2013年7月26日金曜日

7月25日、アルゼンチンの青年たちと共に


 数多くの活動のただ中で、アルゼンチン人教皇は、リオ・デ・ジャネイロのカテドラルに集まった同郷の青年たちに挨拶をした。ブラジルのメトロポリスにいた彼らに、自国に留まった人々にも、感動的な言葉を向けた。

 パパ・フランシスコのアルゼンチン青年へのことば
 ありがとう。ここにいてくれて、来てくれて、ありがとう。中にいる人たち、ありがとう。外にいる大勢の皆さんに、ありがとう。外に3万人もいると聞きました。ここから挨拶します。みんな雨に降られているんですね。(沈黙)。近づいてくれるその行為に、ありがとう。ワールドユースデーに来てくれて、ありがとう。


 わたしはこれを取り扱っている、旅行を企画しているガスバッリ博士に、みなさんと会うスペースが少しでいいからないかと尋ねました。それで正午ごろから全部調整してくれました。ですので、公にガスバッリ博士にも、このことが今日実現できたことで感謝します。

 一つ言いたいことがあります。ワールドユースデーの結果としてわたしが何を期待しているか、です。わたしは厄介事(Lから始まるリオ)を期待しているんです!この中に厄介事があるのでしょうか?あります!リオ(デ・ジャネイロ)に厄介事(Lから始まるリオ)があるのでしょうか?あります!けれど各教区に厄介事を求めています。外に出ていってほしいのです!教会が道端に出ていくようにと望んでいるのです!世俗的であるようなことから、慣れ親しんだことから、楽な状態から、聖職権主義から、わたしたち自身に閉じこもるようなことすべてからわたしたちが守られるようにと望んでいるのです!小教区や学校、組織というのは、出ていくためにあるのです!もし出ていかないなら、NGOになります。そして教会はNGOであるべきではないのです。

 司教たちや神父たちにはごめんなさい。この後で皆さんに厄介なこととなるようでしたら。でもこれは助言です。みなさんがなしうることに、感謝します。ごらんなさい。わたしはこの今の瞬間に、この世界の市民化は行きすぎました。行きすぎたのです。なぜなら金銭の神への礼拝がささげられているからです。わたしたちは民の約束であるいのちの2極の疎外の哲学と実践のただ中にいるのです。もちろん、誰でも考えられることですが、見えない安楽死のようなものがありうるのです。つまり、高齢者の面倒を見ないのです。けれど、この手の文化的安楽死もあるのです。彼らに話させない、彼らに活動させない、という文化的安楽死!そして青年たちの除外です。仕事のない、雇用のない青年たちの割合を知っていますか?とても高いのですよ!そしてそれは仕事によって得られる尊厳の経験を持たない世代になるのです。つまり、この市民化は、わたしたちの未来である2極を除外するにいたったのです!

 そこで、青年たちは出ていかなければならない、価値あるものとならなければならないのです。 青年たちは諸価値のために戦うために出ていかなければならないのです。さぁ、価値のために戦いなさい!そして年寄りが口を開けるように、年寄りが口を開いてわたしたちを教えてくれるように、民の知恵をわたしたちに伝えるように!アルゼンチンの国で、わたしは高齢者に心から願います。正義を伝え、歴史を伝え、価値観を伝え、民の記憶を伝えるわたしたちの民の文化を守るのにたじろがないように。そしてみなさん、お願いですから、年寄りへの反発にくみしないでください!彼らに話させなさい、彼らに耳を傾け、前に連れて行きなさい!けれど知っておきなさい。この今の時点で、皆さん青年たちと高齢者たちは、同じ運命に定められています。除外です!除外されないようにしなさい!よくわかりましたか?だから、働かなければならないと思います。

 イエス・キリストへの信仰は冗談ではありません。何かとても真剣なものです。それはスキャンダルなのです。神がわたしたちの一人となるために来た、これはスキャンダルです!そして十字架上で死んだ、これはスキャンダルです、十字架のスキャンダル(つまずき)です!十字架は今でもスキャンダルであり続けています。けれど十字架の道が、イエスの道が、イエスの受肉が唯一の確かな道なのです!

