ノヴァールム』の時代から強調されてきた一つの局面は、ヨセフの労働との関係です。聖ヨセフは、家族の生計を成り立たせるために正直に働いていた大工でした。ヨセフから、イエスは、自分の労働の実りであるパンを食べるということの意義に見られる価値、尊厳、喜びを学びました。

 わたしたちのいる現代というのは、労働がまるで緊急の社会問題を代表するようになり、時に無職がものすごいレベルにまで達する時代にあり、しかも何十年もの間ある程度の生活の安定を体験してきた国々においてすら、意識を新たにして尊厳を与え、わたしたちの聖人(ヨセフ)が模範的な保護者である労働の意味を理解する必要があります。

 労働は、救いのわざそのものへの参与、自らの可能性と質を社会と交わりへと奉仕させつつ発展させるために、御国の到来を早めるための機会となります。労働は、自分自身のためだけではなく、何よりもその社会の起源的な核である家族のためにも自己実現の機会となります。労働に欠ける家族は、より多く困難や緊張、断絶、さらに絶望的で崩壊という絶望をもたらす誘惑にさらされています。全員、そして一人一人が尊厳ある生活条件の可能性を持てるように献身することなくどうして人間の尊厳について語ることなどできるでしょうか。

 労働する人は、その務めが何であれ、神ご自身に協力し、わたしたちを取り囲む世界の創造者に少しだけなります。わたしたちの生きる現代の危機は、経済危機、社会危機、文化危機、霊的な危機とありますが、全ての人に対して、誰も除外されたままではない、新しい「日常」に場をゆずるための労働の意義、重要性、必要性を再発見するようにとの呼びかけを代弁し得るものです。聖ヨセフの仕事は、人となられた神ご自身は労働を軽蔑しなかったことを思い起こさせます。多くの兄弟姉妹をむしばんでおり、新型コロナウイルスの世界的蔓延によって最近さらに増加をしてきた労働の喪失は、わたしたちが何を優先すべきかについて再考するための呼びかけに違いありません。青年の誰も、どんな人も、どんな家族も、仕事のない状態にありませんように!とわたしたちが言うようになれる道を見出せるように、労働者聖ヨセフに祈りましょう。

使徒的書簡『父親の心で』 5.クリエイティブな勇気のある父親

 


 もしも真の内なる癒しのあらゆるステージの最初の段階が自分自身の歩みの歴史を歓迎すること、つまり、自分自身の中に、自分の人生において自分で選んだわけではないものも含め、そのための場を作ることであるならば、もう一つの重要な特徴を付け加える必要があります。クリエイティブな勇気です。これは、特に困難に出会うときに生じます。実際、ある問題に直面する時、わたしたちは、自分の動きを止めて、両腕を下げてしまうこともあり得ますし、あるいは何らかの仕方でこれに対処できるすべを身につけることもあり得ます。時々、困難は、まさに持てると思いもしなかったような能力を私たち一人一人の中で輝かせるきっかけになり得ます。

 しばしば、「幼児期の福音」を読みながら、なぜ神は直接明白な仕方で介入しなかったのだろうかと自問することがあります。けれど神は、出来事や人々を通して行動します。ヨセフは、贖いの歴史のはじめに神がその存在で満たした人です。ヨセフは、神が彼と共に幼子とその母親を救ったという、ほんものの「奇跡」でした。天は、この人のクリエイティブな勇気を信頼して介入しました。ヨセフがベトレヘムに着いて、マリアが出産するための場所を見つけることができなかった時に、馬小屋に入って環境を整え、そこを世に来られようとしていた神の御子のためのもっとも歓迎する精神に満ちた場へと変えたのです(cf. Lc 2,6-7)。幼子を殺したがっていたヘロデの差し迫る危険を前に、幼子を守るために今一度夢の中で忠告を受け、夜中にエジプトへの逃亡計画を整えました(cf. Mt 2,13-14)

