2013年12月6日金曜日

12月5日(木)、朝ミサ説教:「キリストのいないキリスト者のことば」に要注意


 キリストのいないキリスト者のことばを発する人は、つまりそれを実践しない人は、自分自身にも他の人々にも悪い影響を及ぼす。なぜなら傲慢に負け、教会の中でも分裂の原因になるから。これは聖マルタの家の小聖堂でのミサの間に、木曜日の朝パパ・フランシスコが語ったことの要約である。

 主のことばを聞き、それを実行に移すことが、岩の上に家を建てるようなものなのです。パパ・フランシスコはこの日の典礼が勧めている福音書の譬え話を説明した。イエスはたくさんの掟を知っていながらその生活のなかでそれを実現していないファリサイ派の人々を叱りつけていました。「それはいい言葉です」が、もしそれが実行に移されないならば「使えないだけでなく、悪く働くのです。わたしたちをだまし、美しい家を持っていると思わせるけれど、基礎がないのです」。岩の上に建てられていない家である。

 「この岩は主について示すモデルです。イザヤは、第一朗読でこれを言います。『いつまでも主に信頼しなさい。なぜなら主は永遠の岩だからです!』。岩は、イエス・キリストなのです!岩は、主のことなのです!ことばというのは力があり、前に進むことができ、あらゆる攻撃を耐えることができます、もしこの言葉がイエス・キリストにその根を張っているのなら。活き活きとした根を持たない、ある人格、つまりイエス・キリストの命に根を張らないキリスト者のことば、それはキリストのいないキリスト者のことばなのです!そしてキリストのいないキリスト者の言葉は、だまし、悪く働きます!イギリスの作家が、一度、異端について語りながら、異端のひとつは真理であると言っていました。一つのことば、一つの真理、これが愚かなものに形を変えてしまったのです。キリスト者のことばがキリストのいない言葉であるとき、愚かさの道をめぐり始めるのです」。

 教皇は説明した。「傲慢になるのは、愚かなことなのです」 

 「キリストのいないキリスト者の言葉はあなたを虚栄に、自分自身への自信に、傲慢に、権力による力に導きます。そして主はこうした人々を覆すのです。これは救いの歴史でいつも続けられていることです。サムエルのママであるハンナも言っていますし、マリアもマグニフィカットの中で言っています。主は虚栄、自分が岩だと信じ込む人々の傲慢をひっくり返すのだ、と。こうした人々はひとつの言葉に付きまといますが、イエス・キリストのいないことばについて行きます。たしかにキリストシャッポい言葉かもしれませんが、イエス・キリストのいない、イエス・キリストとの関わりのない、イエスキリストとの祈りのない、イエス・キリストへの奉仕のない、イエス・キリストへの愛のないことばなのです。このことを今日、主はわたしたちに行っています。わたしたちの人生を岩の上に建てるように、そして岩は、彼なのです。

 ローマ司教は言った。「良心の糾明はわたしたちの言葉がどうかを理解するために役立つでしょう。もしそれが権力者であると信じさせるものであるのか、救いをもたらしうると思わせることばなのか、それともイエス・キリストと共にあることばなのか」。

 「わたしはキリスト者のことばについて言っています。なぜならイエス・キリストがいない時には、これはわたしたちの間でも分裂を生むからです。教会の中に分裂を生むのです。いつもわたしたちが持たなければならない、謙遜のうちにわたしたちを主が助け、イエス・キリストなしではなく、イエス・キリストのうちにキリスト者のことばを語れる恵みを求めましょう。この救われた弟子の謙虚さ、自分に権力があると思うばかりに虚栄の愚かさ、傲慢の愚かさに終わるような言葉を用いずに前進する謙虚さを持って。主が、イエス・キリストの上に据えられた、イエス・キリストと共にあることばを語る謙虚さのこの恵みを下さいますように。
(RC-RV)

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