2013年7月31日水曜日

7月28日、飛行機の中で:とても素晴らしい旅行でした。霊的にとても益になりました。


 ローマへの帰りの飛行機の中で、教父は報道陣と会話をし、その特徴的で落ち着いたシンプルさと深みを持って、様々なテーマについて答えた。「とても素晴らしい旅行でした。霊的にとても益になりました!」 ブラジルでのワールドユースデーの青年たちと共に体験された緊張度の高い経験によるその大きな目に見えるほどの喜びを示しながら、またセキュリティの程度に触れながら、その人々の近くにいることへの切望を繰り返した。

 「この数日、リオ・デ・ジャネイロ全体で、一つも犯罪がありませんでした。そしてそれはすべて自発的にそうなりました。セキュリティの程度を低くしてもらって、装甲車もなく、人々と共にいて、抱きしめ、挨拶する機会をいただきました。これはある国民を信頼するという名のセキュリティです。実際、いつだって狂った人がいる危険性はあります。えぇ、そうです。何かする気の狂った人が。けれど主もいるんですよ。ね?たとえ司教を人々からシールドを立ててスペースを作ることも気違いじみたことならば、わたしはこちらの(シールドのない)気違いじみたことの方が好きです」。

 パパ・フランシスコは企画者たちと、この第28回ワールドユースデーで体験されたことを語るのに捧げた価値ある貢献のために情報メディアで働いている人々に感謝した。「ブラジル国民の優しさと苦しみ」が、この旅行で特別に衝撃を与えた側面であると述べた。そこでは多くの家族の痛みと極度の貧困との接触をしたヴァルジーニャのファベーラへのその感動的な訪問についても触れた。

 「やさしさ。ブラジル国民の心はとても大きいです。実際、ほんとうに親切な人たちです。祭りを愛する民です。苦しみの中でさえ彼らはいつもあらゆることのなかに良いものを探す方法を見出します。そしてそれはとても益になるのです。楽しい国民で、たくさん苦しみを経てきた国民です」。

 コパカバーナでの閉会ミサやこのワールドユースデーやアパレシーダ聖地訪問の縦糸となった祈りの時間への178カ国からの300万人以上の参列にも素直に驚いていた。『アパレシーダは、わたしにとって、宗教的に強い経験です」と、ブラジル人にとって実に愛されており、ベルゴリオの頃のパパにも、ラテン・アメリカの教会にとっても、2007年5月のラテンアメリカ司教協議会の第五回総会の拠点となったということもあり、この場所のことを思い起こしながら確言した。

 報道陣との対話の中で、パパ・フランシスコによって語られたとても大切なテーマの中で、二人の教皇、ヨハネ23世とヨハネ・パウロ二世の今後の列聖式についても語られた。その列聖式ミサの中で聖人として宣言されるわけだが、その日程については、ローマに来て参列したいと望んでいる信者が一人でも多く到着できるために、まだ調べている。

 聖マルタの家で質素に生きるという選択について、こう答えた。

 「わたしには小さいグループとだけで生活することはできません。わたしには人々が、人々に出会うことが、人々と語り合うことが必要なのです。…一人ひとり、主が求める生き方で生きなければなりません。しかしながら、厳格さは、一般的な厳格さは、教会の奉仕のために働いているわたしたち全員に必要なことだと私は思います。
 

 その後で、いつもの皮肉とシンプルさをもって、パパは緊張を緩めて、ブラジルへのその旅行に個人的に持っていった黒いカバンの大「神秘」について語った。

 「原子爆弾の起爆ボタンがあったわけではありませんよ!あれを持っていったのは、いつもしていたからです。では、中に何があったのかですか?まぁ、ひげそりのセットと、教会の祈りの本、予定帳、読書のための一冊の本ですね。わたしは聖テレジアの信心が強いので、彼女についての本を持ってきたのです。わたしは旅行のたびにいつもカバンを持ち歩いていたのですよ。普通のことですよ。そしてわたしたちは普通でなければなりません」。

 IORの改革についてといったような、よりデリケートなテーマについても話しながら、機関がどうなるか、援助の銀行あるいは基金なのか、知らないと答えた。しかし「透明性と正直さ」はいつでも組織にアイデアを与える判断基準でなければならない。IORの問題は、「どのように改革するのか。どのように癒しを必要としている人を癒し、癒すために何が必要なのか」。最近刑務所に送られて終った大司教によってなされたスキャンダルへの悲しみを表現した。「ローマの評議会には聖なる人たちもいるのですが、それほどまで聖なる人ではない人もいて、こうした人たちがもっと騒ぎ立てるのです。皆さんがよく知っているように、育ちゆく森よりも、倒れる木の方が大きい音を立てるものです」。

 堕胎や同性愛結婚といった倫理的問題に関して、パパはそれはリオで語らなければならない問題ではなかった、なぜなら教会の姿勢はとてもはっきりしているから、と言った。リッカ卿に関しては、推定されるバチカンでのロビー・ゲイに関しての問いに応えて次のように言った。


 「まぁ、ロビー・ゲイについてたくさん書かれています。まだ「この人こそゲイだ」という身分証明書をわたしにくれた人にはまだあっていません。そういう人がいるとは言われています。もしゲイの人に会うならば、その人がゲイの人であるということ、ロビー・ゲイであるということで見分けられなければならないと思います。なぜならすべてのロビーのひとはよくないですから。それは悪いことなのです。もしある人が同性愛者で、主を探し求め、よい志を持っているなら、誰が裁くことができるでしょう?わたしはそれには値しません」。


 離婚し、再婚した人の聖体拝領の問題について、それも10月8日の顧問会でも語られる「複雑な」問題であると説明した。そしてクアラチーノ枢機卿が、婚姻の半分は成熟度の欠如という理由で無効になりうると考えていたことを思い出した。

 教会における女性の役割について尋ねた記者に応えて、「教会でいまだに女性についての深い神学が行われていない」ので、教会において「女性の役割とカリスマをこれからはっきりさせていかなければならない」と思うと述べた。

 その後、教会のムーブメントについて話し、「ムーブメントは必要です。聖霊の恵みなのです」と言った。当方の霊性に関しては、「わたしたちはこれを必要としています。その東の爽やかな風、その東からの光を」。バチカンにおけるベネディクト十六世の存在について答えてこう言った。

 「それはちょうど家におじいちゃん、けれど知恵に満ちたおじいちゃんにいてもらっている感じです。家庭でおじいちゃんが尊敬され、愛され、耳を傾けられている、そのような感じです。彼は非常に慎重な人で、干渉はしません。何度もわたしは彼に言いました。『でも、教皇さま、受けてください、自分のしたいことをしてください、わたしたちと来てください…』彼は聖ミカエルの像の除幕式と祝福のために来てくれました。わたしにとって、家におじいちゃんにいてもらっている感じ、自分のお父さんにいてもらっている感じです。もし困ったことや、よくわからないことがあると、わたしに何ができるかを行ってもらうために、電話で尋ねることができる、という感じです。そしてヴァティリークスの大きな問題について話しに行った時、シンプルに《奉仕です》とおっしゃいました」。
(CdM – RV)

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