 こうした物語の表面的な読書からは、いつもは世界が強い人、権力ある人に都合の良いようにできているような印象が与えられるものですが、福音の「良い知らせ」とは、地上的な為政者の傲慢や暴力にもかかわらず、神がその救いの計画を実現するための道をいつも見出す方法を示して下さることにあります。わたしたちの人生も、より強い権力の手の上にあるように思われることがしばしばですが、福音は、「摂理」に信頼をいつも何よりも前において、問題を一つの機会に変容させることができたあのナザレの大工と同様のクリエイティブな勇気を持つことを条件として、神は重要であるものをいつも救うことができると語っています。

 もし時々、神がわたしたちを助けてくれないと思われるならば、それはわたしたちを神が見捨てたということではなく、わたしたちにある、計画し、発明し、出会う能力に信頼しているということなのです。

 これは、中風の人の友だちが、イエスに彼を連れていくにあたり、天井から彼を下した時に示したあのクリエイティブな勇気と同じです(cf. Lc 5,17-26)困難はあの友人たちの大胆さと意地を留めることはできませんでした。彼らは、イエスが病人を癒すことができると信じて疑いませんでした。そして「群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた」(vv. 19-20)。その人たちが病気の友人をイエスの下まで何とかして連れて行こうとしたクリエイティブな信仰を認めたのです。

 福音はマリアとヨセフ、イエスがエジプトにとどまった時に関する情報を一切与えていません。しかしながら、確かなことは、食べたり、家を見つけたり、仕事を見つけたりする必要性があっただろうということです。この点にかんして福音の沈黙を生めるためにはそれほど多くの想像力を必要とはしません。聖家族はほかのどの家族とも同じような具体的な問題、わたしたちの移民兄弟姉妹たち、逆境や飢えのために否応なく命を危険にさらしている今日の移民の皆さんと土曜に、具体的な問題に向き合わなければなりませんでした。この点に関して、聖ヨセフは本当に、戦争や憎悪、迫害や悲惨な状況が理由で自分の土地を離れなければならないすべての人々にとって特別な聖なる保護者であるとわたしは思います。

 ヨセフが主人公になっている各物語の最後に、福音はヨセフが立ち上がり、幼子とその母親を連れて、神が自分に命じたことを行ったと指摘しています(cf. Mt 1,24; 2,14.21)。実際、イエスとその母マリアは、わたしたちの侵攻のもっとも貴重な宝物です[1]

 救いの計画において御子を、「信仰の巡礼の旅路を進み、忠実にその子との一致を十字架に至るまで保った母から分けることはできません」[2]

 常にわたしたちは自問しなければなりません。神秘的な仕方で私たちの責任、ケア、見守りに託されているイエスとマリアをわたしたちは全力で守っているかどうか、と。全能者の御子は世に来て、大いなる弱さという条件を引き受けました。防護され、保護され、ケアされ、育てられるためにヨセフを必要としました。ヨセフの中に自分の命を救うだけではなく、いつもマリアやその幼子のために目を覚ましていることになる姿を見出したマリアがヨセフにするのと同じ仕方で、神はこの人に信頼しました。この意味で、聖ヨセフは、教会の庇護者でなくなるということはあり得ません。なぜなら「教会」は歴史におけるキリストの「体」の延長であり、同時に、教会の母性のうちにマリアの母性を示すからです[3]。ヨセフは、教会を保護し続けると同時に、幼子とその母親を庇護し続けています。そしてわたしたちも、教会を愛しながら、幼子とその母を愛し続けるのです。

 この幼子こそ、後に「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(Mt 25,40)と言うことになる方なのです。このように、困窮にある人、貧しい人、苦しむ人、死が間近な人、外国人、刑務所の人、病人一人一人が、ヨセフが庇護し続けている「子」なのです。そのため聖ヨセフを貧しい人の保護者、困窮者の保護者、流刑者の保護者、苦しむ人、貧乏な人、死が間近な人の保護者として呼びかけられるのです。そして同じ理由で、教会はより小さな者たちを愛さずにはいられません。というのも、イエスが彼らを優先し、個人的に彼らと自分を同類とみなしたからです。わたしたちはヨセフから、同じケアと責任を学ばなければなりません。幼子とその母を愛することを。諸秘跡と愛徳の業を愛すること、教会と貧しい人たちを愛すること、こうした現実の一つ一つの中で、いつも幼子とその母を愛することを。



[1] Cf. S. Rituum Congreg., Quemadmodum Deus (8 diciembre 1870): ASS 6 (1870-71), 193; B. Pío IX, Carta ap. Inclytum Patriarcham (7 julio 1871): l.c., 324-327.

