2013年7月1日月曜日

リトアニア青年たちに向けて


 「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ15章15節)、イエスの言葉に着想を得た、リトアニアの第六回青年の集いのテーマを取り上げて、教父はカウナスに集まった数多くの男の子たち、女の子たちと霊的に大きな喜びをもって一つになった。そして主の言葉を思い返しながら、「その霊的な成長と教会や世界におけるその使命」のための短い回想を送った。この主日に終るリトアニア青年の祝いをきっかけにパパが送ったメッセージには次のようなことが読まれる。

 繰り返していたのは「イエスは皆さんの友になりたい、兄弟、真理と命の教師になりたいと望まれました」ということである。これは幸福に至るため、自分自身の自己実現に至るために続ける道を示し、一人ひとりに向けられた神の計画に従うことを示す。ローマ司教は「このイエスとの友情は、わたしたちに神のあわれみと愛をもたらすものですが、『無償』で、純粋に贈り物なのです。主は見返りを一切求めません。ただこれを受け取るようにと望んでおられるのです。イエスは皆さんをあるがままに愛したいと望んでおり、そのもろさや弱さをも含めて愛したいと望んでいるのです。そうして皆さんがその愛に触れられて、新たにされることができるように、」と強調した。

 「キリストとの友情のうちにある神の愛との出会いは実現可能なものです。まず、秘跡、特に聖体祭儀と和解の秘跡においてです」と思い返した後で、パパ・フランシスコは改めて神のあわれみを引き合いに出す。「イエスはいつもゆるして下さいます」。キリストとの友情に育つために、み言葉への傾聴の重要性と同様に、年齢も文化も関係なく観想的でシンプルで、誰にでもアクセスできる祈りの美しさを忘れず、そうした祈りとしてロザリオの祈りにも触れた。

 「ロザリオにおいてわたしたちはおとめマリアに向かいます。そうしてわたしたちを御子イエスとのより密接な一致に導いて下さるように願うのです」。今日はさらに加えて、「ロザリオは神にわたしたち自身を開くための効果的な手段です。なぜならわたしたちを利己主義に打ち勝ち、心や家族、社会や世界に平和を分かち合うのを助けるからです」とも強調した。

 パパ・フランシスコの愛するリトアニア青年たちへのメッセージは、次のことを思い返しながら締めくくられた。「キリストの愛とその友情は幻想ではありません。イエスは十字架の上でそれがどれほど具体的なものかを示しています。それはある限定された人たちだけに確保されたものでもありません。この友情を誠実さと信頼をもって探し求めるようにと皆さんに勧めながら、みなさんが、福音化に身を捧げ、信仰における兄弟たちやその司牧者たちとの聖体的一致のうちに、教会の活き活きとしたパーツであることを感じるようにと招いています。信仰に生きるのを恐れないで!日々の環境の中で、簡素さと勇気をもって、いつもゆるし、励まし、希望を与える神のあわれみと愛の面持ちを示しながら、キリストの証しとなりなさい」。特に貧しい人たち、傷ついた人たちに対する意識をもって、教父は同様にこれを思い返し、愛するリトアニアの守護聖人である聖カシミロとマリアにリトアニア青年たちを託し、パパがリトアニア国全土に広げるその祝福と共に聖人と聖母が彼らと共に歩んでくださるように祈った。

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