2013年3月21日木曜日

初めてのアンジェルス(3月17日)

こちら、カトリック中央協議会からの翻訳が正式です。ご覧ください。→http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0004.htm
http://www.youtube.com/watch?v=OhCY3etIjMc&list=UUao98drIDJDNleooeEPj_dQ&index=1


    「神の心はすべての人のために憐みに満ちている」


最初の「お告げの祈り〈アンジェルス〉」は、その教皇職の初めからサン・ピエトロ広場で行われ、教皇フランシスコは神が「いつもゆるす愛に満ちた父であり、その心はわたしたちすべてのために憐みに満ちている」ことを確認した。

何百万もの群衆の前で、教皇は「日曜日、主の日に」皆に挨拶できる喜びを表明した。

「わたしたちキリスト者にとって、日曜日に集まり、互いにあいさつし、ここで今しているように広場に集まって語り合うことは美しく、大切なことです。メディアのおかげで世界的な側面を持った広場に」と指摘した。

教皇は「この四旬節第五主日に、福音は死の宣告からイエスが救った姦淫の女のエピソードを紹介しています。イエスの態度は私達の心を動かします。そこでは軽蔑の言葉は私達の耳に入って来ません。咎めの言葉は聞こえません。ただ愛の言葉、回心に招く憐みの言葉があるのみです」。

「『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。そして再び罪を犯さないように!』あぁ、兄弟の皆さん、姉妹の皆さん、神の顔は、いつも忍耐のある、憐み深い父の顔なのですよ!」と指摘した。

「神の忍耐について、わたしたち一人一人に対して持っている忍耐について考えたことがありますか?ほら、それが神の憐みなのですよ!いつも忍耐がある。わたしたちに忍耐し、わたしたちを理解し、わたしたちに期待し、砕かれた心で彼に立ち返ることを知っているならば、わたしたちをゆるしてやまないのです。

教皇は1992年に、まだ司教だった時に起こった一つのエピソードを思い出した。その機会は、「ファティマのマリア像がブエノスアイレスに来た時のことでした。そこで病者のための大規模なミサがささげられました。わたしはそこでゆるしの秘跡を執り行いに行ったのです」。

「ミサが終わろうとしていたときに、わたしは立ち上がりました。堅信式に行かなければならなかったからです。わたしに向かって一人のお年寄りの、乏しい、とても乏しい、80歳を超えたぐらいの女性が近寄ってきました。彼女を見て、言いました。『お婆ちゃん、あちらでは年寄りにそうやって呼びかけるからですが、お婆ちゃん、告解したいですか?』『はい』と言いました。『でも罪犯してないんじゃないですか?』とわたし。彼女はわたしに答えました。『誰にだって罪はあります』...『けれど主はゆるさないんですか?』『主はすべて赦して下さいます』と彼女は確信に満ちて言いました。『でも、お婆ちゃん、どうしてそうだと知っているんですか?』『主が誰もゆるさないならば、世界は存在していないはずです』」。

そのとき、教皇は思いだした。「そこでわたしは彼女に聞きたくてむずむずしたことがありました。『お婆ちゃん、訊きたいんですが、あなたはグレゴリアン大学で勉強したことがありますか?』というのは、それが聖霊の与える知恵だったからです。神の憐みの内なる知恵です」。

「決してこの言葉を忘れないようにしましょう。神は決してわたしたちを赦すのに疲れをおぼえない。決して!」

教皇は「問題はわたしたちが赦しを願うのに疲れを覚える、ということなのですよ!けれど彼は決して赦すのに疲れを覚えないのです。わたしたちが、しばしば赦しを願うのに疲れてしまう。そして決して、絶対にそのことで疲れてはならないのです」と指摘した。

「すべての人に対してもっと憐み深くなっていくことを学ばなければなりません。人となった神の憐みをその胸に抱いていたおとめマリアの取り次ぎを求めましょう」と、『お告げの祈り』を唱える前に結んだ。

マリアへの祈りを結ぶにあたり、教皇はサン・ピエトロ広場を埋め尽くしていた信者たちに挨拶し、「皆さんの歓迎と皆さんの祈りに」感謝を述べた。

「わたしのために祈ってください。ローマの信者たちへの抱擁の腕を新たにします。この腕をイタリア各地から、世界各地から来た皆さんに、また同様にマスメディアを通してわたしたちと心を一つにしている皆さんに差し出します」。

教皇は「イタリアの守護聖人、アシジの聖フランシスコ」の名を選んだ事について語った。「これはこの地への霊的つながりを強めるものです。というのは、ご存知の通り、わたしの家族のルーツがあるところだからです」。

「けれどイエスはわたしたちを新しい家族、つまり彼の教会の一部となるように呼ばれました。福音の道を共に歩むためのこの神の家族に、です。主が皆さんを祝福し、マリアが皆さんを守ってくださいますように!そしてこのことを忘れないでください。主は決して赦すのに疲れをおぼえない。わたしたちが赦しを願うのに疲れてしまう、ということを」と改めて強調した。

「よい日曜日を。そしてお昼ご飯をおいしくいただくですよ」と教皇は結び、信者たち、巡礼者たちからの激しい拍手喝さいを受けた。

朝日新聞デジタルによる記事:http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201303180015.html?ref=reca

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