2013年12月26日木曜日

12月20日(金)、朝ミサ説教:沈黙が希望の神秘を育んだ


 わたしたちの神との出会いの神秘は宣伝を求めない沈黙のうちに理解されます。沈黙においてのみ人が神に対して果たしていく歩みの神秘が守られるのです。パパ・フランシスコは聖マルタの家で捧げられたミサの説教でこう確かめた。主が、わたしたちに「沈黙を愛する恵み」を下さるように。沈黙はあらゆる「宣伝」から離れて「守られる」ひつようがあるから。

 救いの歴史において、賑やかな音楽でも輝かしい装飾でもなく、かげと沈黙こそが人に自らを示すために神が選んだ「場所」でした。「少しずつ、少しずつ見える形、肉体をとっていったその神秘の、すぐに消えゆく地の果てです」。教皇の回想は今日の福音によって勧められているお告げの場面に端を発した。特にそこでは天使がマリアに位と高き方の威力が「その影を覆う」と語る場面を成している聖書個所である。奥には、かげとほぼ同じ本質として、雲もある。その雲によって神はユダヤ人たちを砂漠で守って来たのである、と教皇は思い返した。

 「主はいつも神秘を占め、神秘を覆ってきました。神秘を宣伝しませんでした。自分のことを宣伝するのはキリスト者らしくありません。神の神秘ではないのです。それは神秘の芝居です!そしてこのことはその御子を受ける時におとめマリアにここで起きたことなのです。マリアの処女でありながら母であることの神秘は隠されています。その一生の間、隠されていたのです。そしてマリアはそのことを知っていました。その神の影は、わたしたちの生活において、わたしたちの神秘、わたしたちの主との出会いの神秘、わたしたちの主との生活の歩みの神秘を見出す助けとなります」。

 ローマ司教は語った。「わたしたち一人ひとり、わたしたちの心、わたしたちの魂の中で神秘的に、主がどのように働くかを知っています」。続けて言った。「では、雲とか、威力とかいったものは、どのようなものでしょう?わたしたちの神秘を覆うための聖霊のスタイルはどのようなものでしょう?」

 「わたしたちのなか、わたしたちの生活におけるこの雲を、沈黙と呼びます。沈黙はまさにわたしたちの主との関係、わたしたちの生成、わたしたちの罪の神秘を覆うのです。この説明しえない神秘を覆うのです。けれどわたしたちの生活に沈黙がない場合、神秘は失われ、過ぎ去ります。沈黙をもって神秘を守ること!それこそが雲、それこそが神のわたしたちの対する威力、それこそが聖霊の力なのです」。

 イエスの母は沈黙に関する完璧なモデル(イコン)です。その比類なき母となるお告げからカルワリオまでです。フランシスコは黙想して言った。「わたしは思います。マリアは何度沈黙を守り、その子との関係の神秘を守るために感じたことを言わずに来たことか、と」。もっとも惨い沈黙、「十字架のもとでの沈黙」まで。

 「福音はわたしたちには何も語っていません。そうです。彼女は(十字架のもとで)一言も語らないのです。・・・マリアはもの静かな人でした。けれどその心の中には、主にどれほどのことを語ったことでしょう!『神さま、あなたはわたしにあの日、彼は偉大なものとなると言いました。あなたはわたしに、その父祖ダビデの冠を彼に与えたと言いました。いつまでもその王座は続く、と。けれど今、こんなことになってしまった』。おとめマリアは人でした!そしてきっと『うそだ!騙された!』と言いたかったかもしれません。ヨハネ・パウロ二世はこのことを、その時のおとめについて語るにあたり言っていました。けれどマリアは、沈黙をもって、理解できなかった神秘を覆いました。そしてこの沈黙をもって希望において育ち花開くことのできるこの神秘を残してくださったのです」。

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