[2] Conc. Ecum. Vat. II, Const. dogm. Lumen gentium, 58.

[3] Cf. Catecismo de la Iglesia Católica, 963-970.

使徒的書簡『父親の心で』 4.歓迎する父親



 ヨセフは前提条件をつけることなくマリアを迎え入れました。天使の言葉に信頼しました。「ヨセフはその心の貴さをもって、律法において学んだことを愛徳の下に従属させました。そして今日、女性に対する心理的暴力、言葉の暴力、身体的な暴力が明らかなこの世界の中で、ヨセフはまだあらゆる情報がないうちに、マリアの名誉、尊厳、生命によって決断する、尊重と繊細さを兼ね揃えた男性像として現れます。そして、よりよくするにはどうすればいいかとういうその疑いの中で、神は彼の判断を照らしながら選択の助けとなりました」[1]

 人生の中ではしばしば、意味が理解できないような出来事が起こります。わたしたちの最初の反応と言えば、しばしば落胆や反抗です。生じたことに対して歩を進めるために自分の理性判断を脇にやり、どれほど神秘に満ちているように思えても、これを受け入れ、責任を引き受け、自らの歴史と折り合いをつけます。もしわたしたちが自分たち自身の歴史と折り合いをつけられないなら、次の一歩に踏み出すこともできないでしょう。なぜならそのままではいつもわたしたち自身が思い描いた期待と、この結果もたらされる幻滅の囚人となってしまうでしょうから。

 ヨセフの霊的生活は、わたしたちに説明の方法ではなく、歓迎の方法を示します。この歓迎、この和解(折り合い)に端を発してのみ、より大いなる歴史、より深い意義をも感じ取ることがでるのです。どうやらヨブが、生じたあらゆる災厄に対して反抗するようにとの妻の招きを前に答えとして発した情熱的な言葉をこだまさせているかのようです。「わたしたちは、神から良いもの(幸福)をいただいたのだから、悪いもの(不幸)もいただこうではないか(Jb 2,10)

 ヨセフは、受動的に仕方なくあきらめる人ではありません。ヨセフは勇気と力に満ちた主人です。歓迎とは、聖霊からわたしたちにもたらされる剛毅の賜物がわたしたちの生活の中で示される一つの方法です。主のみがわたしたちに、人生をありのままに受け入れ、その矛盾的で予期せぬ、存在の失望の部分にも場を与える力をくださることがおできになる方なのです。

 わたしたちの間へのイエスの到来は、御父からのプレゼントであり、そうして一人一人が、すべてのことについて理解せずとも、自分自身の歴史の肉(本質)の部分と折り合いをつけることができるようにしてくれます。

 それは、神がわたしたちの見ている聖人に向かって言っていることと同じです「ヨセフ、ダビデの子、恐れることはない」(Mt 1,20)という言葉は、わたしたちにも繰り返されているかのようです。「皆さん、恐れることはありません!」と。わたしたちの怒りや失望を脇にやり、この世的な諦めなしに、希望に満ちた力をもって、自分たちが選んだわけではないけれどそこにあるものに対して場を与えなければなりません。このような形で人生を歓迎することは、私たちを隠された意義との出会いへと導きます。わたしたち一人一人の人生は、もし福音がわたしたちに語るようにそれを生きるための勇気を見出すならば、奇跡的に新たに始められるものになるのです。そしてたとば今すべてが誤った道を選んできてしまったかのように見えたり、ある問いが不可逆的に見えたとしても、それは重要ではありません。神は花を岩の間に芽生えさせることができるお方なのです。自分の良心が何かについてわたしたちを咎める時ですら、「神は、わたしたちの良心(心)よりも大きく、すべてをご存じだからです」(1 Jn 3,20)

