2013年7月10日水曜日

無関心がグローバル化していることに対する兄弟愛からの責




 聖庁報道事務局長フェデリコ・ロンバルディ神父は、パパの、短いけれど密度の高いランペドゥーサ訪問を終えるにあたって、この訪問の非常にポジティブな要約をした。そこではパパが世界の南から北への移民のテーマに関する意識にパパが残した応答責任の意義を引き合いに出した。
 それは移民現象を前にした無関心を乗り越えるための社会・経済・政治的席な応答責任への招きである。

 パパは5分前に出発をしました。飛行機で、非常に少数の従者に伴われて。今朝自分を連れて来たのと同じ飛行機です。そこにいたわたしたちはみな口々に言い合いました。「まだ午後一時だ。火が落ちるにはまだまだだけれど、この信じられないイベントを全部やってきたんだ。しかし濃く、意味深く、歴史的なことをこんなにも短い時間で!」パパはランペドゥーサの人々の歓迎にいたく感動していました。教会を出てくる前に言われた最後の言葉にも心を動かされていました。そして飛行場に行く前にも、たった四つのことを述べただけですが、密度の非常に高い言葉で、ランペドゥーサの住民に感謝をし、土地の家やしまの岸辺を求めてくる欠乏にあるこうした人々への歓迎と責任の模範としてもあり続けるようにと招きました。

 これは疑う余地なく、この旅の基盤となるメッセージでした。今朝、舟の中でパパと話をする時がありましたが、ちょうどカラ・ピサーナから出ながらパパはこう言いました。「この行為の意味を皆さんが理解してくれるといいんだが」。なぜなら地中海の真ん中にある島に、絶好のお天気の日に、祭りの雰囲気に満ち満ちた人々のところにやってくるのですから、「パパは何しに来たんだ?(ひまなのか?)」と言われるような状況なわけです。この共同体との祭の日になりました。そうです、まさに祭りでした。けれど何よりもパパにとっては、説教で語ったように、より良い生活状況を求める途上で命を落とした人々のために祈る行為、この同じ歩みにおいて苦しむすべての人々との連帯の行為、より良い生活を求めて歩むことができるようにと歓迎をするために具体的にささげているすべてに人々への連帯と励ましの行為、そして、責任のレベルにおいても、この新しいいのち、この充分苦しんだ人たちのために、彼らが本当に自己実現できるためのより良い条件を作るようにと働きかけることのできる人々(=権力者)へのとても強い励ましの行為、こうした行為が重要であり意味のあるものであったし、今でもそうあり続けているのです。これこそがパパがしようとしていたことなのです。そして歓迎の喜びは、わたしたちはいかなることがあっても忘れてはならないものでしょう。「わたしたちはメッセージを理解しました。実践したいと思います」と。そうです。当然のことながら、これはキリスト者的な大きな祭りの日です。良心の刷新の日です。けれど、典礼の力を忘れてはなりません。パパは、この典礼を、責任へのとても強いメッセージの伴う、痛悔と回心の典礼にしようと望まれました。わたしたちの良心と世界に対するとても強い問いの数々によってくくられた説教でした。これこそパパがその旅において成そうと望まれたことだったのです。そして「人々にメッセージが届くことが幸福」なのです。

 昼食のための、と言えるかどうかは分りませんが、短い休憩の時に(というのはほんの少ししかパパは食べなかったのです。本当に。シシリー人が色々なものを準備して下さったのですが、パパは、3つか4つくらいのものとサンドイッチにしか手をつけませんでした。そうして改めて出発の準備に入ったのです。このように、シンプルさはいつもどおりでした)。わたしには、耳に入ってくる情報にフォローしている内容や反響から、教皇のメッセージが国際レベルにおいても、大きな歓迎と関心をもって、はまった、と伝える機会がありました。これは教皇の気に入ったようです。今朝の緊張度の高い使命が果たされたという意味です。そしてその目的であった、良心に触れ、今日の世の意識を目覚めさせる、ということが果たされたわけですから。

 その後、感動と参加の時はなかなか冷めやらなかったのです。次から次へと訪れました。波止場での集い、到着、ファヴァローロにて、移民の皆さんと共に、と。人々の言葉を聞きながら、ここで、パパは既にその説教でその聞いた内容について触れました。「○○さんのしてくれた回答能力を見ましたか?わたしはエリトレア国(訳者注:アフリカ北東部に位置する国)のわたしたちの神父に青年が語ったことの全翻訳を頼みました。それはとても要約的な描写でしたが、その国からここまでの旅での危険と苦しみの量の多さはとても衝撃的でした。エリトレアとスーダンの部族と共に過ごした危険、それからシナイまで連れて行かれ、その後シナイからリビアへ連れて行かれ、この旅行での暴力、特に女性たちが被った暴力があり、それから彼らとその家族が旅行を続けられるために求められた膨大な金額のお金、そして今の、彼らがあらゆる意味で仕事を見つけられるようにと求めている実情でした。しかもイタリアだけではなく、イタリア国外にも仕事を求めているのです。若者が言うには、なぜならあの「助けてくれた」人たちに支払わなければならない莫大な借金があって、こうしてこのカルワリオの道で搾取されたのです。簡潔ですがとても効果的な描写で、そこには出自の国からここまでのこうした旅の数々における問題がすべてありました。パパはこのことをよく知っていました。ここに来る前からです。教皇になった最初の日から、アスタッリセンターからの招待の手紙が持って来られたことを覚えています。それはローマにある難民のためのイエズス会が経営するセンターです。教皇はすぐに反応し、責任者を呼び、「遅かれ早かれ、心配しなくいで下さい、わたしは彼らに会いに行きます」と言いました。そして今ここに、ランペドゥーサが実際に、さらにより迅速で効果的な仕方で、全世界に対して、このパパのこれ以上ないほど活き活きとした参加とこのテーマに関する憂慮を表現することができたのです。

その後でパパは、アグリジェントの司教と教会が彼に示した歓迎にも、大変感動しました。そこにいた司祭全員は、しかもただ単に丁寧な仕方だけでなく、この移民の前線に参加しながらこれを行いました。つまり、その共同体が、歓迎と移民への連帯へのこの献身に対してとても活動的な部分としての教会だということなのです。

そういうわけでわたしには、訪問はまとめれば、とてもポジティブなものであったという印象があります。四時間強に過ぎませんでしたが、ある密度の高い午前となりました。そこで世界に本当の証しをしたのです。これが心に残ることを願います。これはまた、こうしたイベントの問題でもあります。当然、一日で終わるようなものでないことを願います。そうではなく、深い所でわたしたちの良心の大切な部分を成していくように、と願うものです。疑う余地なく、これはパパの希望です。けれどわたしたちは教皇を知ることができたと思いますし、他の強いしるしをもっても、こうしたことを思い出すための機会というのには事欠かないでしょう。それから、この日の準備に関する心構えと献身の意義についても話さなければならないでしょう。たった一週間で準備されたのです。いつかという空間でした。つまり、皆、とてもたくさん立ち回ったということです。船乗りの皆さんや、警備、警察、市長、ボランティア、教会…全員が本当に動き、この日が、その意義と意向をもって頂点に達するようにと立ち働いたのです。そしてこのことにパパは、とても感謝しています。
ER - RV

0 件のコメント:

コメントを投稿