2013年4月11日木曜日

4月9日一般謁見:神はわたしたちに子供に対するように接する。

声、語調、仕草、アドリブなど、ビデオでご覧下さい→http://www.youtube.com/watch?v=vSfsNSSOB44

http://ja.radiovaticana.va/news/2013/04/10/%E3%80%8C%E7%A5%9E%E3%81%AB%E6%A0%B9%E5%B7%AE%E3%81%97%E3%81%9F%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%82%92%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%8D%E6%95%99%E7%9A%87%E4%B8%80%E8%88%AC%E8%AC%81%E8%A6%8B%E3%80%81%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%9C%B0%E9%9C%87%E8%A2%AB%E7%81%BD%E5%9C%B0%E3%81%AB%E9%80%A3%E5%B8%AF/gia-681489

バチカンニュース4月10日
 信仰年に使徒信条についてのカテケーシスに従いつつ、ローマの司教は「神の子としての喜びの証し、まことの自由そのものであるキリストにおいて生きることが与える自由の証しをする」よう招いた。今日の一般謁見において、教皇フランシスコはスペイン語でも語り、このテーマにその要理教育を集中させた。「三日目に主は復活されました。これは復活の救いの意味と範囲でした。今朝も、サン・ピエトロ広場に大量の巡礼者たちが全世界から集まってきているのです」。
(CdM - RV)





バチカン4月10日、10時30分(ACI/EWTNニュース)
 「神の子であることの喜びを示しましょう」これは 教皇フランシスコが水曜日の要理の時間にサン・ピエトロ広場に集まった何千もの人々に、その復活によってキリストは男女に御父の子らとなり、新しいいのちに生まれる尊厳をプレゼントしたということを覚えさせるにあたり、投げかけた勧めである。

 「わたしたちのうちにある希望について気づくようにと願っている人に、復活したキリストを示しましょう。み言葉の宣言をもって、しかし特にわたしたちの復活した者としての生き方をもってこれを行いましょう。悪と罪と死の奴隷状態からの自由、真の自由であるキリストのうちに生きる自由をわたしたちに与える神の子らとしての喜びを示しましょう!」。

 教皇は、覆いの外された乗り物でサン・ピエトロ広場に到着し、「イエスの復活をもって何か全く新しいことが起こります。わたしたちは罪の奴隷状態から解放され、神の子供たちに姿を変えるのです。新しいいのちに生まれたのです。いつそのことが起こるのでしょう?それは洗礼の秘跡においてです」と説明した。

 「洗礼においてわたしたちが受けた聖霊はわたしたちに教え、わたしたちの後押しをして神を「父よ」いやむしろ「パパ」を意味する「アッバ」と呼ぶようにしてくれるのです。わたしたちの神はそういう方です。わたしたちにとってのパパなのです。これはイエスの復活の神秘からわたしたちが受ける最も偉大なたまものです。神はわたしたちに自分の子供に対するように接し、わたしたちを理解し、わたしたちをゆるし、わたしたちを抱きしめ、わたしたちが誤った時ですらわたしたちを愛するのです」と断言した。

 教皇はこの神との子としての関わりは「わたしたちの生活の片隅に」隠したままでいい宝物ではなく、神のことばへの傾聴と、「祈り、秘跡への参加、特にゆるしの秘跡と聖体祭儀への参加、そして愛徳の実践」をもって育み、養われなければならないと指摘した。

 「息子、娘らしく生きることができます!これがわたしたちの尊厳です。わたしたちには実子、実娘としての尊厳があるのです。本当の息子、娘として振舞いましょう。これは毎日キリストがわたしたちを変えるようにとしなければならないということです。キリスト者として生きようとすること、わたしたちの限界や弱さを見ている時ですらキリストに従おうとすることを意味するのです」と確言した。

 その意味で、「わたしたち自身を中心に据えるために」神を脇に追いやる誘惑に陥らないようにと呼びかけた。「その反対に、堕落のせいで落ち込むこともなく、わたしたちは愛され、わたしたちの人生は新しくなると感じ、落ち着きと喜びからインスピレーションを受けながら、ただ神の子らとして振舞いましょう。神はわたしたちの力です!神はわたしたちの希望です!」。

 教皇フランシスコは信者たちに「わたしたちはこの希望においてしっかりと立ち、全ての人々に対して目に見え、明らかで輝かしいしるしとなるべき者の第一線なのです」と指摘した。「復活された主は裏切らない希望、期待させて裏切るようなことのない希望なのです。わたしたちの人生において幾度希望が消えかかったことでしょうか?わたしたちの心にある期待が何度実現しなかったことでしょう?」と。

 「キリスト者たちの希望は強く、確かで、この地上に根をおろしています。そこは神がわたしたちを歩むために呼んだ所です。そして永遠に対して開かれています。なぜならいつも忠実な神に基づいています。キリスト者であるということは規則をいくつか守ることに狭められません。つまり、キリストのうちにいること、キリストのように考え、行い愛すること、キリストがわたしたちの人生を治めるようにし、それを変え、変化させ、悪と罪の暗闇から解放するようにとすることなのです」と教皇は断言した。

 最後に「天の国を」見るように招いた。「そうして新たな光をもち、わたしたちの日々の務めや努力においてさらなる力を得るのです。それは、しばしば眼差しを上に、神に向けて上げることがもうできないと思われるわたしたちのこの世に示さなければならない、価値ある奉仕なのです」。

 謁見が終ると、教皇フランシスコはサン・ピエトロ広場に降り、障害を持った人々に会い、挨拶をした。

全文はこちら→http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0016.htm

最後のあいさつのビデオ→http://www.youtube.com/watch?v=MbksHulVKf4

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