 存在するものを一切拒まないキリスト教の現実主義が今一度回復します。現実とは、決して簡略化されうることのない複雑さのうちに、その光と闇をそなえた存在の意義を持つものです。それゆえ使徒パウロはこう断言しています。「神を愛する者たち…には、万事が益となるように貢献するということを、わたしたちは知っています」(Rm 8,28)。そして聖アウグスティヌスはこう付け加えています。「たとえ悪とわたしたちが読んでいるものですら(etiam illud quod malum dicitur)[2]。この一般的なものの見方において信仰は、幸福でも悲しくても、一つ一つの出来事に意味を与えます。

 そこで、信じるよりも考えることが良いとは、慰めるよりも簡単な解決を見出すほうが大切だということを意味しているというようなもののとらえ方は、わたしたちから遠くにあってほしいものです。他方、キリストがわたしたちに教えてくださった信仰は、聖ヨセフのうちにわたしたちが見ている信仰であり、これによってヨセフは近道を探すことなく、「目をよく見開いて」自分に生じたことに向き合い、第一人称でその責任を引き受けたのです。

 ヨセフにある歓迎の姿勢は、他の人々を、例外なく、ありのままに、弱者への優先性を持って歓迎するようにわたしたちを招いています。なぜなら、神は弱い者を選び(cf. 1 Co 1,27)、「みなしごの父となり、やもめの訴えを取り上げてくださる」方であり、他国から来た人を愛するようにと命じる方だからです[3]。わたしは、イエスがヨセフの態度を、放蕩息子といつくしみ深い父親のたとえ話のためのモデルとしたのではないかとイメージしたのではないかと思いたくなってしまいます(cf. Lc 15,11-32)



[1] Homilía en la Santa Misa con beatificaciones, Villavicencio – Colombia (8 septiembre 2017): AAS 109 (2017), 1061.

[2] Enchiridion de fide, spe et caritate, 3.11: PL 40, 236.

[3] Cf. Dt 10,19; Ex 22,20-22; Lc 10,29-37.


使徒的書簡『父親の心で』 3.聴き従う父親

 


 神はご自分の救いの計画をマリアに示した時と同様に、ヨセフにもそのご計画を啓示し、あらゆる古代の諸民族におけると同様、聖書において神が自らの意志を表明する時に使った方法の一つと考えられていた、夢見を通してこれを行いました[1]

 ヨセフはマリアの理解不能な妊娠によって大変苦悩していました。「マリアのことを表ざたにするのを」望まず、「ひそかに縁を切ろうと」決心しました(Mt 1,19)[2]。最初の夢の中で、天使は彼の重大なジレンマを解決する手助けをしました。「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアに宿っている胎の子は聖霊からのものだからです(新共同訳:マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである)。マリアは男の子を産む。その子をイエス(主は救うという意味)と名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(Mt 1,20-21)。ヨセフの答えは即座になされました。「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたにした」のです(Mt 1,24)。聞き従うことによってその劇的な出来事を乗り越え、マリアを救ったのです。

 二つ目の夢では、天使はヨセフにこう命じました。「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」(Mt 2,13)。ヨセフは立ち向かうことになるであろう困難について問うこともせず、疑わずに聞き従いました。「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた」(Mt 2,14-15)

 エジプトで、ヨセフは自国に戻るために天使によって約束された連絡を信頼と忍耐のうちに待ちました。そして第三の夢の中で神の使いは、幼子を殺そうとしていた者たちは死んだということを伝えた後で、起きて幼子とその母親を連れて、イスラエルの地に戻るようにと命じ(cf. Mt 2,19-20)、ヨセフは今回も、動揺せずに聞き従いました。「ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入った(新共同訳:イスラエルの地へ帰ってきた)」。けれど帰りの旅の間に、「アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので―そしてこれが四度目の出来事でしたが―、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ」(Mt 2,22-23)

