2013年12月5日木曜日

使徒的勧告『福音の喜び』を使って集いをするために




チリのサレジオ会のホームページから、今回の教皇の使徒的勧告『福音の喜び』を使って個人黙想をしたり、集まって話し合ったりするための資料を翻訳してみました。もとのページはこちら。PDFでダウンロードする形になっています。



『福音宣教』において、パウロ六世は、福音宣教は単に教会の恵みと召命であるだけでなく、最も深いそのアイデンティティであると言っています(『福音宣教』14項)。フランシスコは今日、これが教会においてすべての人々にとって絶対的な優先事項であると言っています(『福音の喜び』110項)。というわけで、福音宣教のテーマを扱うにあたって、この文章全体を読み切った方がいいと思われます。というのは小教区やカトリック学校、ムーブメント、組合のような経験などにおいて実現される司牧活動すべてをアップデートさせる指針を提供しているからです。そうです。確かに短い文書ではないけれど、その広がりは次のような協調的な仕方で作業されるならば問題にもなりません。

様式1
養成的なセッションだけならば、大事なところの抜粋を参加者に渡せばいいでしょう。そこで言及されている共同体の現実と向き合うためです。個人的なレフレクション、またグループでのレフレクションの問いは、次のようなものでもよいでしょう。「要理担当者、宣教者、青年グループの指導者、青年グループの盛り上げ役、学校司牧の責任者、大学の司牧責任者として実現する司牧奉仕のために、この抜粋した引用箇所はどのように役立つと思いますか?」

様式2
もし全体、あるいは文書の様々な部分を勉強するために何回にも分けてセッションをすることを決めたのなら、『福音の喜び』のそれぞれの章の副題にはどのような共同体であっても興味深い対話を生み出すために充分な内容が込められています。代表者はどの幅で行っていくかを決めることができるが、例えば、次のような分け方があれば充分ではないかと思われます。それぞれの区分に関係のある質問の例文も付けておきました。そうやって個人で色々と考え、そのあとで全体で分かち合うことができるでしょう。

1)      1-8項:自分の司牧奉仕を実現するための動機は何だろう?
2)      9-18項:自分たちの司牧奉仕で喜びを刷新することは必要だろうか?
3)      19-24項:自分たちは主がわたしたちを呼ぶところに「十分に」出かける共同体だろうか?
4)      25-33項:自分たちを刷新させる必要性を正統だとするしるしが自分たちの共同体にあるのを感じ取っているだろうか?それはなにか?
5)      35-39項:わたしたちの対話の相手は、彼らにわたしたちが分かち合うメッセージを明白なかたちで受けているだろうか?
6)      40-45項:わたしたちの対話の相手によりはっきりとしていられるために、福音を広める自分たちのスタイルで何を変えなければならないだろうか?
7)      46-49項:自分たちが実践している司牧は、母なる教会の姿を反映しているだろうか?
8)      50-60項:社会的な疎外や不公平の影響を中和させることを学ぶために自分たちの対話の相手にどのような助けをすることができるだろうか?
9)      61-75項:ここで示された挑戦から、自分たちは対話の相手の中で実際にありより危険なものとしてどれを見つけ出すことができるだろうか?
10) 76-83項:ここで示された誘惑の中で、自分たちの共同体にあると思われる誘惑はどれか?
11) 84-92項:示された挑戦に直面するためにわたしたちを助けられる戦略は何か?
12) 93-101項:ここで名指された挑戦のうち、直面すべき最初の挑戦は何か?
13) 102-109項:指摘された挑戦から、一番直面しやすいものはどれか?どのように?
14) 110-126項:自分たちの間であれ、対話の相手の間であれ、自分たちの司牧奉仕において民間信心にどのようなスペースを与えるか?
15) 127-134項: 日々の生活で、自分たちの対話の相手にケリュグマを紹介するために役立てることを学ぶことのできるであろう空間はどれか?
16) 135-144項:自分たちの信仰の成長のためにどのように説教を有効利用しているか?
17) 145-159項:説教のために与えられる指示を考慮に入れながら、自分たちの対話の相手にするみ言葉の宣言をどのようにもっと気を付けることができるだろうか?
18) 160-168項:自分たちの対話の相手にケリュグマを際立たせるための三つの基本を指摘しよう。
19) 169-175項:自分たちの対話の相手に提供する個人的な随伴の質はよいだろうか?
20) 176-185項:支配的な社会システムのせいで自分たちの対話の相手の生活で窒息していると感じられるみ国の局面にはどのような局面があるか?
21) 186-201項:自分たちのとって、また神にとって、貧しい人々が特別優先的な場を占めているという証拠が存在するか?
22) 202-216項:自分たちの司牧奉仕の間に自分たちの対話の相手が体験している、ありうる疎外を中和させるのを助ける方法が存在しているか?
23) 217-237項:自分たちの共同体で、対話にもかかわらず一致を保つことを学んできただろうか?
24) 238-258項:カトリックではない共同体、キリスト教ではない共同体のように、自分たちの共同体の内側に対話を生み出しているだろうか?どのようにこれを推し進めるか?
25) 259-283項:ここで指摘された霊的動機の中で、自分が一番育たなければならないものはどのような動機か?
26) 284-288項:マリアのどの局面が、自分の実現する司牧奉仕に一番親しみ深いか?

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