2013年6月25日火曜日

6月23日、『お告げの祈り』:愛をもって自分のなすべきことを果たしつつキリストのためにいのちを失うこと


バチカン、6月23日12時11分(バチカンラジオ)

『お告げの祈り』の時間の教皇の説教全文

愛する兄弟姉妹の皆さん、おはよう!

 この主日の福音で、イエスのもっとも鋭い言葉のうちのひとつが響きます。「
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ9章24節)。

 ここにはキリストのメッセージのある種の要約があり、とても効果的なパラドックスをもって表現されています。そこでわたしたちはイエスの語り口を知ることができます。ほとんどその声を感じられるかのようです……。

 けれど、「イエスのために命を失う」とは、どういう意味でしょう?これは二つの仕方で起こりえます。明白な形では信仰を告白することにより、暗黙の仕方では真理を守ることによって生じるのです。殉教者はキリストのために命を失う模範の最高峰です。二千年の間、イエスとその福音に忠実に留まることで命を犠牲にしてきた男女の長大な行列が見受けられます。そして今日、世界の多くの場所で、最初の数世紀よりも、本当に本当にたくさんの人々が、キリストのために命をささげています。多くの殉教者(=証し人)たちです。彼らはイエス・キリストを否定しないせいで死に渡されています。これがわたしたちの教会で、最初の数世紀よりも多くの殉教者がいるのです。けれど日々の殉教、というものもあります。それは死をもっては活躍しませんが、彼らはイエスの論理構造、贈与のロジック、犠牲のロジックに基づいて、愛をもって自分のなすべきことを果たしながら、キリストのために「命を失うこと」をしています。考えてみましょう。どれほどのお父さんたちやお母さんたちが毎日、家族の益となるために、自分のいのちを具体的にささげながらその信仰の実践を行っていることでしょう!このことを考えてみましょう。どれほどの司祭やブラザー、シスターたちが寛大に神の国のためのその奉仕を展開していることでしょう!どれほどの青年たちが自分の好きなことを手放して、子どもたちや障がい者、老人のために捧げていることでしょう!この人たちも殉教者です。日々の殉教者、日常の殉教者なのです!

 それから、キリスト者もキリスト者でない人も含めて実に多くの人々が、真理のために「自分の命を失っている」のです。そしてキリストは「わたしは真理である」と言いました。ですから、真理に仕える人はキリストに仕えているとも言えるのです。

 こうした人々のうちの一人、真理のために命をささげた人がいます。洗礼者ヨハネです。ちょうど明日、6月24日に、その大きな祭りがあります。洗礼者ヨハネの誕生の祭日です。ヨハネは神によって選ばれ、イエスの前を歩き、その道を整えることになりました。そしてイスラエルの民にイエスをメシアとして、世の罪を取り除く神の子羊として指し示しました(ヨハネ1章29節参照)。ヨハネは神と、神から送られた人、イエスに、自らを全く聖別奉献しました。けれど最後には、何が起きたでしょうか?ヘロデとヘロデヤの姦淫を糾弾した時に、真理のせいで死にました。どれほど多くの人々が真理に対する献身に高額(訳者注:多大な努力)を支払っていることでしょう。どれほど多くの正しい人々が流れに逆らっていくことを好み、こうして良心の声、真理の声を否まずに進んでいることでしょう!皆さんの間に、多くの青年がいます。けれど青年の皆さん、あなたたちにわたしは言います。流れに逆らっていくことを恐れないでください。あなたの希望を奪い取ろうとする時、崩れた価値観、腐って崩れた食べ物のような価値観であるこうした価値をあなたに差し出す時、流れに逆らうのを恐れてはなりません。悪い食べ物は体を害します。こうした価値観はわたしたちに害を及ぼすのでわたしたちは流れに逆らわなければならないのです。そして皆さん青年は、誰よりもまず流れに逆らっていかなければならない人です。そしてまさに逆流を行くこの尊厳をもつべき最初の人なのです。さぁがんばって、勇気を持ち、逆流を行きなさい!そしてそれをすることに誇りをもっていなさい。

 友人の皆さん、イエスのこの言葉を喜びをもって迎え入れましょう。これはわたしたち全員に提案されたいのちの法則です。そして洗礼者聖ヨハネが、わたしたちがこれを実践するのを支えて下さいますように。

 この道を行くのに、いつものように、わたしたちのお母さんである聖母マリアが先頭に立って下さいます。マリアはイエスのために、十字架まで従いながらその命を失いました。そして、充満において、福音のあらゆる光と美しさを伴って満ち足りた状態の中で命を受けました。マリアが、福音のロジックをますますわたしたちのものとするのを助けてくださいますように、



ー 『お告げの祈り』-


『お告げの祈り』の後に、パパはこのように言った。 

 そしてしっかり思い起こして下さい。逆流を行くのを恐れてはなりません。勇気を持ち、そうしてわたしたちのように、腐ってしまった食べ物を食べたいと思わないのと同様に、こうした崩れており、人生を崩壊させ、希望を奪い去るこうした諸価値をわたしたちが持っていかないようにしましょう。頑張って(前進して)!


 情愛をもって、家族で来ておられる皆さん、小教区のグループの皆さん、老人の皆さん、学校の皆さんに挨拶します。スロヴェニアのヴィパラ教区文化会館の生徒たちに挨拶します。アスコリ・ピチェーノのポーランド共同体に挨拶します。イシア・デ・カストロのUNITALSIに、ウルグナーノの祈りの子らに挨拶します。あぁここから、皆さんの旗を見ることができますよ。とてもいいですね。みんな善い人たちです!ポルデノーネの信徒の皆さん、アックワヴィーヴァの「ミュッリ」病院のオペレーターの皆さんやシスター方、ヴェネトの委託代表者のグループ、皆さんに挨拶します。

 皆さん全員が幸せな主日を楽しむことができるよう望んでいます。わたしのために祈ってください。楽しいランチタイムを!

0 件のコメント:

コメントを投稿