2013年6月24日月曜日

6月21日、朝ミサ説教:自分は疲れた心を持っているのか、落ち着かない心を持っているのか。

朗読個所  : 聖アロイジオ・ゴンザガ修道者(記)
          二コリント11・18、21b-30
          マタイ6・19-23
バチカン、6月21日16時25分(バチカンラジオ)

 
  愛することのでき、役に立たない宝を求めることで道を誤らないような心を持つ恵みを神に求めること。これが聖マルタの家でこの金曜日にパパ・フランシスコがした説教のまとめである。

 ミサに共同司式で上がったのは、法文評議会の議長フランチェスコ・コッコパルメリオ枢機卿、次官のフアン・イグナシオ・アリエタ卿、次官補のホセ・アパレシード・ゴンサルヴェス・デ・アルメイダ師で、同じ評議会の協力者たちが参列した。また、「聖マルタの家」の従業者たちのようにジャコモ・チェレット卿に導かれたラテランの聖ヨハネ大聖堂の役員のグループも参列した。

 人生の後のいのちにおいて持っていくことのできる唯一の宝の獲物はキリスト者であることの意義のみである。これがイエスがマタイからとられた今日のあなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」という福音の個所で弟子たちに説明しているところである。パパ・フランシスコが説明するには、「問題は、富を勘違いすることに見出されるのです」。「心を捉えるが捨て去らなければならない危険な宝があるのです。それは人生の間にため込んで、死の時には役立たないものです」。教皇は軽い皮肉を込めて言った。「一度も葬送行進の後ろに続く引っ越しトラックを見たことはありません。一度も」。「けれど一緒に持っていくことのできる宝物もあります。それは誰も奪うことのできないものです。それは自分のために貯めたあぁしたものではありません。そうではなく、他者のために与えた宝物です」と確言した。

 「他の人々に与えてきたあの宝、その宝をわたしたちは運ぶのです。そしてそれはわたしたちの鍵括弧つきの功績です。けれどそれはわたしたちのうちにおられるイエス・キリストの、わたしたちの「功績」なのです。そしてそれを持っていかなければならないのです。それこそ主がわたしたちに持っていってもいいとしてくださるものなのです。愛、愛徳、奉仕、忍耐、善意、やさしさ、そうしたものは最高に素敵な宝です。それをわたしたちは持っていくのです。他のものではないのです」。

 それゆえ、福音が言っているように、神の目に適う宝物は、地上にいる時から天に積まれたものなのです。けれどイエスは、もう一歩さらに進めます」と教父はつめた。「心を縛り付け、双方の末端の間の関係を作るのです」。そして加えた「これは、なぜなら主が求めるようにと、そのようになさった落ち着きのない心がわたしたちの心だからです」。

 「主は、わたしたちがご自身を求めるように、主に出会うように、育つために落ち着きないものとして創造されました。なぜならもしわたしたちの宝が主の側にない宝なのであったら、主のものではなく、わたしたちの心は価値のないもののために、こうした宝物のために落ち着きをなくすのです。実に多くの人は、わたしたちをも含め、落ち着きがありません。これを持っているために、それを手に入れるがために、最後にはわたしたちの心は疲れ、決して満足できないのです。疲れ、たるみ、愛のない心になってしまうのです。心の疲れ。このことを考えましょう。自分には何があるでしょう?だあれやこれやの銀行口座を満たして三つ四つのことに妥協しようとのみ望む疲れた心があるのでしょうか?それとも所有しきれない物事、主のものごとをますます求める、落ち着くことを知らぬ心でしょうか?いつでも心のこの落ち着きなさが必要なのです」。

 ローマ司教は続けた。「この点で、キリストは『眼』に由来することにも注意を促します。『眼』は『こころの意図』のシンボルで、体に反映します。『愛する心』は体を『輝かしいもの』とし、『悪い心』は体を『暗く』するのです」。光と闇の対比から、パパは注意を促した。「ものごとはわたしたちの判断次第です。他のことと同様に、地上の宝に執着した石の心が憎しみの宝にもなりうる利己的な宝になるという事実が戦争の起源ととなるのと同じように」。フランシスコの最後の祈りは卿記教会が記念する聖アロイジオ・ゴンザガの取り次ぎを求め、「新しい心、肉の心の恵みを求めましょう」という祈りであった。

 「主が石となったこうした心のかけらをすべて、あの落ち着きのなさをもって、前進しようとする善意の渇望によって、主を求めつつ、主に求められつつ、人間的なものに戻して下さいますように。主がわたしたちの心を変えてくださいますように!そうしてわたしたちを救ってくださるでしょう。主との出会いをできるように助けとならない宝から救い、わたしたちを他者への奉仕へと据え、本物の宝に基づいて彼の真理を知り、判断するための光をも与えてくださるでしょう。主がわたしたちの心を変え、本物の宝を探すことができるようにし、そうしてわたしたちを闇の人ではなく、輝かしい人としてくださいますように」

(RC-RV)

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