2013年7月23日火曜日

7月22日、飛行機の中で:高齢者と共に、青年たちの尊厳と統合を促す


 出会いの文化を鼓舞し、切り捨ての文化を消さなければならない、と、リオ・デジャネイロへの道すがら、教父フランシスコはうながした。このワールド・ユース・デーに向かう、はじめての国際的な使徒的訪問に付き添う報道陣と語りながら、彼らに感謝を示し、この旅行の意味と青年たちと出会うことへの熱い思いを説明した。青年層の力と高齢者の経験と知恵を一つにした社会を促すものである。心温まる雰囲気の中で、パパはマスメディアの代表者70人ほどに、その随伴に感謝し、冗談を交えながら、他の人が言う様に、彼らは獰猛な狼などではない、と指摘した。

 その後で、ローマ司教は全世界の多くの青年たちが面している難しい状況について回想し、青年たちに対するコメントの不条理を嘆いた。たとえば仕事の可能性を拒むことなどについてだが、「仕事から人間の尊厳がもたらされます。パンを得ること。今この時点での青年たちは、危機にあります。そして・・・わたしたちはこの切り捨ての文化に慣れてしまっています。年寄りに対してあまりに適当に扱っています。そして今、青年たちまでもがその多くは仕事がありません。彼らにも切り捨ての文化が届いているのです」。
(CdM - RV)

リオ・デ・ジャネイロに向かう飛行中のパパの言葉。

「この初めての旅行は まさに青年たちに会うためですが、その生活から切り離して出会うつもりはありません。わたしは社会の網の中での位置づけで彼らに会いたいと思うのです。なぜなら青年たちを個別にとりわけることは不正行為だからです。彼らから所属する、という属性を奪うことなのです。青年たちには帰属するところがあります。ひとつの家庭における帰属、ひとつの国への帰属、ひとつの文化、ひとつの信仰への帰属です。


 彼らには属するところがあって、それをわたしたちが切り離してはならないのです!けれど、何よりも、社会から彼らを孤立させて切り離すことはならないのです!彼らは、ほんとうに!民の将来なのです。それは本当です!けれど彼らだけではありません。彼らは力があるから、若いから、前に進んでいく将来なのです。

 けれども、他のいのちの極端があります。年輩の方々です。お年寄りたちも民の将来なのです。民には、もし全員でこの二つの末端、つまり力のある青年層、なぜなら前進する力があるからですが、これと老人たちという二つの末端すべて共に進んでこそ将来があるのです。思う二、年寄りに対して不正を働いています。全員が社会の一員なのです。彼らはわたしたちに何か大切なものを与えるのをやめたわけではないのです。彼らには知恵があり、人生の知恵袋であり、歴史の知恵、母国の知恵、家庭の知恵があり、わたしたちはどれをも必要としているのです。

 そういうわけで、わたしは青年たちに会いに行きますが、その社会の網(ソーシャル・ネットワーク)の中で彼らに会いに行くと言っているのです。特に、高齢者たちです。世界の危機は青年たちにとって善い事をもたらしていないことは確かです。先週、何パーセントの青年が無職であるかを読みました。一度も仕事をしたことのない世代ということが訪れる状態を想像してみてください・・・。そして仕事から人間の尊厳がもたらされるのです。パンを得ること・・・。青年たちは、今のこの時点で、危機にあります。そして・・・わたしたちはこの切り捨ての文化に慣れ切ってしまっています。年寄りたちにはあまりにしばしば行われています。これが今はあまりに多くの青年に職がないということは、切り捨ての文化が彼らにも届いている、ということです。この切り捨ての習慣を切りとらなければなりません!違いますか?巻き込みの文化、出会いの文化、わたしたちは社会においてすべての人を巻き込むための努力をしなければならないのです!」

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