2013年10月5日土曜日

10月4日、教皇とアシジの青年たちとの対話:聖フランシスコは見習うべきよい模範

(青年たちとの質疑応答は、このビデオの1時間3分くらいからです)

 10月4日午後、イタリアのアシジで、待ちに待った教皇と青年たちとの集いがありました。このウンブリア地区のこの町への旅では最後のイベントとなりました。何千もの巡礼者たちが「ヴィヴァ・パパ!」と叫び、青年たちと関係のある歌を歌いながら、拍手でローマ司教を迎えました。

 パパは彼らに、アシジの聖フランシスコを従うための模範として仰ぐようにと招きました。「フランシスコは信仰が育まれるようにし、教会を刷新し、それと同時に社会をも刷新しました。これをより兄弟愛に満ちたものとしたのですが、いつも福音をもってなしたのです」

次に続くのは、青年たちが教皇にした質問です。

1.家族について:わたしたち青年は、中心が「結果オーライ」、楽しければいい、自分のことを考える、そういう社会で生活しています。若いキリスト者の夫婦生活を送るのは複雑で、いのちに対して開かれることは一つの挑戦であり、繰り返し恐れが襲ってきます。若いカップルとして自分たちの夫婦生活を送る喜びを感じていますが、毎日つかれと挑戦も体験しています。教会はわたしたちにどのように助けとなってくれるのでしょう?わたしたちの牧者(司祭たち)はどのようにわたしたちを支えることができるのでしょうか?わたしたちも果たすようにと招かれている歩みはどのようなものでしょう?

2.仕事:ウンブリアにも経済難が流布しておりここ数年悪い状況と貧困が起こっています。未来は不確かで何か脅かしてきます。危険というのは経済の安定と共に、希望をも失うことにあります。若いキリスト者は、どのように未来を見つめるべきなのでしょうか?こうした道のどれに献身することが神にもふさわしく、人にもふさわしい社会の建設になるのでしょうか?

.召し出しについて:人生において、何をしたらいいのでしょうか?主がわたしにくれたタレントを、どこでどうやって使えばいいのでしょうか?
  しばしばわたしたちに司祭になったらいいか、奉献生活をしたらいいかという考えが浮かんできます。けれどすぐに怖くなります。その後で、そうした献身が一 生できるのでしょうか?どうすれば神の呼びかけを見極めることができるのでしょうか?神と兄弟たちへの奉仕に人生を捧げたいと望んでいる人に、どんな助言 をなさいますか?

4.使命:ここで教皇さま、あなたと一緒にいて、わたしたちを励まし、心に炎を灯すことばを聞くのは素晴らしいことです。信仰年が数週間たつと閉じようとしていますが、この信仰年に、福音を告げ知らせることの緊急性が全信徒に再提示されました。けれど、どうしたらいいのでしょう?わたしたちにはどのような貢献ができるのでしょう?何をしなければならないのでしょう?

教皇の青年たちへの言葉、全文

 みなさん、来てくれて、ありがとう。この祭典も準備してくれて、ありがとう!本当にこれは祭典ですね!そして、質問も準備してくれて、ありがとう。

 最初の問いが若い夫婦からのものだったことがうれしいです。すばらしい証しですね!二人の青年が、喜びと勇気をもって一つの家族をなす決意をした、そのために賭けたのです。そうです、本当に、一つの家族をなすというのは、勇気のいることなのです!勇気が足りません!そしてあなたたち、若い夫妻の質問は、召し出しについての問いに根ざしています。婚姻とは何なのでしょう?これは司祭になることや、修道者になることと同様に、ほんものの召し出しです。二人の結婚するキリスト者がその愛の歴史の中に主の呼びかけを認めたのです。二人の男女がたった一つの肉、たった一つのいのちをなすための召し出しです。そして婚姻の秘跡は神の愛をもってこの愛を取り巻き、その愛を神自身に根差します。この恵みをもって、この呼びかけの確信をもってすれば、確かに出発できます。何をも恐れることはありません。あらゆることに直面することができます、一緒に!