 他方、ルカ福音記者は、ヨセフが自分の出身地で登録をするために、皇帝セサル・アウグストゥスの住民調査の法律に従って、ナザレからベトレヘムへの長く快適ではない旅に取り組んだことを記述しました。そしてまさにこのような状況下でイエスは生まれ、他のすべての子どもたちと同様に、帝国に住民登録されたのでした(cf. Lc 2,1-7)

 聖ルカは、特別な仕方で、イエスの両親が律法の定めをすべて守っていたことを強調することに気を回しました。イエスの割礼の儀式と、産後のマリアの浄めの儀式、神に長子を捧げる儀式についての記述です(cf. 2,21-24)[3]

 ヨセフは、人生のあらゆる状況の中で、お告げの時のマリアやゲッセマニでのイエスのように、自分の「fiat(なれかし)」を口にすることができました。

 ヨセフは、家長という役割の中で、神の戒め(十戒)に従って、両親に対して従順であるようにとイエスに教えたことでしょう(cf. Ex 20,12)

 ナザレでの目立たない生活の中で、ヨセフの導きの下、イエスは御父のみ旨を行うことを学びました。そのみ旨はイエスの日々の糧と変容していきました(cf. Jn 4,34)。しかもその人生で最も困難だった瞬間、つまりゲッセマニにおけるその時間に、自分の気持ちよりも御父のみ旨を行うことを好み[4]、「十字架の死に至るまで…従順」になりました(Flp 2,8)。そのため、ヘブライ人への手紙の著者は、イエスが「多くの苦しみによって従順を学ばれました」(5,8)と結んでいます。

 こうしたすべての出来事は、ヨセフが「その父性の実践を通してイエスの人柄と使命に直接奉仕するために神から呼ばれた」ということを示しています。このような形でヨセフは時が満ちると、贖いの大いなる神秘に協力しますし、そして本当にヨセフは「救いの奉仕者」なのです[5]



[1] Cf. Gn 20,3; 28,12; 31,11.24; 40,8; 41,1-32; Nm 12,6; 1 Sam 3,3-10; Dn 2; 4; Jb 33,15.

[2] この場合、石打の刑に処せられることになっていた (cf. Dt 22,20-21).

[3] Cf. Lv 12,1-8; Ex 13,2.

[4] Cf. Mt 26,39; Mc 14,36; Lc 22,42.

[5] S. Juan Pablo II, Exhort. ap. Redemptoris custos (15 agosto 1989), 8: AAS 82 (1990), 14.

使徒的書簡『父親の心で』 2.やさしい父親


 

 ヨセフはイエスが「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛され」(Lc 2,52)日々成長していくのを見ました。主がイスラエルに対してなさったように、ヨセフはイエスに「歩くことを教え、腕に抱き、彼にとって子どもを自分の頬の高さまで抱き上げ、食べさせるためにみをかがめる父親のようであった」のです(cf. Os 11,3-4)

 イエスは神のやさしさをヨセフのうちに見ました。「父がその子を憐れむように、主は主を畏れる人を憐れんでくださる」(Sal 103,13)

 会堂(シナゴーグ)での詩編の祈りの間、ヨセフはきっと、イスラエルの神がやさしさの神であり、すべての人にとって善い方であり[1]、「そのやさしさは造られたすべてのものに及びます(新共同訳:造られたすべてのものを憐れんでくださいます)」(Sal 145,9)という声がこだまするのを聞き取ったことでしょう。

 救いの歴史はわたしたちの弱さを通して「希望するすべもない時に」(Rm 4,18)信じることで成就します。しばしばわたしたちは、神は良い部分、私たちの勝者の部分にのみ基づいていると考えがちですが、実際はそのご計画のほとんどは、私たちの弱さを通し、私たちの弱さにもかかわらず実現されるのです。これこそが聖パウロに次のように言わせることになるのです。「そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である!。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました」(2 Co 12,7-9)

 もしこれが救いの仕組み(経綸)の展望であるならば、わたしたちは、自分の弱さを、強く濃く深い優しさをもって受け止めることを学ばなければならないのです[2]

