2014年3月5日水曜日

3月3日(月)、朝ミサ説教:召し出しはあるのです。これが育つように祈らなければならないのです。


 ただ主のみに向かう心を持ち、虚栄や権力、金銭という偶像から自由な司祭や修道女たちを生み出すように召し出しを送ってくださるようにと神に祈ること。これは聖マルタの家でのミサで月曜日の朝にパパ・フランシスコから投げかけられた勧告であった。

 永遠のいのちを相続するために何をしなければならないかを尋ねるためにイエスの前にひざまずく金持ちの男性についての福音が、パパの説教の中心であった。この人は「イエスのみことばを聞く気に満ちていました」。「この人はいい人」だったのです。「なぜなら若いころから十戒を守ってきたのですから。善い人」であるがために「そのせいで、彼にとっては、それだけでは十分ではありませんでした。もっと求めたのです。聖霊が彼を押していたのです」。イエスは愛を込めて彼をm地埋め、提案をします。「すべてのものを売り、わたしと一緒に来て福音を告げ知らせなさい」と。けれど彼は、こうしたことばを聞くと、「悲しくなって、残念がりました。なぜなら財産をたくさんもっていたからです」。

「そのムズムズした心は、まさにイエスに近づき従うようにと聖霊が押していたからなのです。心がいっぱいいっぱいで、彼はこれを空っぽにする勇気がなかったのです。そして選択をしました。金銭を選んだのです。その心は金銭で一杯でした…。けれど泥棒や囚人ではありませんでした。いいえ、いいえ、違います。いい人だったのです。一度も盗みを働いたことはありませんでした。一度も!詐欺をしたことも一度もありませんでした。誠実なお金だったのです。けれどその心はそこに捉われていたのです。金銭に直結していて、選択の自由がなかったのです。金銭が彼を選んだのです」。

 「実に多くの青年たちが、その心にこのイエスに近づく『呼びかけ』を感じています。そして熱心なのです」。主の前に「ひざまずきイエス・キリストへの自分の信仰を公に言い表すのを恥ずかしがりません」。そして「イエスに従いたいと望んでいます。けれど、心が他のことで一杯になり、これを空にする勇気がない時、後戻りし、あの喜びが悲しみに代わってしまうのです」。今日もたくさんの青年たちが召し出しをもっているのですが、しばしば「彼らをとどめる」何かがあるのです。

「わたしたちは、こうした青年たちが心を空にすることができるように祈らなければなりません。他の関心、他の愛の形から空にして、心がもういちど自由になるように、と。これが召し出しのための祈りです。
主よ、わたしたちに送ってください。
わたしたちに修道女たちを送ってください。
わたしたちに司祭たちを送ってください。
彼らを偶像から守ってください。
虚栄の偶像から、傲慢の偶像から、
権力の偶像から、金銭の偶像から彼らを守ってください』。
そうしてわたしたちの祈りは、彼らがイエスの近くでついて行けるようにその心を準備するためのものとなるのです」。

 この福音の男性は、「実にいい人で、そのあと、本当に不幸になりました」。最近の多くの青年たちも似ています。だから神に密度の濃い祈りを差し上げなければならないのです。

「祈願。 
『主よ、この青年たちを助けてください。
彼らが自由でありますように。
何の奴隷にもなりませんように。
あなただけに向けられた心を持ちますように』、
そしてこのようにして
主の呼びかけが実りをもたらしますように。 
これが召し出しのための祈りです。たくさん祈らなければなりません。祈ること。けれど、いつも注意を払っていることです。召し出しは一つならず存在します。これが育つように支えなければなりません。主が彼らの心に入り、イエスにその近くで従うすべての人が持っている、えも言われぬ栄光に満ちたこの喜びを彼らに与えてくださるように助けなければならないのです」。
(RC-RV)

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