2013年10月1日火曜日

9月25日(水)、朝ミサ説教:シリア、レバノン、中東の平和のために祈り続けなさい。

 9月25日(水)エズラ9・5-9
          ルカ9・1-6

 神の前での恥じらいと、神の憐れみを求め、主へのまったき信頼を求めるkと、これが聖マルタの家の小聖堂で祝われたミサの教皇フランシスコの説教において今朝提案された回想の骨子であった。共同司式は con los cardenales Leonardo Sandri, Prefecto de la Congregación para las Iglesias Orientales, y Béchara Boutros Raï, Patriarca Maronita de Antioquia, junto a un grupo de obispos maronitas procedentes de El Líbano, de Siria, de Tierra Santa y de diversos países de los cinco continentes. 

当日の典礼の朗読についてコメントしながら(エズラ9章5-9節、ルカ9章1-6節)、教皇は、特にエズラ書から自分の考えを、マロンの司教達に向け、いつものように、三つの概念にその考えをまとめた。

 何よりもまず、神の前でのエズラの恥じらいと混迷の態度である。それはあまりに強く、神にまなざしをあげることが出来ないほどでした。神ではない偶像に奉仕したために奴隷状態へとわたしたちを導いた、犯した罪によってわたしたち全てが抱く恥じらいと混迷です。

 二つ目の概念は、祈りです。エズラの模範にならい、跪いて神に向かってその憐れみを求めて両手を挙げる姿です。そのように、わたしたちも、数え切れない罪のために同様のことをしなければなりません。そこで教皇は、一つの祈りが、レバノン、シリア、そして中東全土のためにささげられなければならない、と語った。困難の時、最も劇的な試練の時、予測できない状況にわたしたちがしばしば巻き込まれるわけですがその暗闇の中で続けなければならない歩みこそが、祈りなのです。こうしたこと唐の出口を見いだすには、たゆまず祈らなければならない、そう教皇は強調しました。

 最後に、わたしたちを決して見捨てない神への絶対的な信頼。これがその説教で今朝恐怖が表明した三つの概念である。そして主がわたしたちと共におられるから、強さを注ぎ込んでくれる希望のおかげでわたしたちの歩みは継続的にならなければならない、と確言した。パパは加えて、牧者達の仕事は、信者達にとって安定剤として役立つでしょう、主は決してわたしたちを見捨てることはないのです。と語った。

 拝領後に、ベカラ・ブトロス・ライ枢機卿は教父に列席司教団、マロン派の仲間達、レバノンの人々全員の名で、ペトロとその後継者への中世を確認しながら心のこもった感謝と挨拶の言葉を向けた。「しばしば茨だらけのわたしたちの歩みにおいて支えてくださる」と。特に平和への探求を与えた強い呼びかけに、パパに感謝をした。「シリアと中東における平和のためのその祈りと勧告は慰めと希望の種をまいてくれました」。

(María Fernanda Bernasconi – RV).

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