「パパ・フランシスコが即座にわたしの招きを受け入れてくれるとは期待もしていませんでした。気に留めて置いていただきたいとは望んでいましたが、こんなに早いとは。パパのローマ教区外の最初の旅行がランペドゥサになるとは思いもよりませんでした。最初は信じられませんでしたが、その後自分がパパの心のすごく近くあることを感じ、またフランシスコの心がわたしたちの共同体のすぐ近くにあることを感じました。
三月の選出の少し後にパパに送った手紙の中で、わたしは彼にここに来るようにと招き、わたしたちの共同体が、移民の舟が集中的に入港するようになってきてからのここ数年送って来た生活について書き記しました。また、パパの選出の時の感動の涙は、希望を求めてわたしたちの島を通って行く人々を理解し、そのあらゆる男女の痛みの涙と混じりうるものだろうと想像しました。また、パパ・ベルゴリオは、移民の子として、移民と関係する問題を深く理解してくれるだろうとも想像しました。
わたしの小教区の信者たちは、ニュースを知るなり、不信を示しました。膝ががくがくふるえたと私に言った人もいました。けれどわたしはみんなを落ち着かせました。準備日数は短いけれど、この共同体のスタイルのまま、おそらく、パパのスタイルのまま、すべてのことが地に足を付けた仕方で起こるようにと望んでいます。
簡素さで送られる数日となるでしょう。けれど神の言葉にどっぷりと浸り、わたしたちのためにも、他者のためにも力を取り戻すための、歴史上無二の時となるだろうという確信も伴った数日となると思います。そしてもちろん、感情と感動に満ちた時となるでしょう。けれど責任の意義もあります。今までわたしたちの苦しみ、移民に対する歓迎というわたしたちの献身を語ってまいりましたし、時には、ヨーロッパに対して声を上げてきました。わたしたちは旧ヨーロッパの最南端にありますが、南からの入り口の扉でもあることを自覚しています。今、しかし、ペトロの後継者の言葉を聞かなければなりません。そこで神の言葉をもとに続けるべき路線をわたしたちに提案するのでしょう。
おそらくランペドゥサ訪問は聖週間にパパが発した言葉において読まれなければなりません。わたしたちが地理的に中心から外れたところに行くこと、そしてまた存在の中心から外れたところに行くことを招かれたあの言葉です。この言葉に、わたしたちの話が反映していたように見えました。なぜなら、本当に、わたしたちは地理的にはずれたところにあるのですが、同時に存在の中心から外れたところとの出会いを経験して来ているからです。パパはわたしたちに様々な機会に、まさに中心から外れたところからこそ中心を、人の心を読むことができるのだと語って来ました。
パパはまた、愛徳と、小さく、その場での自然な、日々のホスピタリティーの論理を確証してもらう必要のあるランペドゥサ住民を励ますためにも来られます。 恐らくあまり組織だっていないけれど、心が命じることに従った歓迎です。フランシスコは、わたしたちに語りながら、全教会に語りかけると思います。愛徳を信じる、愛は今でも可能であり続けていると信じる、と言うために。けれど愛徳と分かち合いは、持っている少ないもの、あるいは少数のわたしたちをも増加させ、すべての人にとっての聖体的一致へと変えてくれるという意識を回復させなければなりません」。
ER - RV
0 件のコメント:
コメントを投稿