 お願いですから、イエスへの信仰を(ジューサー・ミキサーにかけて)液状化しないでください!オレンジをミキサーにかけたジュースやリンゴをミキサーにかけたジュース、バナナをミキサーにかけたジュースはありますが、お願いですから、信仰はミキサーにかけないでください。信仰はそのままいただくものです、ジュースにするものではありません。それがイエスへの信仰です。わたしを愛し、わたしのために死んだ人となられた神の子への信仰なのです。

 そういうわけで、厄介事となりなさい!高齢者と青年という極端の面倒を見なさい!除外されないようにしなさい。高齢者を除外してはなりません。そして二つ目、イエス・キリストへの信仰を液状化させてはなりません。

 幸いであること(真福八端)です!神父さま、わたしたちは何をしなければなりませんか?ごらんなさい、真福八端(マタイ5章)を読みなさい。あなたに役立つでしょう。そしてもし実際に役立つこととして何をしなければならないかを知りたいなら、マタイ25章を読みなさい。それはわたしたちが裁かれる基準のプロトコルです。この二つのことに行動のプログラムがあります。真福八端とマタイ25章、他のことを読む必要はありません。心からこれを願います!

 さぁ、皆さんがこんなに近くいてくれることに、もう本当に感謝しています。残念なのは、皆さんが 檻に入れられたようになっていることです。けれど皆さんに一つのことを言います。しばらく私が感じていることですが、檻に入れられているというのは嫌なものです!心から皆さんに告白しますね!でもまぁ仕方ありません・・・、皆さんのことを理解します。・・・もっと皆さんの近くにいたいと思うのですが、秩序のために、できないんですね、よく理解しています。

 来てくれてありがとう。わたしのために祈ってくれてありがとう。心から皆さんにお願いしますよ、それが必要なのです!みなさんの祈りが必要なのです、とってもたくさん必要です!だからありがとう!

 さて、皆さんに祝福をします。そしてその後でアルゼンチン中を回るマリア像と聖フランシスコの十字架を祝福します。この二つは宣教者として国中を回ります。

 けれどわすれないで、厄介事となりなさい!いのちの両極、民の歴史の両極、つまり高齢者と青年たちの面倒を見なさい!そして信仰を液状化してはなりません!

 それでは今から聖母像を祝福するために祈って、それから皆さんに祝福する、というところに移ります。

 祝福のために立ちましょう。あぁ、でもその前にアランセード卿に、感謝しなかったら全く教育がなっていないと言われましたので感謝します。お言葉、ありがとうございました。

 父と子と聖霊とのみ名によって。アーメン。

 アヴェマリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母、聖マリア、わたしたち罪びとのために
今も死を迎える時もお祈りください。アーメン。

 主よ、あなたはわたしたちのただ中にあなたの母を残し、わたしたちに寄り添えるようにしてくれました。
 マリアがわたしたちの歩み、心、信仰においてわたしたちの面倒を見、わたしたちを守ってくださいますように。
 マリアがわたしたちを、自分がそうであったように弟子とし、これもまた自分がそうであったように宣教者としてくれますように。
 マリアがわたしたちが道に出ていくのに伴い、わたしたち自身から出ていくことを教えてくださいますように。
 主よ、国中を回るこの像を祝福します。
 マリアが、そのおとなしさとその平和をもって、わたしたちに道を示して下さいますように。

 主よ、あなたはスキャンダルです。十字架のスキャンダルです。
 謙虚さ、大人しさである十字架、神の近さをわたしたちに語る十字架です。
 国中を回るこの十字架像をも祝福します。

 ほんとうにどうもありがとう!ここ数日、顔を合わせていきましょう!
 神さまが皆さんを祝福して下さいますように!
 そしてわたしのために祈ってくださいね、忘れないで!

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