2013年6月13日木曜日

6月12日、朝ミサ説教:退く誘惑と『思春期のような進歩主義』を避ける

朗読個所  : 二コリント3・4-11
          マタイ5・17-19

バチカン、6月12日13時07分(バチカンラジオ、葡語版)

 聖霊がわたしたちに下さる自由に恐れを抱いてはいけません。これはブラジル人のジョアオン・ブラス・ジ・アヴィス枢機卿が共同司式に上がった今朝の聖マルタの家でのミサ中にパパ・フランシスコが強調したことである。 

 「わたしは律法を廃止するために来たわけではない」。教皇はその説教をこのイエスが弟子たちに向けて語られたことばから始めて展開し、この福音個所はモーセの律法よりも強引な「新しい法の表現」である真福八端に続いている個所であることを観察した。 

 「この掟は、契約の実りです」と加えた。「そしてその契約なしに理解することはできません。イエスは、法が成熟したことの表現です」とパパは確言した。そして時が満ちれば、それは聖霊の働きによってもたらされる、と述べた。 

 「この小道を歩んでゆくことは危険にさらすことですが、成熟のための唯一の小道なのです。それはわたしたちが成熟していないような時代から出て行くことです。この法の成熟へと続く道において、イエスの説教の場面に見られる人々には、恐れが生じます。聖霊がわたしたちに下さる自由への怖れです。聖霊の法はわたしたちを自由にするのですよ!」
 

 さらに言った。「聖霊の法は、神のみ旨を行うためのたゆまぬ識別の道へとわたしたちを導きます」。この歩みにおいて、二つの誘惑に注意を促していなければなりません。まずは退く誘惑です。自分はもっと確実だと感じこんでいるからです。もうひとつは『思春期のような進歩』ですが、これは他の価値観や決まりをグローバルなものとして取り込もうとする道から出て行かせるものです。

 「思春期の青年たちがやる気を持ってすべてのことを手に入れようとするけれど滑って終わってしまいます・・・・・・。わたしたちは、この教会の歴史の一瞬において、退くことも、道から抜け出ることもできずにいます」。

 「道は、聖霊における自由の道であり、わたしたちを自由にします。それは神のみ旨についての持続的な識別においてなされます」。そして結んで言った。「主に、聖霊の恵みをもって続けていけるように求めましょう」。
(BF)

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