2013年7月7日日曜日

7月6日、朝ミサ説教:教会の構造を刷新するのを恐れてはならない

朗読個所  : 創世記27・1-5、15-29
          マタイ9・14-17

バチカン、7月6日17時2分(バチカンラジオ)

 キリスト者であることは「何かをあれこれするということは意味せず、聖霊によって新たにされることなのです」。パパ・フランシスコは夏休み前に諸グループに囲まれて聖マルタの家で捧げた最後のミサにおいてこのことを強調した。パパは教会生活の中でも、「古い構造」が存在し、恐れることなく刷新するべきだと述べた。

 ミサには様々な人が参列したが、そのなかでも聖庁のスイス兵の一団が際立った。奉仕はアレッサンドロ・ジソッティによるものである。

 「新しいワインは新しい革袋に」。パパ・フランシスコはその説教を、イエスがもたらす刷新に中心をおいて発展させた。「律法の教義はイエスと共に豊かになり、新たになります」との見解を述べた。「そしてイエスはあらゆる物事を新しくするのです」。イエスによるものは「法の本当の刷新でした。同じ法ですが、より成熟し、刷新されたものです」と言った。そして「イエスが強く求めていることはもっとも強く」、「律法よりも偉大でした」。律法は敵を憎むことを認めるが、一方イエスはその人のために祈るようにという。これが、つまり、「イエスが宣べ伝える神の国(支配)なのです」。「何よりも、わたしたちの心で実現される」刷新である。「わたしたちは、キリスト者であるということは、これやあれやのことを行うことを意味すると考えてしまいがちですが、そうではありません」と忠告した。アルファ

 「キリスト者であるということは、この新しいいのちにおいてイエスによって新たにされることを意味します。わたしはいいキリスト者ですよ、毎日曜日11時からのミサに行っていますし、これをしますし、あれをしますし……。まるで何かのコレクションのようです。けれどキリスト者の生活というのはいろいろなことのコラージュではないのです。それは調和のある全体性なのです。調和に満ちたもの。そしてこれを行うのが聖霊なのです!聖霊はあらゆるものを新たにします。わたしたちの心、わたしたちの生活を新たにし、違うスタイルで生きられるようにします。けれど、全人生を満たすスタイルにしてくれるのです。断片の寄せ集めのキリスト者であることはなりません。時々キリスト者、というのはありえないのです。パートタイムのキリスト者は、立ちゆかないのです!全部、全体的、フルタイムなのです。この刷新を聖霊が行うのです。キリスト者であるということは、結局、何か物事を行うということを意味するのではなくて、聖霊によって新たにされること、もしくはイエスの言葉を使えば、新しいワインに変えられることなのです」。

 その後パパは加えて言った。「福音の新しさは、新しいことですが、救いの歴史のうちにある法そのものに見出されます」。そしてこの新しさは「わたしたちという枠よりももっと先に行きます」。わたしたちを新たにし、「構造を新しくするのです」。だからこそイエスは新しいワインには新しい皮袋が必要だと言っているのである。

 「キリスト者の生活において、また教会生活においても、古い構造があります。凝り固まった構造です。それを新たにする必要があります!そして教会はいつもこのことに注意を払ってきました。対話を通し、諸文化を通して。いつも場所や時代、人に応じて新たにされているのです。これはいつも教会が行ってきたことですよ!最初の時からです。最初の神学論争を思い出しましょう。キリスト者になるためにはユダヤ教のプロセスすべてを行わなければならないか否か。否です!否だ、と言ったのです。異邦人はあるがまま入ることができるのです。異邦人・・・。教会に入り洗礼を受けることです。これが最初の刷新でした。このように、教会はいつも前進してきました。聖霊が構造を、教会の構造を刷新するに委ねながら。そのことを恐れないでください!福音の新しさを恐れないでください!わたしたちのうちで聖霊が行う新しさを恐れないでください!構造の刷新を恐れないでください!」

 パパは続けて言った。「教会は自由です。聖霊がこれを前進させるのです」。福音はわたしたちにこのこと、つまりわたしたちの中で、わたしたちの生活の中で、また構造においても、福音の新しさにいつでも出会うための自由を教えているのです」。パパは繰り返した。「この新しさのために新しい皮袋を選ぶ自由の重要性があるのです」と。そして加えた。「キリスト者はそのようなイエスがわたしたちに与える自由をもった自由人なのです。習慣や構造の奴隷ではないのです。聖霊がこれを前に進めるのです」。パパはまた、五旬祭(聖霊降臨の時)に弟子たちと共に、そこにおとめマリアがいたことを思い返した。

 「そして母はどこにいるのでしょう?子供たちは大丈夫でしょうか?全員です!福音の新しさを恐れない恵み、聖霊が行う刷新を恐れない恵みを求めましょう。わたしたちを捉われ人にする古びた構造が崩れるのを恐れないようにしましょう。マリアに向かって行きましょう。古い賛歌が言っているように、マリアはわたしたちをそのマント、その母の守り方で守ってくださいます。なれかし(アーメン)」。 
(マリア・フェルナンダ・ベルナスコーニ – RV).

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