 悪はわたしたちの脆弱さをネガティブな判断で見させるのですが、他方、聖霊はこれをやさしさをもって光の下に持ってくるのです。わたしたちの中にある脆弱な部分に触れるための一番の触れ方は、やさしさです。他の人について指摘する指や批判は、しばしば自分自身の弱さや脆さを受け入れる能力不足のしるしです。「告発者」のわざからわたしたちを救えるのはやさしさだけです(cf. Ap 12,10)。このようなわけで、神の慈しみに出会うことは重要です。特に和解の秘跡の中で、真理とやさしさの体験をしながら。皮肉も、悪もわたしたちに真理を告げることができますが、その場合、それはわたしたちを罪に定めるためです。しかしながら、神からくる「真理」は、わたしたちを罪に定めることなく、わたしたちを受け入れ、抱きしめ、支え、ゆるすということを私たちは知っています。「真理」はいつもたとえ話のいつくしみ深い父親のように示されます(cf. Lc 15,11-32)。わたしたちに会うために出て来て、わたしたちの尊厳を回復し、わたしたちを改めて自分の足で立たせるようにし、わたしたちと共に祝います。なぜなら「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」(v. 24)からです。

 ヨセフの苦悩を通しても、神のみ旨やその歴史、そのご計画が届きます。このようにして、神を信仰するということには、神がわたしたちの恐れや脆さ、弱さをとおしても行動することがお出来になることを信じることも含まれると、ヨセフはわたしたちに教えています。そして人生の嵐のさなかで、恐れずに神にわたしたちの舟のかじをゆずるべきであるということをも教えています。時々、わたしたちはすべて


[1] Cf. Dt 4,31; Sal 69,17; 78,38; 86,5; 111,4; 116,5; Jr 31,20.

[2] Cf. Exhort. ap. Evangelii gaudium (24 noviembre 2013), 88, 288: AAS 105 (2013), 1057, 1136-1137.


使徒的書簡『父親の心で』 1.愛された父親



 聖ヨセフの偉大さは、マリアの夫、イエスの父親であったという事実にあります。そのようなわけで、聖ヨハネ・クリゾストモが言っているように、「(ヨセフは)受肉の仕組みすべてに奉仕する形で携わるようになりました」[1]

 聖パウロ6世は、ヨセフの父性は、具体的に「その人生を、奉仕そのものにし、受肉の神秘と、それと一つになっている贖いの使命に捧げた時、聖家族の中で彼に帰する法的な権威を、自分自身や自分の生活、自分の仕事を完全な賜物とするのに利用した時、自らの人間としての家庭内の愛という召命を、自分自身とその心、自分の家に生まれた救い主に奉仕することに置かれた愛におけるあらゆる能力を超自然的な捧げものにした時に示されました」[2]

 その救いの歴史における役割があって、聖ヨセフは父親としてキリスト教国でいつも愛され続けてきました。それは全世界における数多くの教会堂がヨセフに捧げられているという事実や、多くの修道会や兄弟的共同体、教会グループがその霊性からインスピレーションを受け、その名を掲げている事実、何世紀も前から様々な聖なる催しがヨセフをたたえて祝われているという事実に示されています。多くの聖人聖女がヨセフに対して大いなる信心を抱いていました。その中でもアヴィラの聖テレサは、ヨセフを弁護者、取次手としてとらえ、ヨセフに多くのことを委ね、ヨセフにお願いしたあらゆる恵みを受けました。その経験に励まされて、聖女はほかの人々にもヨセフに対する信心を持つように説得したものでした[3]

 あらゆる祈りの本に、聖ヨセフに対する何らかの祈りが載せられています。水曜日ごとにヨセフに向けられた具体的な祈り、特に3月いっぱいの、伝統的にヨセフに捧げられた祈りがあります[4]

