2013年4月21日日曜日

4月21日叙階式ミサ説教:あわれみと優しさに満ちた、キリストの司祭、神の民と全人類の声となりなさい

朗読個所:    使徒言行録13・14、43-52
          黙示録7・9、14b-17
          ヨハネ10・27-30
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycleC/c_pasqua04sun.php#first

4月21日(バチカンラジオ)

 キリストと教会の名において、ローマ司教はその手で司祭叙階された新司祭団たちに、聖なる教義への奉仕を実践してはじめて唯一の師である主の使命に参与できるようになることを考慮するようにと頼んだ。神の言葉を示しながらこう言った。「次のことも覚えていなさい。神の言葉は皆さんのものではないということを。それは神のことばなのです。そして教会は神の言葉の庇護者なのだ、ということを」。10人の新司祭が叙階された、教皇フランシスコ司式による、サン・ピエトロ大聖堂でのミサのこのような時間は、つい先ほど終わったばかりである。

 その説教において、教皇は人々の間で選ばれ、神の物事を庇護するために人々の味方となるように立てられたのだという自覚を持ちつつ、喜びと素直な愛徳をもって、自分自身の好みではなく、神を味わいたいとの唯一の強い望みをもって、キリストの祭司のわざを実践するようにと招いた。「役員ではなく、牧者になりなさい。仲買人ではなく、仲介者になりなさい」。

 最後にフランシスコは、その司教との子としての一致のうちに頭であり牧者であるキリストの使命に参加しながら、 聖霊のうちにキリストを通して父である神に人々を導くために、唯一の家族においてその信者たちを一つにすることへの献身をするようにと勧告した。そしていつも自分たちの目の前に仕えられるためではなく仕えるため、失われていたものを救おうと来られたよき牧者の模範を自分たちの目の前で見据えるようにと勧告した。
(CdM – RV)

教皇の説教全文

大好きな兄弟姉妹の皆さん、

 ここにいる兄弟たち、わたしたちの息子たちは司祭叙階のために呼び出されました。
 教会においてどのような奉仕に彼らが上げられるのかを注意深く考え巡らしましょう。皆さんよくご存じのように、主であるイエスが新約の唯一の大祭司なのですが、イエスの中に、祭司の民として立てられた神の聖なる民全体もあります。

 しかしながら、あらゆる弟子たちの中から、主イエスは全ての人々のために司祭の務めをその名において教会の中で公に実践しながら、その師として、祭司として、牧者としての個人的な使命を続けるために特別に数人を選ぼうとしています。

 そのように実際に、そのためにイエスは父によって送られ、同様にして一方イエスは、最初に使徒たちを送り、その後司教たちとその後継者たちを送り出しました。そしてついに、彼らとの司祭職において一致しつつ、神の民への奉仕に呼ばれている司祭たちへの協力者として成り立っているのです。

 大人としての回想と祈りの後で、 今ここにいるわたしたちの兄弟たちを司祭職に上げようとしています。それはキリスト(油注がれた者)、師、司祭、牧者の奉仕の務めのために、神の民かつ聖霊の聖なる神殿としてのキリストの体の建設に協力するためです。

 事実、彼らは最高で永遠の祭司であるキリストと同じ姿に変えられていきます。つまり、新約の本物の司祭として聖別されるということですが、司祭性においてその司教と一つに結ばれるこの肩書をもって、福音の説教者、神の民の牧者となり、祭儀の行為を執行し、特に主のいけにえの祭儀においてこれを司式するようになるのです。

 最愛の兄弟であり息子である、祭司の位階に上げられようとしているあなたたちにあっては、 聖なる教義の奉仕を実践して初めて唯一の師であるキリストの使命に与ることになるということを考慮に入れなさい。喜びをもってあなたたち自身が受けた神のあの言葉をすべての人々に分け与えなさい。皆さんのお母さんやおばあちゃんたち、要理の先生といった、皆さんに神のことばや信仰、この信仰の恵みを与えてくださった方々のことを思い出しなさい。主のことばを熱心に読み、黙想して、信仰において学んだことを教え、教えたことを生きなさい。また、神の言葉はあなたたちの所有財産ではないことを覚えていなさい。み言葉は、神さまの言葉なのです。そして教会が神の言葉の庇護者です。ですから、皆さんの教えが神の民にとって糧となり、キリストに忠実な信者たちの喜びと支え、あなたたちの生活における香水となるようにしなさい。そうすれば皆さんのことばと模範的な行いをもって、あなたたちが神の家、つまり教会を建設することになるのです。みなさんはキリストの聖化のわざを続けることになります。皆さんの奉仕職を通して、信者の霊的な犠牲は完璧になります。というのは、皆さんの手を通して、全教会の名において、聖なる神秘のための祭儀の祭壇の上で血の流されない形で捧げられるキリストのいけにえと信者の霊的な犠牲が一つになるからです。

 ですから、皆さんが一体何をするのかよく認識しなさい。自分が祝うことを模倣しなさい。そうして主の死と復活の神秘に参加しながら、信者たちの中にキリストの死を運び、命のニュースのうちにキリストと共に歩むことができるのです。

 洗礼によってあなたたちは神の民に新しい信者を加えます。ゆるしの秘跡をもってキリストと教会の名において罪をゆるします。キリストと教会の名において今日、あなたたちにお願いします。お願いですから、あわれみ深くなることに疲れを覚えないでください。聖なる油をもって病人や、また高齢者たちに安堵を与えます。高齢者たちに対してやさしく接することを恥ずかしがらないでください。聖なる典礼を祝い、一日の異なる時間に賛美の祈りと願いをささげながら、あなたたちは神の民と全人類の声となります。人々の間から選ばれたことと、神の家々の面倒を見るために人々の望みに応えるようにと立てられたことを自覚しながら、喜びと素直な愛徳をもって、キリストの祭司のわざを実践し、自分たち自身ではなく、ただただ神に好まれるようにとの望みのみをもってこれを行いなさい。公務員ではなく牧者となりなさい。商売の仲買人ではなく仲介者になりなさい。

 そうして、頭であり牧者であるキリストの使命に与りながら、その司教とのことしての一致のうちに、聖霊においてキリストを通して父である神に信者を導くために、たった一つの家族においてその信者たちを一つにすることに献身しなさい。

 いつも自分たちの目の前によき牧者の模範を見据えなさい。仕えられるためではなく仕えるため、失われたものを救うために来られたよき牧者の模範を。
(セシリア・デ・マラクによるイタリア語からの翻訳)

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