2013年6月15日土曜日

『チビリタ・カットリカ』の作家たちを回想に招きつつ:対話、識別、境界


 
 パパ・フランシスコは愛情をこめて作家の共同体に、1850年から教皇と使徒座との特別な関係によって特徴づけられる仕事を発展させているイエズス会の出版物「Civilta Cattolica」の管理の役割をしている人々と修道女たちをも合わせて、挨拶をした。そして自分の前任者たちは謁見においてここ数年しばしばこの絆が「その雑誌の本質的な性格であった」ことを引き合いに出した。この理由で、このローマ司教とこの重要な出版を実現する人々との最初の会合において、教皇は彼らに「その努力を助ける」目的で三つの言葉を提案した。

 最初の言葉は「対話」である。そして彼らに、なぜなら彼らが重要な文化奉仕を発展させているからだと言った。

 「けれどその一番の務めは壁を作ることではなく、橋を作ることです。キリスト教の信仰を分かち合わないけれども教会に反対し、様々な仕方でこれを迫害する人々も含めた高い人間的価値観の文化を持った人々をも含めたすべての人々との対話を確立することです。議論し分かち合わなければならない人間の問いは非常に多く、対話においていつも神の賜物である真理に近づくことは可能で、互いに豊かにし合うことができるのです。対話するとは、相手に何か語るに値することがあるという確信を持っており、相手の観点や意見、提案を、当然相対主義に陥らずに受け入れる余地を作るということを意味します。そして対話するためには防御壁を下ろし、扉を開く必要があるのです」。

 この理由から、パパはこの愛すべき兄弟たちに、文化的、社会的、政治的組織との対話を続け、またその貢献を提供して「すべての人の善への関心を持つ市民の養成を行い、共通善のために働く」ようにと頼んだ。「Civilita Cattolica」は愛とあわれみ、信仰の市民化なのである、とフランシスコは述べた。

 「二つ目の言葉は、識別です。その務めは期待、願い、喜び、この時代のドラマを受け入れまた表現し、福音に照らして現実を読むための要素を提供することにあります。こんにちの大きな霊的な問いは、かつてないほど活き活きとしているけれど、それを解釈し理解する人が必要です。謙遜で開かれた知性をもって、イグナシオが書いていたように、『あらゆることにおいて神に出会うようにしてください』」。

 そして彼らに、神はあらゆる人の生活と文化において働くことを思い返させた。聖霊は吹きたいところで吹くのである。だから神が働かれたこととその働きをどのように続けるかを発見するように努めることを勧めた。人間と文化の現実における神の霊の現存を認識するように努めるよう勧めたのである。

 「三つ目の言葉は、境界です。『La Civilita Cattolica』のような文化雑誌の使命は、現代文化の議論に入り、まじめな仕方で、また同時にアクセス可能な仕方でキリスト者の信仰からの視点を提案することにあります。福音と文化の間の断絶は間違いなく悲劇です。皆さんは、皆さんと読者一人一人の心にも起こるこの断絶を癒すためにその貢献をするようにと呼ばれているのです」。

 別れ際に、パパ・フランシスコは、彼らの間に青年たち、青年ではない人々、そして老人がいることに気づいていることを表明して言った。「みなさんの雑誌は皆さんの時代においていのちと研究の共同体から生まれる唯一の雑誌です。それはちょうど自分の声を一人ひとりが持って互いに混じり合う合唱におけることと同様、他者の声とのハーモニーに加わるものです」。この理由で教皇は、彼らを当てにする約束を証明しながら彼らを励まし、一方で彼らを歩みの聖母に委ね、彼らの協力者や読者の存在を忘れずに、彼らに特別な使徒的祝福を与えた。
(マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ– RV).

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