 聖ヨセフに対する人々の信頼は、「ヨセフのところに行きなさい」という表現にまとめられます。これは、エジプトを飢饉が襲ったときに、人々がファラオにパンを求め、彼が「ヨセフのもとに行って、ヨセフの言うとおりにせよ」(Gn 41,55)と答えたことに関連しています。このヨセフというのは、ヤコブ(イスラエル)の息子ヨセフのことです。妬みのために兄弟たちが売りに出そうとし(cf. Gn 37,11-28)、聖書の話によれば、後にエジプトの大臣になったあのヨセフです(cf. Gn 41,41-44)

 ダビデの子孫として(cf. Mt 1,16.20)、預言者ナタンによってダビデになされた約束に従えばその根(末裔)からイエスが芽を出すことになっていたわけですが(cf. 2 Sam 7)、ナザレのマリアの夫として、聖ヨセフは旧約と新約のつなぎの部品のような役割を果たしているのです。



[1] In Matth. Hom, V, 3: PG 57, 58.

[2] Homilía (19 marzo 1966): Insegnamenti di Paolo VI, IV (1966), 110.

[3] Cf. Libro de la vida, 6, 6-8.

[4] 毎日、40年以上、朝の祈りの後で、私はイエスとマリアの修道女会の、19世紀のフランスの信心本からとられた、ヨセフに対する信心や信頼、そしてある種の挑戦を表現する、次のような聖ヨセフへの祈りを唱えています。「栄光ある父祖聖ヨセフ、あなたの力によって不可能なことを可能にすることができます。この苦悩と困難の時に、私を助けに来てください。あなたに信頼するこれほどまでに重大で困難な状況をあなたの保護のもとで受け留め、よい解決をもたらしてください。私の愛するお義父さん、私はあなたに全幅の信頼を寄せます。誰にも、あなたに呼びかけるのが無駄であったと言わせないようにしてください。あなたがイエスやマリアに対してすべてのことを行うことができるのと同様に、私に、あなたの善意があなたの力のように偉大であることを示してください。アーメン。」

使徒的書簡『父親の心で』序文

 

教皇フランシスコ使徒的書簡『父親の心で』

― 聖ヨセフを普遍(カトリック)教会の保護者として宣言してから150周年を記念して



 

 父親の心で:このようにヨセフは、四つの福音書でも「ヨセフの子」と呼ばれているイエスを愛しました[1]

 その人物像を証言した二人の福音記者、マタイとルカは、少しだけれど、どのようなタイプの父親であったか、そして「摂理」が彼に託した使命(ミッション)を理解するには十分なほど言及しています。

 質素な大工であったこと(cf. Mt 13,55)、マリアと婚約していたこと(cf. Mt 1,18; Lc 1,27)、「正しい人」(Mt 1,19)、いつも神の律法に表された神のみ旨 (cf. Lc 2,22.27.39)や四つの夢見を通して示された神のみ旨(cf. Mt 1,20; 2,13.19.22)を行う心構えがある人であったことを私たちは知っています。ナザレからベトレヘムへの長く厳しい旅の後で、ほかの場所には「彼らのために場所がなかった」(Lc 2,7)ために馬小屋で救い主が生まれるのを見ました。それぞれイスラエルの民と異邦人の民の代表ともいえる羊飼いたち(cf. Lc 2,8-20)や占星術師たち(cf. Mt 2,1-12)の礼拝の場面に立ち会いました。

 イエスの法的な意味での父親となることを勇気をもって引き受け、「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(Mt 1,21)と天使が示した通りの名をつけました。周知のとおり、古代の人々の習慣では、人やものに名前を付けるということは、創世記の物語の中でアダムが行ったように(cf. 2,19-20)、所有権を得ることを意味していました。

 誕生後40日たって、神殿の中で、ヨセフは、母親と共に、幼子を主のもとに連れて行き、イエスとマリアについてシメオンが口にした預言を驚きつつ耳にしました(cf. Lc 2,22-35)。イエスをヘロデ王から守るために、外国人としてエジプトにとどまりました(cf. Mt 2,13-18)。地元に帰ると、生まれ故郷のベトレヘムからも、神殿のあったエルサレムからも遠い、「預言者が一人も出たことがなく」「良いものなど何一つ出ることのできない」(cf. Jn 7,52; 1,46)ガリラヤ地方のナザレという小さく無名の村でひっそりと暮らしました。エルサレムに巡礼を行っていた時に、12歳のイエスを見失い、ヨセフとマリアは心配しながらイエスを探し、律法の専門家たちと議論をしていた最中のイエスを神殿で見つけました(cf. Lc 2,41-50)

