2013年7月23日火曜日

7月23日(ブラジル時間22日)、教皇すでにリオに:わたしにはいただいたもっとも価値のあるものが一緒です。イエス・キリストです!


 「その名においてわたしは心すべてに燃える兄弟愛の炎を大きくするために来ました。そして皆さんすべてに、一人ひとりにわたしのこのあいさつが届きますように。『キリストの平和が皆さんと共に』」。これが7月22日の午後、数百人の諸機関の招待者に伴われた政府や州の最高権威者たちの列席する、グアナバラ宮殿のホールで繰り広げられた歓迎の儀のあいだにフランシスコがリオ・デ・ジャネイロで発した最初の言葉であった。

 この最初の公的な会合の前に、パパはもう一つの出会いの場を求めた。飛行場から出た時から、ローマ司教は防弾車を無意味にし、自分を運んでいた車の窓を開けてなるべくたくさん人々から見えるようにし、挨拶をし、道で待っていた人々を祝福した。その様子は、ここ数カ月一般謁見の間にローマで見られた姿とまったくおなじであった。車はゆっくりと進み、しばしば止まりながら、パパが人々に挨拶をし、祝福し、キスをすることができるようにした。本当に多くの子供たちが、サン・ピエトロ広場の時と同様に、警察の手で近づけてもらい、教父がなで、祝福できるようにしてもらった。この民衆との計画されていなかった最初の直接の出会いの時が持たれたことで、リオにおいてもプロトコル(規格)は「破られた」。最初の公的な約束のためにリオ・デ・ジャネイロの政府中枢であるグアナバラに着くために、パパは車からパパ・モビルに乗り換え、次いでヘリコプターに乗った。規格上の歓迎の儀、つまり大統領ジウマ・ルッセッフとの最初の個別会見は、予定より一時間遅れて始められた。

 ブラジルでのパパの公的な最初の儀式に戻るが、大統領の挨拶の言葉の後、フランシスコはその演説の中で、自分が世界じゅうから、あがない主キリストの開かれた両腕にひきつけられてやってきている若者たちと出会うために、ワールド・ユース・デーのために来たことを記憶させた。「彼らは、その腕に逃げ場を見出すことを求めています」とローマ司教はさらにつめて語った。「その心臓のすぐそばで、彼のはっきりとした、力強い、『行きなさい、すべての民をわたしの弟子にしなさい』との呼びかけの声を改めて聞きたい、と」。 さらに先に進んで、教皇はその挨拶の中で、「パパの両腕は人材の豊かさ、文化、宗教的豊かさの複雑に絡んだブラジル全土を抱擁するために伸びていきます」と確言した。「アマゾンからパンパまで、パンタナウの荒涼とした地域から、小さな村から大都市まで、パパの愛情から疎外されていると感じる人が誰もいませんように」。


歓迎の儀の間の教父フランシスコの演説、全文
 

大統領閣下
高位政府高官の皆様、
兄弟、友の皆さん、

 神さまは、その愛に満ちた摂理の中で、わたしに教皇在位期間中の最初の国際旅行が、わたしの愛するラテン・アメリカの地に戻る機会をもたらすものとなるように、具体的にはブラジル、使徒座との直結の絆が高く評価されている国となるように取り計らってくださいました。ブラジルは、ペトロの後継者にいつも特別な仕方で一致し続けてきている信仰と友情の深い感情があるのです。わたしはこの神の寛大さに感謝しています。

 わたしは、ブラジル国民とつながりをもつためには、その広い心の扉から入らなければならないということを学んできました。ですので、その扉でゆるりと声を掛けさせてください。皆さんと過ごすこの一週間、ちょっとそこを通らせて下さい。わたしには金も銀もありませんが、わたしに与えられたもっとも価値のあるものが一緒です。イエス・キリストです。その名においてわたしは心すべてに燃える兄弟愛の炎を大きくするために来ました。そして皆さんすべてに、一人ひとりにわたしのこのあいさつが届きますように。『キリストの平和が皆さんと共に』。

 特別に、大統領と政府の高位高官の皆さんに挨拶いたします。皆さんの寛大な歓迎に感謝します。そして皆さんの国にわたしがいることによる、ブラジルの皆さんの喜びを表明しようとなさったことばに感謝します。リオ州知事にも挨拶いたします。政府宮殿にわたしたちを親切にも受け入れてくださり、ありがとうございます。またリオ・デ・ジャネイロ市長と、ブラジル政府を前に権限を委ねられた高官の皆さん、ここにいる権威の皆さん、この訪問を可能にするために働いて下さった皆さんに、感謝します。