 わたしたちの両親や、祖父母、曾祖父母について考えてみましょう。わたしたちよりもよほど貧しい条件の中で結婚しました。戦時中あるいは戦後に結婚した人たちもいます。わたしの両親のように、移民をした人もいます。どこに力を見出したのでしょうか?主が彼らと共にいたという確信、婚姻の秘跡において神によって家族が祝福されているという確信、子どもを授かり、教育するという使命は祝せられたものであるという確信のうちにその力を見出していたのです。この確信をもって、彼らは最も厳しい試練をも乗り越えたのです。それは単純な確信でしたが、本物でした。その愛を支えていた支柱となっていたのです。その生活は簡単ではありませんでした。問題もありました。たくさんのものだいです。けれどこの単純な確信が彼らを前進させる助けとなったのです。そして素晴らしい家族を作ることができ、自分のいのちを与え、その子らが育てるようにすることができたのです。

 愛する友の皆さん、善をしっかりとした形で建設するためには、この道徳的また霊的基礎が必要です。最近は、家族や社会伝統はこの基礎を保証していません。さらに、皆さんが生まれてきた社会は家族の権利よりも個々人の権利を尊重しています。(拍手) この個々人の権利は、問題が起こるまで続く関係を支えますので、カップルや家族、夫婦の関係については表面的であったり誤った形で語られます。テレビのいくらかのプログラムを見れば十分です。そう言った価値観が見られるでしょう?(拍手) なんども、主任司祭たちは、わたしもですが、耳にしたこともあるのですが、結婚するためにやってくるカップルの話を聞いています。「でも、あなたたちは婚姻は一生もんだということ、分っていますか?」「あぁ、わたしたちは本当に好き合っているんです。でも・・・愛が続く間は一緒にいようと思います。もし冷めたら、それぞれ別々になるでしょう」。これはエゴイズムです。自分が何も感じないなら、婚姻を終わらせ、分かつことのできないあの「たった一つの肉体」であることを忘れてしまうのです。(拍手) 結婚するというのは危険です。リスクが伴います!あのエゴイズムがわたしたちを脅かすのです。なぜなら、わたしたちの中には誰でも二重人格の可能性があるからです。「わたしは、自由なわたしは、このことをしたい、欲しい・・・」と言い、もう一方は「俺、わたし、ぼくに、わたしと、俺のために・・・」とやります。違いますか?エゴイズムはいつも、舞い戻って来て、他者に開かせることができません。もうひとつの困難はこのその場しのぎの文化にあります。何も決定的なものがないかのようです。すべてその場しのぎ。ついさっき言ったようにです。でも愛は、続く限り、と。かつて一人の神学生が-まぁ、いいでしょう?-言っていましたが、「ぼくは神父になりたいですけど、10年くらいの間だけです。その後、考え直そうと思います」。でも・・・これがその場しのぎの文化なのです。でもイエスは、わたしたちを一定期間だけ救ってくださったのではありません。(拍手、歓声) 決定的に救ってくださったのですよ!

 けれど聖霊はいつも新しい要求に対して新しい答えを立てるのです!そのようにして教会において恋人たちのための道が多々増えてきたのです。婚姻のための準備コースや、小教区での若い夫婦たちのグループや、家族ムーブメントなどです。それはものすごい富です!それはすべての人のために言及すべき点です。探している最中の青年たちのため、危機にあるカップルのため、子どもたちとの問題にある両親のため、またその逆、親と問題にある子どもたちのためにも。実にわたしたち全員を助けてくれます。それから、受け入れる仕方も様々です。歓迎、養子、様々なタイプの受け入れのみられる家庭の数々。ファンタジー -こういう言葉づかいを許して下さいね-聖霊のファンタジーは無限ですが、同時にとても具体的なのです!そこで皆さんに言いたいことがあります。人生で決定的な歩みを踏み出すのを恐れないでください。(拍手) これを踏み出すのを恐れないように。何度も次のようなことを言うお母さんたちに出会ってきました。「でも、神父さん、わたしは30歳の息子がいるけれど、結婚しないのです。何をしたらいいのやらもう分りません!素敵な恋人がいるけれど、全然決めないんです・・・」でも、お母さん、ならもう息子のワイシャツにアイロンかけるのをおやめなさいよ!(爆笑) そういうことです!婚姻のための歩みのように、決定的な歩みを踏み出すのを恐れないでください。その愛を深め、その時間と表現を尊重しなさい。祈りなさい。そして準備しなさい。でもあとで皆さんを一人ぼっちにはしない主に信頼しなさい。家族の一員として皆さんの家庭に主が入るようにしなさい。彼はいつも支えてくれるでしょう。(拍手)