 教皇教導職の中で、神の母マリアに次いで、その夫であるヨセフほど重要な場を占める聖人はいません。私の先任者たちは、救いの歴史の中でのヨセフが持つ中心的役割を取り上げるために、福音書を通して伝えられたわずかなデータの中に含まれているメッセージについて深く吟味しました。たとえば福者ピオ9世はヨセフを「カトリック教会の保護者」と宣言し[2]、尊者ピオ十二世は「労働者の保護者」[3]、聖ヨハネ・パウロ二世は「贖い主の庇護者」[4]と紹介しました。大衆は「良き臨終の保護者」としてヨセフに呼びかけます[5]

 そのため、福者ピオ9世が1870128日にヨセフをカトリック教科の保護者として宣言してから150年を迎えるにあたり、私は、イエスもおっしゃったとおり、「口が心にあふれていることを語る」(cf. Mt 12,34)ような形で、わたしたちの人間的な状況にこれほどまでに近い、このものすごくすばらしい人物像についての個人的な回想をいくつかみなさんと分かち合いたいと思います。この願いはこの世界規模の感染症を生きる数か月の中で育ってきました。私たちに打撃を与えている危機のさなかで、次のようなことを体験することができました。「私たちのいのちはふつうの人たち―流れの中で忘れられる人たち―によって編まれ支えられています。彼らは新聞や雑誌の一面を飾ることもなく、最新のビッグショーのランウェイに出てくることもないけれど、疑う余地なく、今日、わたしたちの歴史の決定的な出来事を書きつづっています。医者、看護士、スーパーの棚に商品を並べ直す担当者たち、清掃員、物品管理者、物品運送者、警察などの社会保安隊、ボランティア、司祭、修道者、ひとりで救われる人は誰もいないと理解した多くの、しかし実に多くの他の人々…。パニックの種をまかないように気を付け、むしろ共同責任感の種を植えるよう意識しつつ、日々忍耐を示し、希望を促す人々が実に多くいらっしゃいます。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、先生たちで、わたしたちの子どもたちに、日々の小さなしぐさで、新しい生活習慣に適応しつつ、まなざしを上げ、祈りを促しながら、危機にどのように立ち向かいこれを乗り越えていくのかを示している人は、実にたくさんいらっしゃいますよね。実に多くの方々、すべての人の善を願って祈り、身を尽くし、取り次いでおられます」[6]。このすべての皆さんに、聖ヨセフの中で出会うことができます。目立たずに過ごす人、つつましく隠れた日々にそこにいてくれる人、困難の時の取次ぎ手、支え手、導き手。聖ヨセフは、一見隠れ、あるいは「第二線」にいるすべての人々に、救いの歴史の中で唯一無二の重要な役割があることを思い出させてくれます。そのすべての皆さんのことを、わたしは思い起こし、感謝をささげて言葉を向けたいと思います。



[1] Lc 4,22; Jn 6,42; cf. Mt 13,55; Mc 6,3.

[2] S. Rituum Congreg., Quemadmodum Deus (8 diciembre 1870): ASS 6 (1870-71), 194.

[3] Cf. Discurso a las Asociaciones cristianas de Trabajadores italianos con motivo de la Solemnidad de san José obrero (1 mayo 1955): AAS 47 (1955), 406.

[4] Exhort. ap. Redemptoris custos (15 agosto 1989): AAS 82 (1990), 5-34.

[5] Catecismo de la Iglesia Católica, 1014.

[6] Meditación en tiempos de pandemia (27 marzo 2020): L’Osservatore Romano, ed. semanal en lengua española (3 abril 2020), p. 3.