2013年4月19日金曜日

4月18日朝ミサ説教:神は三位であって、空気中に散布される「スプレーの霧」のようなものではない。


朗読個所 :   使徒言行録9・1-20
           ヨハネ6・52-59:http://blogs.yahoo.co.jp/therese1897/31813590.html?type=folderlist


バチカン4月18日20時2分(ACI/EWTNニュース)


 「神は三位です。スプレーの霧のようにつかみどころのない神ではないのです」と教皇フランシスコは18日木曜日、ローマ聖庁の公安捜査課の警察署の署長たちや重役たちが参加した、バチカンの聖マルタの家の小聖堂での説教において指摘した。

 共同司式には、イタリア国警察機動隊の従属司祭団長であるジュゼッペ・サイア卿がいた。

 教皇は「神と語り合うとは、複数の人格と語り合うことです。父と語り、子と語り、聖霊と語るのです」と表現した。

 ミサの終わりに、イタリア国警察の守護聖人である大天使聖ミカエルに祈りをささげた後、社会に対してささげている奉仕職のことで、そこに参加していた全員に感謝を述べた。

 「これは難しい奉仕職ですね。共通善と共通の平和のための奉仕ですから。危険な奉仕職です。命をかけることもあるでしょう。大天使聖ミカエルに願ったように、正しい者の考え方、強い意志、正直な情感と落ち着きが否応なく求められる奉仕職です。こうした奉仕に努めてくださり、どうもありがとう。主が皆さんすべてを祝福して下さいますように」。

 祭儀には、警視庁副長官のアレッサンドロ・マラニョーニ氏、バチカン上層部とイタリア内務部間における関連事務所長のサルヴァトーレ・フェスタ氏、バチカン公安捜査課長のエンリコ・アヴォラ氏が列席していた。


4月19日、同じミサに関するバチカンニュースからの投稿↓

「神さまは触ることのできない存在や、実際にそれが何だか分からないまま周りに霧のように広まるようなものではありません。神さまは具体的な『人柄のある方』です。父です。ですから、神さまへの信仰と言うのは、生きた出会いから、感覚的な体験から生まれるのです」。昨日の聖マルタの家における通常の朝ミサの中でフランシスコが考えを巡らせたヨハネによる福音書の個所は良心の糾明のよい機会となった。教皇は「『人々は何度、神を信じると述べるでしょう?』『けれどどういうタイプの神を信じているのでしょう?』」と尋ねた。教皇は、ある種の確信のはかなさを前に、本当の信仰の現実を示した。

 「少しずつどこにでもいるようでありながら何ものかも分らないような『散漫な神々』、『スプレーの霧のような神々』を尻目に、わたしたちは父であり、子であり聖霊である神を信じています。わたしたちは人柄のある方々を信じ、神と語る時には、その人格と語るのです。父と語り、子と語り、または聖霊と語るのです。わたしたちの信仰とは、このようなものです」。

 福音の個所で、イエスは「父が引き寄せてくださらなければ」だれもイエスのもとに向かうことはできないと言っている。教皇は、このような言葉は「イエスのもとに来る、イエスと出会う、イエスと知り合いになるというのは賜物」であり、父が下さるものであることを示していると断言する。それは、エチオピアの女王の経済関連の官僚がイエスについて語る使徒フィリポの話を聞きながら、「これはいいニュースだと感じる感覚」を持ち、「喜びに満ち」て、水を見つけるなり洗礼を受けるというところまでいったような、そういうプレゼントなのであると教皇は述べた。

 「信仰のある人は永遠の命を持っています。その人には命があるのです。けれど信仰は賜物であり、わたしたちに信仰を下さるのは父です。この道を続けなければなりません。けれどもしこの道を行くなら、いつもわたしたちにまつわるものごとも付いてきます。なぜならわたしたちは皆罪びとであり、うまくいかないことがいつもいくつかあるからです。けれど主はもしゆるしを願うならわたしたちをゆるし、いつも気落ちすることなく前に進めるようにしてくださるのです。もしその道を行くなら、経済関連の官僚(宦官)に起きたのと同じ出来事がわたしたちにも生じるのです」。

 使徒言行録に描写されている官僚が信仰を見出し、喜びにあふれてさらに道を進んだ時に起こったことと同じことが起こるだろう、と教皇は結びました。

 「それは信仰の歓喜です。イエスに出会うことができたという喜びです。イエスのみがわたしたちにもたらすことのできる喜びです。平和をもたらす喜びです。その平和は世が与えるような平和ではなく、イエスの平和です。これがわたしたちの信仰です。この信仰において、わたしたちを強くし、わたしたちを喜ばせる信仰において、いつもイエスとの出会いと共に始まり、日々のイエスとの小さな出会いのある生活の中で続けられるこの信仰において成長することができるよう主が助けてくださるように願い求めましょう」。

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