 わたしはすこし兄弟である司教団に愛のこもった言葉を向けたいと思います。彼らはこの壮大な国で、その愛すべき具体的な部分教会、つまり神の群れを導く務めを任されているのです。 この訪問で、キリストにおける信仰の兄弟であることをローマ司教独自の司牧の使命をもって再確認し、続けたいと思います。また、皆さんには、キリストから湧き出る希望の意義の証しをし続けるよう促し、、その愛の尽きることのない富をすべての人に差し出すようにと励ましたいと思います。

 周知のとおり、わたしのブラジルでの滞在の一番の動機は、その国境をはるかに超えていきます。実際、わたしはワールド・ユース・デーのために来ました。あがない主・キリスト(クリスト・レデントール)の開かれた両腕にひきつけられて世界のあらゆるところからやって来た青年たちと出会うために来たのです。彼らはその腕に逃げ場を見出すことを求めています。その心臓のすぐそばで、彼のはっきりとした、力強い、『行きなさい、すべての民をわたしの弟子にしなさい』との呼びかけの声を改めて聞きたい、と望んでいるのです。

 この青年たちは諸大陸からやってきていて、違う言語を話し、異なる文化に属しています。しかしながら、キリストのうちにその最高レベルの答えと共通の熱望を見出します。そしてどのような違いをも乗り越えるはっきりとした真理とほんものの愛への飢えを満たすことができるのです。

 キリストは彼らに場を提供しています。キリストとの友情の体験に心奪われた時の青年たちの心から湧き出るものほど力強いエネルギーはありえないと知っています。キリストは青年たちを信頼しています。彼ら独自の使命にある将来を信頼しています。『行きなさい、弟子にしなさい』。人間的に可能な境界線の向こう側へと行きなさい、そして兄弟姉妹の世界を作りなさい。けれど青年たちもキリストを信頼しています。たった一つしかない生き方を危険にさらすことを恐れません。なぜならキリストからは裏切られることはないと知っているからです。

 わたしのブラジル訪問を始めるにあたり、わたしは自分が青年たちに向かっているということにはっきりとした意識をもっています。その家族にも語ります。その教会共同体にも語ります。彼らのやって来たもとの国にも語ります。彼らが住んでいる諸社会にも語ります。この新しい世代の将来に多くがかかっている男女にも語ります。

 皆さんの間でお父さん方やお母さん方がこう言っているのを聞くのは珍しくないでしょう。「息子たちはわたしたちの目の瞳です」。ブラジルの知恵あるこの表現は何と美しいことでしょう!青年たちにもその目の瞳のイメージをあてはめることができます。わたしたちの中に光が入ってくるための開かれた状態です。それはわたしたちに視力の奇跡を起こしてくれるのです!わたしたちが自分の目を大切にしなかったらどうなることでしょう?どうやって前に進んでいきますか?わたしの望みは、この一週間、わたしたち一人ひとりがこの挑戦的な問いによって問いただされることにあります。

 青年層は、世界に未来を導き入れるための窓です。だからこそ、わたしたちに大きな挑戦を強います。わたしたちの世代は、一人ひとりの青年に場を提供することができる時に、彼ら一人ひとりのうちにある約束の貴さを示すことができるのです。 それは物質的な環境や精神環境を守り、その十全な発達を促すこと、その人生を建設することのできるしっかりとした基礎を与えること、なりうるべきものになるための安全と教育を保障すること、生きていて苦労のし甲斐があると思える継続的な価値観を伝達すること、富や善の創造力を引き起こしながらそのほんとうの幸せへの渇きに答えるような超越的地平を確かなものにすること、人の生活の基準にふさわしい世界の遺産を譲り渡すこと、青年が自分自身の将来の主役となり、すべての人の運命との共同責任をとるための最もよい能力を目覚めさせることを意味します。こうした態度をもって、今日から、青年たちという窓を通って訪れる未来へとわたしたちは進んでいくのです。

 結びにあたって、皆さんにお願いします。寛大に見守ってください。もし可能であるならば、友人の間で一つの対話を成り立たせるための必要な共感(エンパシー)をお願いします。今この時に、パパの両腕は人材の豊かさ、文化、宗教的豊かさの複雑に絡んだブラジル全土を抱擁するために伸びていきます。アマゾンからパンパまで、パンタナウの荒涼とした地域から、小さな村から大都市まで、パパの愛情から疎外されていると感じる人が誰もいませんように。明後日、神のお望みならば、アパレシーダのマリアの前で皆さんすべてのことを思い出すつもりでいます、皆さんの家庭、家族の上に彼女の母なる加護を求めつつ。そして、今からすでに、皆さん全員を祝福します。歓迎して下さって、ありがとう。
 (RC-RV)




 

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