 家族は、神さまが男女の本性に書きこんだ召し出しです。けれど、婚姻を補うような別の召し出しもあります。天の国のために捧げられた独身制と処女性への呼びかけです。これはイエス自身が体験した召し出しです。どうやってこれを認識すればいいのでしょう?どうやってこれを続けられるのでしょう?これは、持ってきていただいた三つ目の問いです。でも、皆さんの中で、こういったことを考える人もいるかもしれませんね。「え~、でも、この司教すげぇ!ここで質問して、もう全部準備されていて、(爆笑) 書いてある答えがあるなんて!」わたしは数日前に質問をもらったんです。ほらね?だから知ってるんです。(拍手) それで、二つの本質的な要素で答えます。どうすればこの司祭への召し出し、あるいは奉献生活への召し出しを見極めることができるのか。最初の要素:教会の中で祈り、歩むことです。この二つのことは並行しています。互いに織りあっています。奉献生活への召し出しすべての源泉には、いつも神の強い体験があります。忘れることのない経験です。一生覚えている体験です!それこそフランシスコも持った体験ですよ。でしょう?そしてこれは計算して出会えるわけでも、プログラムしてできるものでもありません。神はいつもわたしたちをびっくりさせます!呼びかけるのは神です。けれど、神との日々の関係をもつことは大切です。聖櫃の前とわたしたち自身の中で沈黙のうちに神に耳を傾け、神に語りかけ、秘跡に近づくのです。この主との親密な関係(ラポール)をもつことは、主がわたしたちが自分のために求めていること、その声を聞くことができるようにするための、人生の窓を開けておくようなものです。ここにいる司祭たちやシスターたちに耳を傾けると素敵なことが待っているでしょう。それは最高に素敵なことでしょう。なぜならそれぞれのストーリーはユニークだからです。でもどの人も深い部分で照らしてくれる出会いや、心に触れ、感情、知性、感覚、そういったすべてをもつ全人格を包み込む集いをもって全てが始めるのです。神との関係(ラポール)は、わたしたち自身のほんの一部分だけに関係するものではなく、すべてにわたるものなのです。これはあまりに大きく、あまりに美しく、あまりに本物です。すべてふさわしく、わたしたちの全幅の信頼に値します。そして力を込めて言いたいことが一つあります。何よりも今日言いたいことです。「いいえ」がではなく、「はい」である神のみ国のための処女性です!当然のことながら、結婚の絆や、一つの自分の家族といったものを断念しますが、けれどその基礎は「はいという答え」がもとになっています。それはキリストのわたしたちに向けられたわたしたちに向かう全体的なもですが、わたしたちに向かうキリストの全幅の「はい」(=全肯定)への回答としてなされるのです。(拍手)

 いやしかしここアシジでは、言葉は必要ありませんね!フランシスコがいて、クララがいて、彼らが語ってくれますから。そのカリスマは世界じゅうの多くの青年たちに語りかけ続けています。福音の道のためにイエスについて行くためにすべてを捨てる男の子たち、女の子たちがいるのです。

 ここに、福音があります。「福音」という言葉を使いたいと思うのは、他のわたしに向けて作られた二つの質問、二番目と四番目の問いに答えたいからです。一つは社会への献身です。希望が脅かされているこの危機の時代にどう社会に献身するか。もう一つは福音化です。他の人々にイエスのメッセージを運ぶことについてです。あなたたちはわたしにこう質問しています。わたしたちに何ができるだろうか?、わたしたちにはどのような貢献ができるのでしょうか?と。

 ここ、アシジでは、ポルチウンクラの近くでは、わたしたちに繰り返し語りかけるフランシスコの声が聞こえるような気がします。「福音を、福音を!」と。わたしにもこのことが語られます。というよりも、何よりもわたしに語りかけています。パパ・フランシスコ、福音の奉仕者になりなさい!と。もしわたしが福音の奉仕者となることができないなら、わたしの人生は何の価値もないのです!(拍手)

 けれど福音は、愛する友の皆さん、宗教だけに関係するものではありません、人に関するもの、すべての人に関するもの、世界、社会、人間的都市化に関するものなのです。福音は神の人類に対する救いのメッセージなのです。けれど「救いのメッセージ」という時、それはある種の語り口ではありません。昨今氾濫しているようなただの言葉の羅列、虚しい言葉の羅列ではありませんよ!人類は本当に救われる必要に窮しているのです!そのことは新聞を読んだりテレビのニュースを見たりして毎日見ていますが、わたしたちの周りにも、人々や状況のなかにも見出すことができます。わたしたち自身の内側にも見られるものです!わたしたちの一人ひとりが救いを必要としているのですよ!わたしたちだけではできないのです!救われる必要があるのです!何からの救いですか?悪からですね。悪のわざには、その働きがあります。けれど悪は打ち勝てないものではなく、キリスト者は悪を前にして屈服しません。では皆さん、青年の皆さん、悪や不正、困難の前に屈服したいですか?わたしたちの秘訣は・・・、したいですか?したくないですか?(「ノー」と青年たち、拍手、笑い声)。あぁ、ならいいです!こういうのが好きです。わたしたちの秘訣は、神が悪より偉大だ、ということにあります。本当です。神は悪よりも偉大なのですよ!神は無限の愛、限りのない憐みです。そしてこの愛は、キリストの死と復活のうちにその根っこから悪に打ち勝ったのです。これが福音です、よい知らせなのです!神の愛は勝利した!キリストはわたしたちの罪のために死んだけれど復活したのです。キリストと一緒なら悪に対抗して戦うことができ、毎日これに打ち勝つことができるのです。このことをわたしたちは信じているでしょうか?いないでしょうか?(「スィー=はい、信じています!」と青年たち)  けれどその「はい」という返事は、生活の中に入っていかなければならないんですよ。いいですか?もしわたしがイエスは悪に打ち勝ってわたしを救ってくれると信じるなら、イエスについて行かなければならないのです。生きている間イエスの道を歩まなければならないのです。

 そこで、福音、この救いのメッセージには、二つの互いに絡み合った目標地点があります。一つ目は、信仰を目覚めさせることです。これが福音化です。二つ目は、世界を神の計画に基づいて変革することです。これが社会のキリスト者による鼓舞です。けれど別々の二つのことなのではなく、たった一つの使命なのです。わたしたちの生活の証しを通して福音を運ぶことが、世界を変革させるのです!これが道です。わたしたちの生活の証しを通して福音を運ぶこと。

 フランシスコを見てみましょう。フランシスコはこの双方を行いました。たった一つの福音の力をもって。フランシスコは信仰が育つようにし、教会を刷新しました。同時に社会を刷新し、これをより兄弟愛に満ちたものにしました。けれどいつも福音をもって、証しをもって成したのです。あるとき、自分の会員兄弟たちにフランシスコがどんなことを言ったか知っていますか?「いつも福音を告げ知らせなさい。そしてもし必要であれば、言葉をも使って」こう言ったのです。けれど、どうすれば?言葉を使わずに福音を告げ知らせることができるのでしょうか?できます!証しをもって!まずは、証しです。その後で、言葉です。証しを!(拍手)

 ウンブリアの青年の皆さん、同じことをなさい!今日、聖フランシスコの名において、皆さんに言います。わたしには皆さんにあげられるような金も銀もありませんが、もっと貴いものがあります、イエスの福音です。勇気をもってお行きなさい!(拍手) 皆さんの心の中、そして手の中に福音を刻みつけて、生き方で信仰の証しとなりなさい。キリストを皆さんの家庭に運び込みなさい。友達の間でキリストのことを告げ知らせなさい。キリストを迎え入れなさい。貧しい人々の中におられるキリストに仕えなさい。青年たち、ウンブリアに、いのちのメッセージ、平和のメッセージ、希望のメッセージをもたらしなさい!あなたたちにはできます!(拍手、歓声)

(主の祈りを唱え、祝福をした後で)お願いですから、わたしのために祈ってください!(拍手)

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